ブラジルに派遣されている野球隊員が子供たちを連れて来日しました!

2019年9月19日

2017年10月より日系社会青年海外協力隊の野球隊員としてブラジルに派遣されている宮田瑠星さんが、現地で指導している子供たちを連れて来日しました。
日本滞在中は福岡の少年野球チームとの交流試合や九州六大学野球の観戦などを行いました。今回、「クラウドファンディング」を利用しての来日ということで、その部分も含めてインタビューを行いましたので是非、ご一読ください。

青年海外協力隊に参加されたきっかけを教えてください。

【画像】15歳の時に親類がオーストラリアに住んでいたこともあり、オーストラリアまで一人旅をしました。その時に文化などが日本と異なる部分を見て「外国のことをもっと知りたい」と帰国してからずっと思っていました。
また、若い時に異国の文化を学ぶ事で自分の将来に役立つのではないかと思い、大学を卒業したら日本を出たいとも思っていました。
そして小学校1年生から始めた野球を高校、大学と続けていたのですが、福岡大学在学中にボリビアで野球を教える青年海外協力隊短期ボランティアの募集がありました。ぜひ「行きたい!」と思い応募したのですが、派遣される期間が公式試合と重なったこともあり参加することができませんでした。ちなみにそのボランティアには私の同級生も複数人、派遣されました。
その事がきっかけで、青年海外協力隊に野球を指導する分野がある事を知り「自分の好きなことを仕事にしたい」という思いと異国で野球指導ができる点に魅力を感じ、就職活動の際には協力隊への参加を進路の第一希望にしました。
無事に協力隊に合格し2017年度3次隊野球隊員としてブラジルに派遣されました。
ちなみに、もし、協力隊に合格しなければ、海外に行くことが出来る企業に就職しようと思っていましたね。また、協力隊の募集説明会にも参加しましたが、その当時は待遇面などで不安がありました。また、周りの友人はちゃんと就職するのに、それと異なる道を進むことになるので、そんなことも不安でした。
しかし実際にブラジルに派遣された今はそんな不安は全く無くなり、協力隊に参加して本当に良かったと思っています。

ブラジルでの協力隊の活動はどのようなことをされているのですが?

アマゾナス州マナウス市にあるマナウスカントリークラブで、現在は週7日野球指導を行っています。月・水・金は州立の中学校と貧困地域の子供達の指導、火・木は青年チームの指導、土・日はクラブの子供達への指導と毎日どこかで野球を指導する隊員として活動しています。楽しいことばかりでは無いですが日々マナウスの野球を向上させるために奮闘しています。
もともとの活動要請は「現地には大人が50名位で子供が20名ほどいるが現在は週末だけ練習しているので週末だけではなく平日も2日増やして週4日で野球の指導をしてほしい」というものでした。
実際、派遣されてみると大人は50名位いたのですが、子供は6~7名くらいしかいませんでしたし、練習も日曜日の午前中だけしかやっていませんでした。そんな状態が半年間くらい続きました。そこから、自分で野球の指導が出来る様にいろいろな所にアポイントを取って訪問し交渉したところ、州立の中学校で「週3回午前中に野球指導をやっていいよ」ということになりました。
また、指導している青年チームの奥さんやガールフレンドとかに「ソフトボールをやらないか?」と声をかけ、火曜日と木曜日の19時から22時くらいまで、成人女子のソフトボールの指導をするようになりました。このチームには8か月くらい関わって土台を作りましたが、私が忙しくなったので、現在は現地の人に引き継ぎました。
マナウスカントリークラブの子供たちは州にたった一つのチームなので試合をする機会がありませんでした。それを改善しようと思い「ファベーラ」という貧困地域があるのですが、そこの子供たちに声をかけて「マナウスドリームス」というチームを作りました。
貧困層の人々への社会貢献活動を目的に毎週金曜日に食事を提供することを条件にして、貧困地域の子供たちを指導しています。
そんな感じで朝から寝るまで野球づけの毎日です。
ブラジルでは自分が思っていたより野球人口は多いのですが、競技者のほとんどは日系人が多い首都サンパウロに集中しています。サンパウロにはチームが100以上ありますし、日系人を中心として毎週試合が行われています。
しかし、私が派遣されたマナウスでは他にチームがないので、州立学校の体育の授業に野球やソフトボールを取り入れてもらい、各学校にチームを作り対戦出来る様にする事を最終的に目指しています。まずは、指導している州立の学校と現地の日本人駐在員の子弟が通う日本人学校との親善交流試合を早慶戦のように定期的に開催できるようにやっていこうと思っています。といっても日本に帰国する日も近いので、実現できるかはわからないですが、私の次の協力隊員に引き継ぎたいと考えています。
実は総領事館も応援して頂いているので、いつかは実現させたいですね。
協力隊に参加して一番感じているのは人の目が気にならなくなったことですね。
日本にいた時なら、「この人に何か言ったら駄目かな」とか、「失礼かな」とか思うことでも、言えるようになりました。例えばイチロー選手に「マナウスに来てくれませんか?」と手紙を書きました。返事は全く返って来ませんでしたが(笑)
そういう、日本では無理だと思えることでも、協力隊員としてブラジルで過ごすうちに思い切ってやれるようになりました。

なぜ日本に子供たちを連れてくることになったのですか?

