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JDR派遣事例 私たちだからこそできる援助を、被災地へ。

2010年 ハイチ地震 〜脆弱国家における救援活動と国際協調の重要性〜

日本の対応:

調査チーム:3名
1月14日〜1月16日
1月16日〜1月29日

医療チーム:26名
1月16日〜1月29日

自衛隊部隊:183名
1月16日〜2月18日

物資供与:
3,000万円相当の緊急援助物資(テント、毛布、プラスチックシート、ポリタンク、スリーピングパッド、浄水器)をハイチ政府に供与

 2010年1月12日、16時53分(現地時間)、ハイチ共和国首都ポルトープランスから西南西25kmの極めて近い地域でマグニチュード7.0の大規模な地震が発生しました。これにより、死者222,517人、負傷者310,928人、被災者300万人以上と未曾有の被害となりました。この被害に対し、日本は調査チーム、医療チーム、自衛隊部隊の派遣、また3,000万円相当の緊急援助物資の供与を実施しました。


【写真】

大腿骨骨折の小児の治療

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治療を終え笑顔の戻った少女

 医療チームは首都から南西へ約40km、震源地近くのレオガン市看護学校敷地内で活動を行い、8日間で延べ534人の治療を行いました。活動後半まで患者の殆どが重傷者であり、搬送先もない状況の中で、各国チームと協働し被災者の救援にあたりました。また看護学校の生徒や教員から、通訳や介助などの支援を受け、苦しい環境ながらも、現地の人々と協力して活動することができました。ハイチは災害発生前から、国連PKOミッションが派遣されており、安全管理に大きな問題を抱えていましたが、活動地域の治安維持担当であるスリランカ軍の警護をうけることができました。スリランカ軍司令官からは「2004年のスマトラ沖地震の際にスリランカも大きな被害を受けたが、その時も日本からJDR医療チームが駆けつけてくれた。今回はその恩返しもかねて、日本チームを警護できることを嬉しく思う」と、過去の支援に触れ、困っときはお互い様との言葉に、この活動に対する誇りと、継続していく勇気をもらいました。

2008年 中国西部大地震 〜初のチャーター機活用による迅速な派遣〜

日本の対応:

救助チーム:
第1陣(32名):5月15日〜21日
第2陣(29名+救助犬3頭):5月16日〜21日

医療チーム:23名
5月20日〜6月2日

物資供与:
6,000万円相当の緊急援助物資(テント、毛布、プラスチックシート、スリーピングマット、ポリタンク、浄水器、簡易水槽(3000L)、発電機(コードリール付)を中国政府に供与

 2008年5月12日、14時28分(現地時間)、中国西部の四川省の省都である成都から北西約90kmの汶川県において、マグニチュード7.9の大規模な地震が発生しました。これによる被害は死者69,227人、行方不明者17,923人、負傷者374,643人と甚大な被害となりました。この被害に対し、日本は救助チームと医療チームの派遣、また6,000万円相当の物資供与を行うなど、中国政府の要請に応えました。

派遣決定後6時間での出発、そして初のチャーター便による派遣

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チャーター便で被災地に向かう救助チーム

 5月15日正午頃、日本政府は中国政府の要請を受け、派遣を決定しました。日本は中国政府の期待に応えるべく、迅速な対応を行い、派遣決定から約6時間で第1陣が日本を出発するという極めて素早い対応がとられました。

 そして翌16日13時17分に第2陣が、日本からは初となるチャーター便により派遣されました。従来、チャーター便の利用は困難でしたが、国内環境の変化に伴い、2006年にJICAと株式会社日本航空の間でチャーター便運用に関する覚書を締結し、JDR派遣の際にチャーター便を利用することができるようになりました。中国への派遣は覚書締結以来、初の大規模なJDRの派遣であり、チャーター便により直接被災地の成都に向かうことができ、それにより極めて迅速に活動をすることができました。チャーター便は医療チームの派遣にも活用され、その有用性が実証されました。

救助から医療、そして復旧・復興へ

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瓦礫内で捜索活動を行う救助隊員

 この派遣では救助チームがまず活動を行い、救助チームの帰国のタイミングに合わせ、医療チームが派遣されました。その際、救助チームに帯同する医療班により医療チーム隊員に対し、現地医療事情の説明が行われ、その後の医療チームの活動方針を決める大きな要素となりました。

