国際緊急援助の歴史

1979年

−カンボジア難民から始まった国際緊急援助活動−

欧米主要諸国が医療チームを中心とする援助チームをタイ・カンボジア国境周辺に素早く派遣する中、当時、日本は政府ベースでも民間ベースでもこのような事態に対応する体制が確立されていませんでした。
日本政府も医療チームを派遣しましたが、諸外国と比べて著しく遅れ、これが、初めての国際緊急援助活動となりました。

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カンボジア難民支援

1980年〜

-国際救急医療チーム(JMTDR)設立と「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」施行-

カンボジア難民に対する支援活動の反省と経験を活かし、1982年3月、日本政府は海外の災害に対応するため国際救急医療チーム(JMTDR)を設立しました。これにより、平常時より医療関係者をボランティアとして登録し、海外での災害に即応する体制が出来上がりました。
1985年9月のメキシコ地震、同年11月のコロンビア火山噴火にも医療チームは派遣されましたが、「医療支援だけでなく、救助隊員や災害対策の専門家の派遣を含めた、総合的な国際緊急援助体制の整備が必要」と認識されるようになり、その結果、1987年9月「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」(JDR法)が公布・施行されました。
この法律の整備により、救助チーム、医療チーム、専門家チームという今日の国際緊急援助体制の基盤が完成しました。

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1985年メキシコ地震

1990年〜

−JDR法の改正と国際平和協力(PKO)法との整理−

さらに1992年6月には、より大規模かつ自己完結型の緊急援助隊の派遣を実現させるため、「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」の一部改正案が国会で可決され、これにより、自衛隊が国際緊急援助隊へ参加することが可能となりました。
同時に、同年に制定された「国際連合平和維持活動等の協力に対する法律」(通称PKO法)とJDR法の対応範囲が整理され、紛争に起因する災害はPKOが、それ以外(自然災害、ビル倒壊などの人為的災害)の災害は国際緊急援助隊が対応することで整理されました。

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1998年ホンジュラスハリケーン(自衛隊部隊初派遣)

2000年〜

−過去最大のミッション−

2000年以降も国際緊急援助隊は数多くの災害に派遣され、被災地の人々に手を差し伸べてきました。過去最大のミッションとなった2004年のスマトラ沖地震・津波では、スリランカ、モルディブ、インドネシア、タイの4カ国に救助、医療、専門家、自衛隊部隊の合計14チームが派遣され、緊急対応から復旧復興支援まで切れ目のない支援を行っています。
また救助チームは、2010年3月、捜索救助の国際的ネットワークであるINSARAG(国際都市型捜索救助諮問グループ、事務局は国連人道問題調整事務所:UNOCHA)が認定する国際都市型捜索救助チームの能力分類において、最高水準である「重(ヘビー)」チームの認定を受けました。

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2010年 重(ヘビー)チーム認定の様子

2015年〜

−国際緊急援助隊の発展−

2015年は、国際緊急援助隊の体制に様々な変化がありました。救助チームは、2015年3月にINSARAGの国際都市型捜索救助チームの能力分類において再受検を行い、再び「重(ヘビー)」チームの認定を受けました。
医療チームは、長年構想を続けていた機能拡充チーム(注1)がネパール地震の際に初めて派遣されました。医療チームとして初の野外での全身麻酔手術も実施しました。また「JDR MOS」と呼ばれる電子カルテシステムが完成しました。「JDR MOS」の導入により診療スピードのアップ、更にデータ集計の迅速化が見込まれ、今後医療チームの活動効率が飛躍的に向上することが期待されています。
2015年10月には、2014年に西アフリカで感染が拡大したエボラ出血熱への対応を踏まえ、国際的な感染症の流行に、より効果的に支援を実施するため、感染症対策チームを新設しました。今後、感染症対策に係る幅広い分野での活躍が期待されています。
近年、自然災害の発生件数が増加傾向にある中で、国際緊急援助隊に求められる役割も拡大しています。そうした期待に応えていけるように、そして一人でも多くの被災者の笑顔を取り戻せるように、国際緊急援助隊はより一層の能力向上を続けています。

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2015年ネパール地震
医療チーム初の手術

(注1)通常の外来診療機能に加えて、手術・透析・病棟機能を有したチーム