monthly Jica 2008年7月号

特集 母子保健 かけがえのない命をまもるために

2008年は、2015年までに世界の貧困撲滅を目指す国際社会の共通目標である「ミレニアム開発目標(MDGs)」の中間年に当たる。7月7〜9日に日本で開催される主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)でも、地球温暖化問題やアフリカの開発と並び、ミレニアム開発目標達成に向けた取り組みの推進が主要テーマの一つとして議論される。「人間の安全保障」を重視する議長国・日本は、このままでは目標達成が困難とみられる保健課題への取り組みの強化を呼び掛け、国際社会が共有する行動指針を策定する方針だ。特に、依然として深刻な妊産婦・乳幼児の健康問題の改善に向けて、包括的な支援の拡充を強調している。

日本は戦後、母子保健の増進と感染症対策を中心に取り組み、保健医療システムの強化や地域保健活動、母子健康手帳の開発・普及などを通して妊産婦死亡率や乳幼児死亡率を改善させてきた。JICAは、そうした日本の経験やノウハウを生かして、開発途上国の母子保健向上のための国際協力を積極的に展開し、ミレニアム開発目標の達成に貢献している。中でも、日本で発展した母子手帳は、インドネシアをはじめアジアに広がりつつあるほか、アラビア語初の母子手帳がパレスチナで作成され、全域への普及が進んでいる。

次世代の社会を担う子どもと、そのかけがえのない命をはぐくむ母親の健康を守るJICAの支援と成果を紹介する。

VOICES from Palestine
「母子手帳は将来への希望をはぐくむ」

【写真】パレスチナ自治区 【写真】

ジェリコ県ジフトリックのNGOが運営する診療所に母子手帳を持って健診に来た女性たち。昨年3月、ストライキで医療サービスの提供が滞る中、ジフトリックで、JICA帰国研修員同窓会、保健庁、JICA、UNRWA、NGOが協力して無料診療デーを開き、約1,200人を診療。手帳の啓発も行った

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UNRWAが運営するジェリコの難民キャンプの診療所に来た母親たち。UNRWAは、ガザ、ヨルダン、シリア、レバノンの難民キャンプでも手帳の導入を検討している

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パレスチナ版母子健康手帳と(左)ガイドライン。手帳は、妊産婦や医療従事者らの意見を聞いて改訂した。イラスト付きの説明で、読みやすく工夫されている。これまでに17万冊印刷された

2006年7月、アラブ地域初の「母子健康手帳」がパレスチナ自治区で産声を上げた。戦後日本の母子手帳を活用した母子保健の向上の経験を参考に、パレスチナ人自身の手で作られた手帳だ。イスラエルとの和平の行方は混迷し、長い占領下の抑圧的な生活の中で将来への展望を見いだせない人々に、「生命(いのち)のパスポート」と呼ばれるこの母子手帳が、一筋の明るい光を照らしている。

パレスチナ全域に母子手帳を

2008年5月14日に建国60周年を迎えるイスラエル。至る所で国旗がはためき、祝賀ムードに包まれている。一方、検問所を越えて入るパレスチナ自治区は、まるで喪に服しているかのような正反対の様相を呈す。翌15日は、「ナクバ(悲劇的災厄)」と呼ばれるパレスチナ人の苦難が始まった日から60年目に当たる。そして、その苦難を終わらせる和平の道筋はいまだ見えない。

そんな状況でも、小さな“命”を胸に抱いた母親たちの表情は力強い。ヨルダン川西岸地区東部、ジェリコ市の母子保健センターは、朝早くから健診に訪れた女性でにぎわっている。その手にあるのは水色の母子健康手帳だ。

「この手帳には、子育てや予防接種についてなど役立つ情報がたくさんあります。センターのサービスにも満足しています」

そう話すのは、双子の男の子の1カ月健診に来たファドワ・ヤコブさん。センターの看護師が手際よく双子の体重や身長を測り、手帳とカルテに記録していく。

この春、パレスチナ保健庁は、西岸地区全域の母子保健センターで手帳の運用を開始した。妊産婦は手帳を携帯することで、どのセンターでも適切な診断・治療を継続的に受けられるようになった。JICAの「母子保健に焦点を当てたリプロダクティブヘルス向上プロジェクト」で、パレスチナに手帳を導入する取り組みが始まってから、わずか3年の快挙だ。

妊娠・出産や産後の健康状態、乳幼児の発育状態が記録でき、健康管理や子育ての情報も記載され、母子の健康を守る役割を果たす母子健康手帳。日本ではすっかりおなじみの母子手帳が、なぜパレスチナで導入されることになったのか。