 この両チームの活動後、JICAでは復旧・復興のための調査団を7月に派遣し、中国側の緊急救援能力の強化や被災者のこころのケアに関するプロジェクトなど、緊急支援から復旧・復興まで包括的なアプローチにより、支援を行っています。

2006年 インドネシア ジャワ島中部地震 緊急援助から復興支援まで切れ目のない支援を

日本の対応:

医療チーム:26名(先遣隊7名含む)
先遣隊:5月28日〜6月10日
本隊:5月29日〜6月10日

自衛隊部隊:264名
2006年5月30日〜6月21日

物資供与:
2000万円相当の緊急援助物資(テント、スリーピングマット、毛布、発電機、コードリール、簡易水槽、浄水器、プラスチックシート)をインドネシア政府に供与

 2006年5月27日、インドネシアの古都・ジョグジャカルタでマグニチュード6.3の大地震が発生。これによる死者は約5,800名、負傷者は約138,000名にのぼり、その惨状は世界に伝えられました。日本はインドネシア政府の要請を受け、いち早くJDR医療チームを派遣。10日間にわたり、献身的な活動を行いました。

先遣隊(緊急援助調査チーム)の派遣

 今回の医療チームの派遣にあたっては、いくつかの先進的な試みがありました。一つ目は7名の先遣隊の派遣です。医師2名、看護師2名を含むこの先遣隊の活動により、地震が発生した2日後には現地で医療活動を開始できたのに加え、1日後に現地入りした本隊のスムーズな活動開始につながりました。

被災地医療施設の本格的支援

【写真】

先遣隊活動開始

 二つ目は、被災地医療施設の本格的支援です。今回医療チームは、最大の被災地・バントゥール市でも最大規模のムハマディア病院の前の道路で診療サイトを開設し、同病院をサポートする形で診療を行いました。初期は同病院で対応しきれない患者を診療していましたが、JDR医療チームの資機材だけでは対応できない患者が診療サイトに来た際は同病院に搬送して診療を依頼するなど、双方が緊密な連携を保ち、相互補完しながら活動することができました。同病院は近郊のメラピ火山の噴火に備え防災対策を行っていたこともあり、医療チームが活動を終える頃にはいち早く機能を回復し、医療チームの活動を無理なく現地の医療機関に引き継ぐことができました。

本格的な巡回診療および国際機関との連携

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巡回診療を行う隊員

 三つ目は、本格的な巡回診療および国際機関との連携です。バントゥール市を拠点に、車で30分〜1時間位離れたところにある5つの村に医師と看護師がペアで巡回し、処置を行いました。重症の患者がいた場合は、本人の意思及び病院の受け入れを確認した上で近くの処置可能な病院に搬送。搬送の際は、緊急時の車両を手配していたIOM(国際移住機関)と連携しました。

切れ目のない(シームレスな)援助への試み

 最後は復興支援調査担当2名の参加です。このチームのミッションは、緊急支援に続く復旧・復興支援のニーズをいち早く把握し、迅速かつスムーズな復興につなげることでした。同チームの成果もあり、日本が初中等教育、保健医療、水道分野に重点を置いた復旧・復興支援に取り組む意志を他国に先駆けて表明し、インドネシア政府から高い評価を得ました。

2003年 アルジェリア地震 トルコの救助チームと合同で人命救助に成功

日本の対応:

救助チーム:
1陣(18名):5月22日〜5月29日
2陣(43名+救助犬2頭):5月23日〜5月29日

医療チーム:22名
5月25日〜6月7日

専門家チーム:7名
6月12日〜6月19日

 2003年5月21日、日本から遠く離れたアフリカの国・アルジェリアで、2200人あまりが亡くなる大地震が発生しました。この大災害に対し、日本は国際緊急援助隊の救助チーム61人、医療チーム22人、そして専門家チーム7人を派遣。合計90人の派遣は、1987年の「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」施行以来、3番目の大規模なものでした。

