大統領府
ブルクジャの花
| 1811年 | スペインから独立 |
| 1864〜70年 | 三国戦争(対ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイ連合軍)で人口激減 |
| 1932〜35年 | チャコ戦争(対ボリビア)に勝利 |
| 1954年 | ストロエスネル将軍がクーデターにより政権掌握、以後35年にわたり独裁政権継続 |
| 1989年2月 | クーデターによりロドリゲス将軍が政権掌握 |
| 1989年5月 | ロドリゲス将軍、大統領に就任 |
| 1993年8月 | ワスモシ大統領就任、39年振りの文民政権誕生 |
| 1998年8月 | クーバス大統領就任 |
| 1999年3月 | ゴンサレス大統領就任 |
| 2003年8月 | ドゥアルテ大統領就任 |
| 2008年8月 | ルゴ大統領就任 |
1521年にスペイン人によって発見されるまで、パラグアイは先住民であるグァラニー族の支配するところでした。彼らは、焼き畑農業を営む温和な先住民であり、スペイン人探検家とは早くから友好な関係を築いていたといわれています。スペイン人探検家たちは定住地として、1537年に現在のアスンシオンに港をつくり、この地方の植民の根拠地としました。アスンシオンはヨーロッパへの銀の積出港として栄え、スペイン総督府が置かれましたが、1617年にアルゼンチンのブエノス・アイレスに移されました。
パラグアイは1810年に独立を宣言し、ブエノス・アイレス総督府からの遠征軍を2度にわたって撃退、1811年5月14日独立を達成しました。その後、27年間のフランシア博士政権下の鎖国政策を経て、カルロス・アントニオ・ロペス大統領が誕生しました。同大統領は開明的独裁政治を行ない、国力が大いに充実しました。
次期は息子のフランシスコ・ソラーノ・ロペスが大統領に就任しましたが、1864年、ウルグアイの内紛に端を発したブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの3国同盟を相手とする、三国戦争(1864〜1870年)に突入して敗れ、領土は半減し、国民数は130万から30万人へ激減するという痛手を受けました。
さらに、1932年、北部地域での国境紛争をめぐり、紛争地域名からチャコ戦争(1932〜1935年)と呼ばれるボリビアとの戦争が勃発しました、パラグアイは紛争地域の大部分を確保したものの、財政的に大きな痛手を受けました。
第2時世界大戦では、1942年に枢軸国との断交を行ない、1945年には宣戦布告しました。
19世紀以来、政党間の抗争や内紛が続き、常に政情不安定でしたが、第2次世界大戦後もこの状況は変わらず、1947〜1954年のわずか7年の間に6人の大統領が政権に就きました。
1954年5月、ストロエスネル陸軍司令官を中心とするクーデターが起こり、ストロエスネルが大統領に就任しました。その後、同大統領は、伝統的な大政党である国民共和協会(Asociación Nacional Republicana:通称コロラド党)の支持を得て、以降8期、34年間にわたり政権を担いました。
1989年2月、軍部によるクーデターによりストロエスネル独裁政権は崩壊し、同年5月に行われた総選挙(大統領および上下両院議員を選出)経て、首謀者であったロドリゲス将軍が大統領に就任しました。同大統領は制憲議会招集、表現の自由の確保、経済自由化など、民主化への基盤を作り、平和裡に政権を移譲しました。
1992年6月施行の新憲法に従い、1993年5月大統領選挙が行なわれ、同年8月にワスモシ大統領が就任し、39年ぶりの文民政権が誕生しました。同大統領は、民主化を重点公約に掲げ、人権の尊重、司法権刷新、憲法遵守など、民主化定着の観点から政治的には成果をあげました。また、軍部の政治、経済、社会的影響を大きく減退させました。他方、失業者の増加、貧富の差の拡大など、社会経済面では目ぼしい成果はみられませんでした。
1998年の大統領選にむけた1997年9月のコロラド党内予備選挙では、オビエド将軍が勝利し、同党の大統領候補となりました。しかし、同年12月、ワスモシ大統領は、オビエド将軍を上官(軍最高司令官である大統領)への誣告罪で30日間拘束し、その間に1996年の同将軍によるクーデター未遂事件の審判のため、特別軍事裁判所を設置しました。1998年3月、同裁判所はオビエド将軍に10年の禁固刑を判決し、最高裁でも争われることとなりましたが、最終的に最高裁も同判決を認めたため、オビエド将軍は大統領候補資格を喪失しました。
その後、副大統領候補であったクーバス元大蔵大臣が繰り上がり、副大統領には党内予備選挙2位であったアルガーニャ総裁が選ばれ、1998年5月の総選挙ではコロラド党が勝利しました。
1998年に就任したクーバス大統領は、信頼できる司法制度の確立、経済活性化、犯罪撲滅などを掲げ、民主主義強化への積極的姿勢を見せましたが、オビエド将軍の釈放措置を巡って国会および最高裁と対立することとなり、国会における重要法案審議が停滞しました。クーバス大統領弾劾の動きがでる中、1999年3月24日、アルガーニャ副大統領が暗殺され、この暗殺事件が引き金となった社会混乱の責任を取り、同年3月28日に同大統領は辞任しました。
アスンシオン市パルマ通り
クーバスの大統領辞任により、憲法の規定に則り、翌29日ゴンサレス上院議長が大統領に就任しました。就任後、同大統領の罷免を求める動きが活発化し、下院は罷免を議決しましたが、2003年2月に上院が否決したことにより終息します。同年4月27日、大統領選挙が実施され、ドゥアルテ与党国民共和協会(ANR;通称コロラド党)党首が次期大統領に選出されました。
2003年8月15日に就任したドゥアルテ現大統領は、汚職対策を含む政治改革及び経済構造改革を主要課題とし、腐敗幹部の追放や司法改革、税制改革の推進等、国民の期待に徐々に応えていきました。
2003年末には債務支払い不履行となる事態さえ予測された中、前政権末期には暗礁に乗り上げていたIMFとの交渉は、9月のドゥアルテ大統領の訪米を契機にIMFとのスタンドバイクレジット交渉が本格化し、10月のIMFミッションのパラグアイ来訪の折、現政権の改革努力が評価され、12月15日のIMF理事会にて正式合意に達しました。右合意に基づき、ドゥアルテ政権は、経済改革の面においても、外貨準備高の上昇、インフレの抑制、税収拡大等具体的な成果を上げており、2006年1月には所得税の導入を目的とする税制改革法案が成立しました。
2008年8月に、中道左派のルゴ元司教(野党連合「変革のための愛国同盟」)が大統領就任し、61年ぶりの政権交代となりました。
ルゴ大統領は、選挙公約である貧困層への指示、公立・外来医療・緊急医療の無料化、雇用創出、治安対策、司法改革、汚職対策、イタイプダム問題等の改善・解決に向けて努力しています。