池上彰と考える!ビジネスパーソンの「国際貢献」入門 命、教育、経済までも左右する「水の問題」ゲスト:東京大学生産技術研究所教授 沖 大幹 氏

 それは、アジア・アフリカをはじめとする途上国地域はもちろんのこと、先進国においても、世界の人々の命、生活、そして経済を考える上で、最重要事項が「水」の問題だからなのです。「水」は、人々の命を、直接的にも間接的にも支えているもっとも重要な「資源」です。
 まず、「安全な飲料水の確保」は人々の健康や命の問題につながります。実際に、世界では毎年180万人の子供たちが不衛生な水等を原因とする病で命を落としています。
 次に「農業用水の安定供給」は食料の問題につながります。
 さらに「下水対策、水質汚染対策」は環境や公衆衛生の問題につながります。そして突発的な洪水や台風などにも応じられる「治水対策」は、人々の生命や財産を守るために、なにより地域社会の安定にとって不可欠です。
 いわゆる地球環境問題の筆頭に挙げられる「気候変動」。実は温暖化を含め、気候変動で一番影響を受けるのが「水」資源です。降雨のパターンが従来と変わり、渇水や洪水が起きやすくなる。途上国ばかりでなく、日本においてもここ数年水の被害に関するニュースは後を絶ちません。
 それだけに、水資源の保全や治水のために「適切な水資源の管理や気候変動への対応」が重要な課題となってくるわけです。
 では、日本は、世界が直面する水問題に対して、どんな貢献ができるのでしょうか?
 水問題の世界的権威で、「水文学」の専門家、沖大幹・東京大学生産技術研究所教授に、世界の水問題の現状と課題、日本が果たすべき役割などについて聞きました。

沖 大幹(おき・たいかん)

現在、東京大学生産技術研究所教授 博士(工学)
専門は水文学(すいもんがく、hydrology)。グローバルな水循環と世界の水資源に関する研究を行っている。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第4次報告書主要執筆者。「バーチャルウォーターを考慮した世界の水需給推計」で第18回(2008年)日経地球環境技術賞受賞。
東京大学工学部卒業、同大学大学院工学系研究科土木工学専攻修了。東京大学生産技術研究所助手、講師、日本学術振興会海外特別研究員(米航空宇宙局ゴッダード宇宙センター客員科学者)、東京大学生産技術研究所助教授、総合地球環境学研究所助教授を経て2006年から現職。著書に「水の世界地図」(監訳 丸善 2006年)、「国土の未来」(共著 日本経済新聞社 2005)「水をめぐる人と自然」(共著 2003年)、解説に「水の未来」(フレッド・ピアス著 日経BP社 2008年)など多数。

9億人が安全な水にアクセスできない 子供の教育も女性の仕事も奪う現実

池上命、農業、健康、衛生、物流、土木にいたるまで、水は人間のあらゆる営みの根幹にかかわっています。日本の国際協力と聞いて、最初に一般の人々が思いつくのも、途上国で井戸を掘って水資源を確保することでしょう。それくらい、水の問題は、人間にとって重要でかつ広範な問題であり、なかなかひとことで「これが水の問題だ」と定義するのは難しいかもしれないのですが、そこをあえて沖先生にお聞きします。地球全体で考えたとき、人間にとって今、「水の問題」とはまずなんでしょう?