イスラエルの占領下にあるパレスチナでは、イスラエルによる経済封鎖や分離壁、入植地の拡大、検問・道路封鎖、外出禁止令などで経済活動や日々の移動も制約され、人口の66%が1日2ドル以下の生活を余儀なくされている。人々は日常的にさまざまな困難を強いられ、その影響は母子保健にも及ぶ。新たな分離壁や検問所の封鎖で、多くの女性が医療施設に通えなくなり、出産の兆候や異常を早期発見できず、検問所の長い列で出産する女性もいるという。

また、パレスチナには、保健庁のほか、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)※1、NGO、民間が運営する医療施設があるが、母子保健サービスが標準化されておらず、産前産後や乳幼児の健診の記録方法も統一されていないため、母子が継続したサービスを受けにくい状況だった。さらに、移動の制約に加えて、妊娠出産のリスクや子どもの健康管理に対する人々の意識が低いこともあり、産後検診・乳幼児健診の利用率は低迷していた。

これらの課題に取り組み、ミレニアム開発目標の一つでもある母子の健康改善を図る手段として注目されたのが、日本で戦後から今日に至るまで、母子保健水準の向上に貢献した母子手帳だ。その経験は、国際協力を通して、インドネシアをはじめ各地で活用されている。

05年8月にスタートしたJICAのプロジェクトは、保健庁や国連児童基金(UNICEF)とともに作業委員会を設置し、パレスチナ版母子手帳の作成に乗り出した。日本人専門家の指導のもと、日本やインドネシアでの経験を参考に、保健庁の職員が主体となって初のアラビア語母子手帳草稿を作成。日本で母子手帳の作成・運用に関する研修を受けて、草稿を改善した。その後、医療従事者や母親の意見を参考に製作した試作版を、06年7月にジェリコ県とラマラ県のパイロット地区の母子保健センターで配布し始めた。

さらに、日本で今度は手帳の活用・管理方法を学ぶ研修が行われ、手帳運用のガイドラインと全域普及計画が作られた。試作版の改訂を重ねるとともに、パレスチナ全域の医療従事者への研修や、住民への啓発活動を実施し、08年1月、ついに全国普及版の手帳12万冊(年間総出生数を補う)が出来上がった。印刷費も日本がUNICEFを通じて支援した。そしてこの春、西岸地区では公立の全医療機関だけでなく、UNRWAやNGOとの連携により、それぞれの医療施設でも手帳の運用が開始された。これはまさにパレスチナの歴史的瞬間であり、数々の試練を共に乗り越えてきたパレスチナと日本のプロジェクト関係者にとって、その努力が報われた瞬間だった。

※1 パレスチナ難民とは、1946年6月〜48年5月の間、パレスチナの地(イスラエル全域、ヨルダン川西岸、ガザ地区を含む)に在住していた者で、48年の第1次中東戦争(アラブ・イスラエル間)によってその地を追われた者とその子孫。約456万人(2007年)。UNRWAはパレスチナ難民を飢餓と困窮から救済するため、49年に設立された。

手帳による意識・行動変容

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母親たちのグループ討論で質問するカムヒーヤさん(右)。彼女は元保健庁職員。こうしたグループ討論を通して女性の変容を目の当たりにし、手帳が人々や社会に与えるインパクトを実感するとともに、プロジェクトの意義を理解したという

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ラマラに立つ分離壁。イスラエルの入植地とパレスチナ領土を分断する壁や、検問所、道路封鎖、外出禁止令は、パレスチナの人々の自由を奪い、危険にさらされる母子も多い

「パレスチナ保健庁はJICAとUNICEF、日本政府の協力で、アラビア語で初めての母子手帳を開発し、全国の母子保健センターに導入しました。お母さんたち、地元の母子保健センターに行って手帳を受け取ってください。UNRWAやNGOの診療所でも配布しています。そしてセンターや病院に行くときはいつも携帯してください」

パレスチナでは今、こんなラジオ放送が流れている。プロジェクトは、手帳の配布に合わせて、メディアやポスター、看板などによる宣伝活動を精力的に展開してきた。

ラマラのベトゥニア母子保健センターに、生後1週間の男の子を抱いてやって来たパレスタイン・キランさんは、「ラジオで手帳のことを知りました。産後のケアや子どもの発育に大事だって聞いて、欲しくて来ました」と目を輝かせた。

全国普及に先行して試作版が配布されていたジェリコやラマラでは、母親の意識・行動の変化、医療サービスに対する満足度の上昇など、すでに手帳の効果が表れている。

「今日は母子手帳がどんなふうに役立っているか、皆さんの意見を聞かせてください」

ジェリコ母子保健センターに程近い研修センター※2の一室に集まった10数人の女性たちに、プロジェクトスタッフのオバイダ・カムヒーヤさんが呼び掛ける。ほとんどの女性が赤ちゃんを抱いている。これは、プロジェクトが手帳の活用状況を把握するグループ討論のワークショップ。初めはためらっていた彼女たちだが、1人が話し始めると、発言は止まらなくなった。

