長期研修員向け地域理解プログラム「関西の企業家から学ぶ」を実施しました

2021年4月2日

JICA関西は、JICA開発大学院連携構想の下、地域の近現代の発展と開発の経験を伝えるプログラム(地域理解プログラム)として関西の大学院で学ぶ長期研修員(留学生)に、関西の歴史・発展・開発経験事例を年数回にわたって紹介しています。今回は昨年に続き2回目となる「関西企業から学ぶ」をテーマに、明治維新後の関西経済を発展させた企業家の実績をたどり、関西地域の産業発展の歴史の理解することを目的に実施しました。さらに、このコロナ禍の時代に注目される保健・医療(製薬)分野にも焦点をあて、本分野における関西企業の発展・貢献についても触れました。2回目の緊急事態宣言を受けてオンライン開催となりましたが、21か国31名の留学生(大阪大学、関西学院大学、京都大学、神戸大学、神戸情報大学院大学、同志社大学、立命館大学)が参加し、中には遠く離れた海外から参加してくれた留学生もいました。(※)
※新型コロナ感染拡大防止のための入国制限により、一部の留学生は自国で遠隔授業を受けながら、来日できる日を待っています。

日本のものづくりの歴史を知る

 3月10日(水)、JICA関西主催の地域理解プログラム初のオンライン開催であるため、「ネット環境が悪くてアクセスできない留学生がいたらどうしよう」というJICA担当者の心配をよそに、開始時間の午前10時には海外からの参加者も含めほぼ全員が集まり、地域理解プログラムのコンセプトと当日のテーマ説明の後に、歴史街道推進協議会による講義が始まりました。
 最初の講義は「日本のものづくりの歴史」です。日本が世界に誇る「ものづくり」は、古くは古墳時代(3~7世紀)にまで遡ることができます。朝鮮半島や中国大陸から影響を受けながら、独自の技術を発展させていきました。芯柱(Damping Pillar)と呼ばれる法隆寺の五重塔にも使用されている建物構造は、東京スカイツリーにも応用されており、その時代の日本技術がいかに高度であったかが伺えます。
 また、明治維新後、関西における産業振興は大阪を中心に展開していきました。大阪に造幣局ができてからそのスピードは一気に加速し、大阪は「東洋のマンチェスター」「煙の首都」と呼ばれるようになりましたが、その影には海外から輸入した製造機や、多くの外国人が科学者、土木関係者、製鉄関係者、帳簿管理者として関わっており、造幣局の設立・発展を支えました。やがて繊維貿易が栄え、それら大阪製品を取り扱う伊藤忠などの商社ができていきました。
 大阪が盛り上がる一方、京都は東京への遷都以降、経済活動が停滞傾向でしたが、舎密局(せいみきょく)と呼ばれる化学技術の教育・研究のために作られた公営機関(理化学研究施設)が開設されたことで、西洋の理化学による産業知識の普及と製造方法の指導において大きな役割を果たし、後に日本の化学を世界レベルに押し上げる礎となりました。この舎密局には、ドイツから理化学教師としてワグネル氏が招聘され、彼に師事した一人である島津源蔵が、後にノーベル化学賞受賞者を輩出する株式会社島津製作所を創業しました。この他、農工商の三業に新たな業種を誘致する等の立て直しを図るため、産業振興センターの役割として勧業場が設けられ、織布、洋紙などの事業場(モデル工場)が次々と京都府内に開設されたことで、京都の産業発展が進みました。
 長い鎖国時代を終え、明治維新を経て近代化・西洋化の道を歩んだ日本の歴史を知り、留学生からは「なにが日本を開国へ導いたのか」「天皇制における国民の権利はどのようなものか」等の質問がされました。