深刻なのはやはり第一に「飲み水の問題」ですね。なにせ安全な飲料水にアクセスできない人が世界では9億人弱もいるのです。
 ちなみに、ここでいう“アクセス”とはWHOが定義したもので、1km以内に一人1日20リットルの水を確保できる場所がある、ということが目安です。1kmの距離を歩くと片道約15分かかるので、安全な飲み水へのアクセスがない人たちというのは、生活に必要な水を得るのに毎日往復30分、家族全員分を運ぶのに例えば4往復必要なら2時間以上の水汲み労働が必要な計算になります。そんな状況下にある人たちが9億人弱もいるということに驚かれるかもしれませんが、これでもずいぶん改善した数字なのです。90年代以降、世界中で「水」の安定供給を標語として途上国支援をしていこうという動きが進んだ結果、安全な水にアクセスできない人の数は確実に減りつつあります。
 実は、安全な水の確保というのは、単純に「命」の問題だけを解決するだけではないのです。水へのアクセスが改善した地域では、子供たちの就学率が改善されたり、女性の社会進出が促進されたりするんですよ。

池上え、そんな関係があるんですか。安全な水にアクセスできるようになると、なぜ子供が学校に行きやすくなったり、女性が社会で仕事をしやすくなったりするんですか?

開発途上国では、水汲みは子供や女性の仕事だ
ガーナ PHOTO BY 今村 健志朗/JICA

それは、水汲み、というのがとてつもない重労働であり、また、多くの開発途上国では水汲みは子供や女性の仕事とされているからです。水は生命の維持には欠かせませんし、日々の生活を文化的に暮らすにも欠かせません。そうすると、水汲み労働はあらゆる活動に優先することになるわけです。その結果、水が不足した社会では、子供や女性は水汲みのために他の活動に関わる機会が奪われてしまう。いまも、水を汲んで自宅に運ぶというそれだけのために一日に何時間も費やしている人々が世界には大勢いるのです。

池上なるほど、水の足りない社会では、女性や子供たちが水汲みの重労働に駆り出されているわけですね。

そうなんです。だからこそ安全な水へのアクセスがない状態を解消する必要があります。水へのアクセスが改善されれば、今まで水汲みのために時間を奪われていた子供たちも学校に行く時間が作れるようになるし、女性もさまざまな職業に就く機会を得られるようになります。飲料水がたやすく手に入る社会が実現すれば、人々の命が救われるだけでなく、子供の教育水準向上や女性の社会進出も促進され、経済発展にも繋がるのです。

池上飲料水の安定確保は、国の発展にも直接つながるわけですか。いやあ、目からウロコが落ちる話です。

それだけじゃありません。こちらはむしろよく知られている話ですが、水の安定供給に対する投資は、就学率、就労率の向上のほか、農業の改善にも当然役に立ちます。その波及効果は非常に大きく、アジア開発銀行の推計では投資額の8倍ものリターンがあるといわれているんです。

池上考えてみると、日本でも終戦直後、50年くらい前までは水汲みの習慣が田舎はもちろん東京近郊でも普通にありました。朝起きて水を汲んでかまどで火をたくのは、もっぱら主婦の仕事でしたね。

水の安定供給に対する投資は、
就学率、就労率の向上など波及効果は非常に大きい
ウズベキスタン PHOTO BY沼田 早苗/JICA

上水道が完備していない国においては、かつての日本と同じ状況がいまだに続いているわけです。先にも述べましたように、水汲み労働は主婦や子供が担うことが多いので、女性の社会進出にもかかわります。水の国際会議ではジェンダーについての問題が必ず提起されるくらいなんですよ。
 私が直接かかわったプロジェクトではありませんが、水支援の効果を示すエピソードをひとつ紹介しましょう。
 あるイスラム圏の村で井戸の掘削事業を行ったときのこと。日本のスタッフが最初に村を訪れた時、女性たちは恥ずかしがって出てこなかった。(イスラムの女性は慎み深いからだろうな)と日本のスタッフたちは思ったのですが、井戸が整備された後にもう一度訪問した時には、女性たちがうれしそうにみんなの前に出てきたそうです。理由を聞いたらこうでした。井戸ができるまでは、水不足のため服を洗う余裕などなかった。汚れた服のままでは恥ずかしくて、人前に出ることができなかった。けれども、井戸が整備された結果、服が洗えるようになったのでもう姿を見せても恥ずかしくないんです――。彼女たちはこう話したそうです。