「手帳のおかげで、産前の危険な兆候やその対応の仕方を知りました」

「母乳の適切な与え方を学びました。家族計画についても参考になる」

「以前4回流産したけれど、手帳を読んで産前検診の大切さを知って、母子保健センターに行くようになりました。無事にこの子が生まれてとても幸せです」

「夫が手帳を見て、栄養のある食べ物のことを知り、買ってきてくれるようになりました」

「手帳にある情報は大切なことばかりで、もっと詳しく教えてほしい」

彼女たちの表情は生き生きとしている。カムヒーヤさんも「母親だけでなく、家族や周囲の人々の意識・行動に変化が表れ、学習意欲も向上しています。手帳によって、女性のエンパワーメントだけでなく、母子保健サービスへの信頼感も高まっています」と笑顔を見せる。

自治政府が生まれてまだ14年。行政機能としては脆弱(ぜいじゃく)な面が多く、サービスを無料で受けられる公立の医療機関よりも、地元に根差したNGOやUNRWAの医療施設、都市部では、女医が常駐し機材も充実した民間の医療施設を好む人も少なくない。しかし、プロジェクトで手帳の導入に合わせて母子保健センターのスタッフの研修を行い、パイロット地区のセンターには超音波診断装置などの機材も整備して、サービスの向上を図ったことで、公立のセンターに来る女性が増えている。

センターのスタッフの間でも、手帳導入に対する評判は上々だ。「手帳のおかげで、より自信を持って患者を診療できるようになった」「患者とだけでなく、ほかの医療従事者とコミュニケーションがとりやすくなった」「健康教育のいいツールであり、家族の病気を予防してくれる」といった声が寄せられている。

しかし、専門家の津田加奈子さんによると、試作版を導入した当初は「仕事の負担が増えた」と苦情や反発も多かったそうだ。

「新しいシステムが入れば当然、業務量は増えるし、慣れるまでは大変ですよね。でも、使っているうちに手帳の効果が分かってきて、今では『この手帳はすごくいい』って言うんですよ(笑)」

※2 JICAの技術協力プロジェクト「パレスチナ地方行政制度の改善」で造られた、地方行政職員のための研修センター。

全国普及達成を支えた力

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ジェリコ母子保健センターに産前検診に来たリム・ハシャーンさん(右)は、「手帳はとても役立つし、センターのサービスも良くなった」と萩原さんに感謝の気持ちを伝えた。センターのスタッフも「手帳はサービスの統一化と質の向上に役立っている」と言う

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ジェリコ市郊外のブルカ母子保健センターで乳児の成長を測る看護師。自治区の人口は約370万人(うち難民160万人)で、その半数以上が18歳以下。女性の初婚年齢は平均19歳で、1人の女性が生涯に産む平均の子ども数は4〜5人と多い

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5月13日にラマラで行われたプロジェクトの成果報告会では、封鎖が続き接触が難しいガザとテレビ会議でつなぎ、ユニスさんが発表。ガザでは、UNICEFを通して手帳は届いたものの、末端医療従事者の研修ができず、運用は開始されていないが、ユニスさんはあきらめてはいない

新しいシステムの導入という、ただでさえ困難を伴う試みに追い討ちを掛けた“試練”が、公務員の給与未払いから発したストライキだ。その背景にはハマス政権の誕生がある。06年1月に行われたパレスチナ立法評議会選挙で、イスラエルとの共存を認めないイスラム原理主義組織ハマスが勝利して成立した政権に対し、欧米諸国は援助を凍結、イスラエルも代行徴収税の送金を止める。それらは自治政府の財源の大部分を占め、ハマス政権は公務員に給与を支払えない状態に陥った。また、日本政府の外交方針から、同年3〜6月はプロジェクトの活動も制限された。その後、8月にパイロット地区で試作版の手帳の配布を始めたものの、翌9月から約5カ月にわたり公務員のストライキが続き、公的保健医療サービスもほぼ停止。その影響で手帳の配布は停滞を余儀なくされた。

07年3月にハマスとファタハ※3による挙国一致内閣ができたが、両者の抗争が激化し、6月にハマスがガザ地区を制圧。内閣は崩壊し、西岸地区で非常事態内閣が設立され、パレスチナはハマスが統治するガザ地区と、ファタハが統治する西岸地区とに分かれ、現在も内紛状態にある。

このように、プロジェクトの展開が難しい情勢であるにもかかわらず、なぜ全国普及の快挙を成し遂げることができたのか。

手帳の開発からかかわり、保健庁の上層部に全国普及の必要性を訴えたバーセム・アッリマーウィ・ラマラ県保健局長は、日本での研修が特に有効だったという。彼は手帳運用ガイドラインと全域普及計画の策定のための研修に参加した。