 現地時間5月23日深夜(日本時間24日)、救助チームは倒壊したホテルのがれきの下から、ホテル従業員の行方不明者を全員救出し、うち1名は生存が確認されました。この救助活動はトルコの国際緊急援助隊と合同で実施。偶然トルコチームの中に、以前JICAの研修員として大阪消防局で研修を受けた隊員がおり、現場で合同作業が決まったのです。

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生存者救出の瞬間

 日本の救助チームの活動は、アルジェリア政府と捜索・救助活動を行ったホテルから高く評価され、内外のマスコミでも紹介されました。

 また医療チームは、献身的な医療サービス、しっかりした組織体制、医療だけでなく清掃活動にまで率先して取り組み、現地で高く評価されました。

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初の救助犬派遣

 専門家チームは、アルジェリア政府の震災対策本部、住宅省、公共事業省に協力しつつ、建造物の耐震診断、倒壊をまぬがれた建築物の補強方法、社会インフラの復興計画策定、都市復興に必要な行政の取り組みなどに関して、技術的な助言を提供し、アルジェリア政府に対して報告書を提出しました。

これに対して住宅省大臣が専門家チームに面会を希望し、アドバイスを求めるなど、アルジェリア政府が高い関心を示すとともに、専門家チームの活動は、現地新聞などで高く評価されました。

2003年2月 ベトナム・中国におけるSARS 謎の肺炎SARS制圧に専門家チームが取り組む

日本の対応:

【ベトナムSARS】

専門家チーム:
1陣(3名):3月16日〜3月25日
2陣(3名):3月26日〜4月1日

【中国SARS】

専門家チーム:4名
5月11日〜5月16日

 2003年2月23日、上海・香港を経由してベトナムのハノイに到着したアジア系米国人男性が、原因不明の急性かつ重症の呼吸器症状を示し、2月26日ハノイのフレンチ病院に入院、3月5日に香港の病院に緊急移送されましたが、原因特定ができないまま3月12日に死亡しました。その後、3月12日までにフレンチ病院の26人の医療従事者と職員が、先のアジア系米国人と同じ症状で入院しました。

 世界保健機構(WHO)は、この疾病を「重症急性呼吸器症候群(SARS:Severe Acute Respiratory Syndrome)」と命名するとともに、3月15日には史上初めて「緊急注意喚起(Global Health Alert)」を発し、世界的な注意を呼びかけました。

 しかし、国際社会の関心がイラク戦争に向けられているさなかのことで、世界的な注目は集まりませんでした。このような状況の中、日本政府は3月13日、ベトナム政府からの要請を受け、翌14日には早くも緊急援助隊専門家チームの派遣を決定しました。

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感染防御機材を供与するベトナムSARS専門家チーム

 緊急援助隊専門家チームの第一陣は、SARS感染者が拡大していた3月16日にハノイ入りし、ベトナム保健省やWHOと緊密に連携しつつ、日本の無償資金協力で建設されたバックマイ病院で、SARSの発生状況についての情報収集・分析、患者の治療方針と感染防御体制についての助言・指導を行い、感染防御機材を供与しました。

 専門家チームの活動期間中、世界中にSARSが拡大していましたが、ベトナムでは感染者の増加が抑えられていました。そして、4月28日にはベトナム保健省がSARS制圧を宣言し、WHOも同日、ベトナムを域内感染国リストからはずしました。

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北京SARS専門家チーム

 この緊急援助隊派遣は、JICAの災害援助の歴史のなかでも、初めての新感染症に対する専門家チーム派遣でしたが、迅速な派遣と、当時まだ正体不明だった謎の肺炎に挑んだチームの医師らによる適切な指導・助言が功を奏しました。ベトナム保健省からは「私たちが一番苦しく、支援を必要とした時に、日本はサポートの手をすぐに差し伸べてくれた」と感謝されました。

 その後、中国でも毎日100人前後のSARS感染者が発生し、中国政府の要請(同年5月9日)を受けて、国際緊急援助隊の専門家チームが中国にも派遣されました。専門家チームは、北京の日中友好病院において、ベトナムでの成果をふまえた活動を行いました。

 これに対して、中国側からはSARSが猛威をふるう中、感染のリスクを抱えながらの専門家チームの活動に敬意が表されました。