池上それは現場を経験していないと絶対に聞けないお話ですね。

ええ。水は生命を維持するための飲料というだけではなく、人としての尊厳にもかかわってくる存在なのです。健康で文化的な最低限の生活、日本国憲法で謳われている基本的人権の確保にとって水は必要不可欠だ、ということだと思います。

池上日本でも私より上の世代は水汲みの苦労を経験したはずなのに、すっかり忘れているようです。今の子供たちは、水は蛇口をひねれば際限なく出てくるものと思っていますが、日本でもかつては井戸水が主流でした。私は小学校の頃、東京・練馬に住んでいましたが、1960年代前半――ちょうど東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開通したころですね――は、周囲のほとんどの家が井戸水を使っていました。私の家ももちろん井戸水。ある家の井戸水の出が悪くなると、その家は井戸をもっと深く掘って水を得ようとする。すると今度は近所のそれより浅い井戸の水が枯渇してしまう。じゃあうちも深く掘ろう、などとやっていると際限がないので、近所同士で話し合って、みんなの井戸を同じ深さに揃えようとしたものです。

水はみんなの共有財産であることがよくわかるエピソードですね。水は循環資源ですから、誰のものでもなくみんなのものなのですが、実際にはその利用をめぐってさまざまな軋轢(あつれき)が生まれてきました。誰でもたやすく安全な水が手に入るようにすること。水の問題においては、この条件をクリアしなければなりません。

水はたくさん使うもの 適正で安い価格であるべきです

池上9億人の水に恵まれない人々のことを考えると、世界各地で水をめぐっての軋轢が生まれるのは容易に想像がつきます。より多くの人々が、たやすく飲料水を手に入れられるようにするために、ほかに何がポイントになるのでしょうか?

水道水なら水売りから買うよりも
安く買えて大量に使える
カンボジア PHOTO BY 今村 健志朗/JICA

実は、水へのアクセスの問題以外に、もうひとつクリアしておかねばならない問題があります。それは価格。水は常に誰しもがふんだんに利用しても支払える適正な値段であるべきなのです。
 けれども、実態は残念ながらそうはなっていない。途上国の都市では、水道施設から水を得ている地域と、水道がない地域があります。さて、どちらの方が高い水を使っているのか? 水道施設を利用しなければならない地域のほうが高いような気がしますよね。
 でも、実際は逆。水道施設のある地域の方が水の値段は安いのです。水道がなければ、自分で水を汲んでくるか水売りから買うしかありませんが、この値段が意外と高いのです。要するに人件費が余分にかかるわけですね。例えばケニアの例で聞いた話ですが、水汲みを頼むと200リットル運ぶのに約150円、1トンあたりに換算すると750円程度払うのだそうです。日本の水道水は1トンあたり全国平均で約200円ですから日本の4倍近くも払わないと水が手に入らないことになります。また、フィリピンのマニラでは、富裕層が住む地域は水道施設が敷かれていますが、そうでない地域は水道の約10倍のお金を払って水売りから水を買っています。金持ちのほうが安く水を使え、貧困にあえぐ人々のほうが高い水しか使えないのです。

池上適正な価格で水が供給されるようにするには、どうしたらいいんですか?

水道施設の水のほうが、水汲みから買うより、安く水を使える、というエピソードからも自明です。社会全体で、お金を出し合って水のインフラ基盤を整えること。それ以外に方法はありません。日本は、戦後急速に水道設備を充実させました。だからこそ、値段を気にせずに水をふんだんに使えるようになったのです。水に困っている地域を救うには、やはり水道のようなインフラ整備が大切なのだと思います。

世界で今何が起きているの? 日本が今出来る事を見つけたい!! 世界で今起きているいろいろな問題、JICA現地スタッフや関係者からのコメント、取材を通してわかった国際貢献の現状。 詳しく見る

池上彰よりINDEX「水の問題」(前編)「水の問題」(後編)
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