「正直、日本に行くまでは自信が持てなかった。日本の経験を見聞きして、私たちも、手帳を活用することで、患者の情報を医療機関の間で共有し、共通の保健システムを構築できると確信した。また、日本人は伝統と地域社会を重んじ、互いを尊重する。勤勉で、明確な目標を持ち、達成するための計画を立て、素晴らしい国をつくってきた。そんな日本での研修はより説得力があった」

チーフアドバイザーの萩原明子さんは、「日本で研修を受けたバーセムさんらの活躍が、全国普及を後押しした」と話す。また、日本などの経験を参考にしつつも、現地の社会や人々の好みに合う手帳を、パレスチナ人自身が作り上げてきたことが、比較的短期間で人々に受け入れられた要因だと考える。そのプロセスの中で、パレスチナ人のオーナーシップや、自分たちのプロジェクトであるという意識も根付いてきたという。

ストライキの間も、プロジェクトに携わる保健庁の職員らは、無給にもかかわらず出勤し、活動の前進に尽力した。ジェリコ県保健局のカマール・ジャーベル局長は、「日本人専門家らの継続的な努力なしに、この成功はなかった」とした上で、「私たちにとって、わが民族のために、個々の利益を犠牲にして奉仕するのは当然の責務である。それは、苦難に耐えて生きてきた私たちの歴史、文化なのだ」と強調した。

そうした声に多くのパレスチナ人が同調する。拷問のような検問所や突然の道路封鎖…もはや困難に耐え忍ぶことが日常ともいえる中で、苦しみを跳ね返す力を身に付けてきた彼らには、プロジェクトが直面する難題も切り抜けられないはずがないという意思が感じられた。

手帳の作成・普及を通じて保健庁、国連機関、NGOのパートナーシップが強化されたことも、手帳の全国普及、医療機関の枠を超えた母子保健サービスの統一化を促進したが、パートナーシップの根底には「すべてのパレスチナ人の未来のために」という組織を超えた共通の使命感があったに違いない。

プロジェクトは7月末に終了するものの、手帳の全国普及は始まったばかりだ。母子保健改善への道のりの第一歩を踏み出したにすぎず、間もなく始まる第2フェーズプロジェクトに関係者の期待が高まる。手帳の定着、医療従事者の継続的育成、健康教育の拡大、自主財源化、民間の医療機関との連携、分断されたガザ地区での普及。統一した母子保健サービスを持続させるための課題は多い。しかし、目標達成を疑う声は一つもなかった。

アナーン・マスリー保健庁副大臣は「パレスチナの苦境はこれからも続くだろう。それでも、私たちは、いつか平和が実現することを願いながら、能力の向上に努め、活動の継続に尽力する。パレスチナの母と子、すべての人々のために」と決意を述べる。

“国”ではなく、また不安定な情勢での技術協力はJICAにとっても大きなチャレンジだが、萩原さんは、こうした民生の安定を図る協力が、人々の中に平和な社会を望む意識をはぐくみ、平和構築を促す可能性があると考える。そして、日本の人々に向けてこう語った。

「パレスチナ人は、政府が不安定な状態でも、支援を続ける日本に信頼感と感謝の気持ちを持ってくれています。日本が戦後の復興の中で母子保健を改善させてきた経験に、パレスチナの人々が共感し、地域の発展に役立ててくれることは、日本にも元気と誇りをくれるでしょう。パレスチナは日本から遠く、危険なイメージがあるかもしれませんが、日本だからできる、中東和平への貢献があるのです」

「母子手帳は人々の将来への希望をはぐくむ」。そう言ってくれたのは、イスラエルによる経済封鎖・攻撃が続くガザ地区で、手帳の普及に奔走する保健庁のユーニス・アワダッラーさん。電気や燃料、物資の不足で、基本的な医療すら提供できず、毎日の生活も困窮を極め、「希望」からかけ離れたガザの人々の痛みは計り知れない。

ささやかながらも平穏な暮らしが今日も明日も続く。その尊さを心に刻むとともに、そんな当たり前の日常すらはかないパレスチナの人々に、かけがえのない命を守る母子手帳が、将来への希望をつむぐ一助となることを願う。

※3 アッバース大統領が議長を務めるパレスチナ解放機構(PLO)の主流派。

※この記事に関連するその他の情報は、「『人』明日へのストーリー内の『特集』コーナー」に掲載されています。

【「人」明日へのストーリー】
日本と開発途上国の架け橋としてJICAの活動に関わる人々を通し、4つのコーナー(ジャーナリストが見たJICAの現場特集インタビュー動画)でJICAの活動を紹介しています。