宮田さんとお母さま
(お母さまもこれからJICAの草の根技術協力事業でブラジルに関わる予定です)

クラブのチームにはベネズエラ人の選手が5名程います。その中の一人の選手が「日本で野球がしたい」と私の着任当初から言っていたのでいつか彼の夢を叶えてあげたいと思っていました。また、彼の父親はコーチとして指導してくれていたのですが、父親からも「サンパウロか日本で息子に野球をプレイさせたい」という相談をずっと受けていました。
そんなとき、その父親が白血病を発病したのです。私自身も父親を19歳の時に亡くした経験があり彼と彼の父親の為に力になりたいと思い「クラウドファンディング」を利用して日本に連れていくことを決めました。
当初は私が協力隊の活動を終え、帰国した後に日本で受け入れるという話をしていたのですが、病気になってしまったので、「クラウドファンディング」で費用を集めることにしたのです。最初の頃は毎日不安でSNSを使って発信したり、知り合いに連絡したりして眠れませんでした。また、日系企業にスポンサーになってもらえるように挨拶にも行きました。自分が言い出したからにはあとにはひけないという思いで必死でした。
「クラウドファンディング」は1か月の期間でしたが期間中に「この時点でこれだけ賛同があれば達成率90%ですよ」というようなラインが表示され、実行者だけが観ることができるグラフがあるのですが、始めて2週間くらいした時点での目標値をはるかに超えていたので、ようやく「達成できるかもしれない」と思えるようになりました。そして今回、選手たちの来日を実現できましたが、「最後までやり遂げたい」と頑張れたのは野球をやっていたお陰だと思います。それは、例えば怪我をした時に母親から「グラウンドに立ったら痛そうにしてはいけないし最後まであきらめてはいけない」と教えられたことが生きています。また、父親からも厳しく育てられましたが、野球を通してそういうマインドを持つことができました。

ブラジルから子供たちと来日されていかがでしたか?

【画像】今回のことを通して「こんなにも私のことを応援して、助けてくれる人がいるのだ」ということに気が付きました。
滞在中の予定を作る段階では、母校の出水中央高校や福岡大学には知人がいますので、お願いできるのですが、今回、訪問したグローブの工場見学やレストラン、宿泊先の民宿等は友人のつてを借りて紹介して頂いたんですね。
「頑張っているとそのように応援してもらえるんだ」と思いました。
お世話になった方には、協力隊の任期を終え、日本に戻ってから何か恩返しをしたいということも思っています。
また、ブラジルから来日した子供たちの日本での様子ですが、毎日、疲れることを知らず、とにかく興奮しています。
また、日本では規律がしっかりしていますが、ブラジルでは時間にルーズであったり、掃除もしなかったりするような子供たちも「この時間にここにいなかったらおいていきます」とか「挨拶しなかったらおいていきます」と伝えています。ブラジルではそういうのはないんですが日に日に日本でルールを学び、成長しているのが見受けられます。日本という国の文化や習慣は素晴らしいなと思います。
また、日本の野球レベルの高さを改めて感じています。日本人の子供たちとの交流試合は21対0で完敗でしたが、本当に楽しかったです。子供たちには「エラーしてもいいし、三振してもいいから同じ年代の日本の子たちを見て沢山学び、野球を楽しみなさい」と伝えていました。

ブラジルに戻ってから今後はどのように活動される予定ですか?

【画像】協力隊の任期も今年の末までになりましたが、私の後任の協力隊員が来るのに少し時間がかかりそうだということなので、現地の人たちだけでマナウスの野球を維持して欲しいと思っています。ブラジルに戻ったら現状よりもっと発展出来る様に今、私がすべてやっていることを、教えている各チームに監督を置いたり、資金面なども含め現地の人たちに引き継げる作業をしたりしたいです。そして私がいなくても野球がしっかりできるというのが最終目標です。
また、日本に戻ったら母校の高校で野球を教えたいと思っています。
もしくは野球に携わる仕事がしたいと思っているので、日本の野球に無い、海外の野球文化を日本にもって来たいです。例えば中南米の選手が今以上にもっと活躍出来る様な環境作りや野球の文化にもインターナショナルな環境が必要なんじゃないかと思います。
いい例でいうと日本人選手がメジャーリーグに行っても通訳を挟むことで他の選手との距離感が生まれてしまいますので、そういうのが無くなっていけば、もっと日本人選手もよいことを取り入れていけるのではないかと思います。日本の指導者しか知らないことだけじゃなくて、海外の指導法などを取り入れられれば良いですね。そういうことを日本に戻ってきたらやりたいですね。