日本の医療史を知る

歴史街道推進協議会による講義風景

 江戸初期に創業された田邉屋(現在の田辺三菱製薬株式会社)をはじめとして、大阪道修町(大阪市中央区)は江戸時代から薬種問屋が軒を連ね、今もなお多くの製薬会社が本社を置く「くすりのまち」として知られています。明治維新とともに、明治政府は医療の分野においても西洋化を推し進め、1870年代にはそれまでの和漢薬等の東洋医学から西洋医学(特にドイツ)・それにともなう薬(洋薬)を推進するようになります。また、明治初期の日本では、自国で洋薬を作る技術はなかったため、輸入薬に頼っていました。しかし輸入薬の中には粗悪品も多かったため、1874年に明治政府は、日本発の国立医薬品試験機関である司薬場を設置しました。
 天然痘、コレラ、麻疹等、日本はこれまでも数々の脅威的な感染症に見舞われました。明治維新後は、機械化により大量生産できる大規模工場ができたことで出稼ぎ労働者が増え、工員が結核菌を故郷に持ち帰ることで地方への感染拡大が起こっています。最後に講師から、これらの経験が今の日本の感染症研究、衛生理念に影響を与えており、このコロナ禍も必ず乗り越えられるはずだと力強いメッセージが添えられました。

関西の企業精神を知る

参加した留学生の皆さん(一部)

 講義のあとは、関西にゆかりのある企業家と企業をいくつか取り上げ、その精神・理念を学びました。大阪企業家ミュージアムから、展示されている関西にゆかりのある多くの企業家から特に重要な人物を取り上げ、学芸員の方にその経営理念、企業家精神についてお話いただきました。侍から役人となり大阪のビジネス発展に尽力した五代友厚。たった3人の社員から創業し、今や世界的企業になるまでを一代で築き上げた「経営の神様」松下幸之助。同じく世界的企業である日清食品株式会社の創業者安藤百福は、40代半ばで一度倒産を経験するも、「お腹が満たされれば争いは無くなる」を信念に開発を続け大成功を収めました。3名それぞれに分野は異なるものの、共通して言える成功の秘訣は「諦めない力」ということを知りました。
 この後、以下3つのミュージアムより、事前収録動画によるリモートツアーを行い、全プログラムを終了しました。
<シャープミュージアム>
シャープ創業者の早川徳次の経営哲学、当時の時代背景とともに同社の製品開発にまつわる歴史や最新の技術開発に関するレクチャー動画視聴。

<田辺三菱製薬史料館>
1678年の江戸時代に創業し日本の中でも最も古い製薬会社。明治維新期の東洋医学(和漢薬)から西洋医学(洋薬)への移行改革に関するレクチャー動画視聴。洋薬の自社製造とは難しく、主にドイツからの輸入薬を販売するにとどまっていた。しかし、第1次世界大戦により、ドイツからの医薬品の輸入が途絶えた為、自社工場(吉富工場等)を建設。吉富工場は現在でも同社における国内有数の生産設備を誇る場となっている。

<島津製作所創業記念資料館>
島津源蔵が舎密局での学びを基に理化学器械製造の業を始め、後に島津製作所を創立。明治20年代になると、二代目島津源蔵が新たな所主となり、医療用X線装置で国産第1号となる製品の開発・事業化を実現させ、日本における産業と医療の発展を促した。近代工業化を進めた同社は医療機器以外にも分析機器、分光機器等を開発し、時代の変遷とともにその時代のニーズにあった新商品を数多く生み出し、企業の発展とともに社会に貢献してきた。

 後日、参加した留学生からは「日本の近代化の歴史や関西地域の産業発展の歩みについて理解することができた。」「鎖国時代から開国を経て現在と、時代の背景とともに、日本が徐々に今日の日本へと発展を遂げた経験・歴史を学ぶことができて良かった。日本も医学分野をはじめ西洋の知識を取り入れ、少しずつ経済成長を遂げた経験は自分の国のような途上国にとって貴重な教訓となった。」「オンラインであったが、このプログラムに参加できてよかった。次回はオンラインではなく対面で実施できることを願う。」と、感想が寄せられました。

 JICA関西の地域理解プログラムは、2020年度に「自然災害からの復興、開発の歴史と防災」「琵琶湖をめぐる開発と保全の教訓」そして「関西の企業家から学ぶ」のテーマで全3回実施しました。合計59名の留学生が参加し、各テーマの視点から関西、ひいては日本の発展について知識を深めました。私たち日本人でもまだまだ知らないことが多い関西の発展の歴史・知見を得て、留学生たちが自身の研究やその先にある開発途上国の発展につなげていくことを期待しています。