熱帯サバンナ開発にみる食料安全保障

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セラードについて熱く語る本郷豊嘱託職員

ブラジル内陸部に位置する広大な熱帯サバンナ地帯(日本の国土の5.5倍)をブラジル政府と協力、一大穀倉地帯に変貌させたJICAのセラード農業開発プログラムは、日本のODA事業の中でも極めて規模の大きな事業だ。また、世界の食料供給基地をアメリカとブラジルの二極化することに貢献した。

この貴重な経験を食料不足に悩むアフリカで活用することを目的に、日本とブラジル両国が協力して「アフリカ熱帯サバンナ農業開発協力」への取り組みが検討されている。アフリカには地球上の熱帯サバンナの5割が集中し、広大な未利用農業適地が存在する。2009年4月3日、ブラジルを訪問した大島賢三JICA副理事長はブラジル国際協力庁長官との間で、アフリカ熱帯サバンナ農業開発協力を進めていくことで合意した。

そこで20年間にわたりセラード農業開発協力事業に携わり「セラードの生き字引」と言われる本郷豊(ほんごう・ゆたか)JICA中南米部嘱託職員に、ブラジルの経験を生かしたアフリカ熱帯サバンナの開発戦略と展望について聞いた。

―長年、ブラジルの熱帯サバンナ「セラード」地帯の開発に携わられた本郷さんですが、セラードとのかかわりはどのように始まったのか教えてください。

最初の海外赴任地がセラード地帯に位置する日系移住地だったのが始まりです。1974年のことですが、構造哲学の泰斗レヴィー・ストロースが名著『悲しき熱帯』で描写したように「大陸で最も不毛な、半砂漠の地域」が地平線の彼方まで広がっており、ここでは近代的農業生産は到底不可能だと感じました。

―日本のセラード開発援助はいつ頃始まったのでしょうか?

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開発前のセラード地帯

1974年に田中角栄元首相がブラジルを訪問したのを機に、日本はセラード地帯の開発支援をブラジル政府に約束します。日本は、1970年代の穀物価格の暴騰被害をまともに受けて、アメリカ一国に依存していた食料輸入先を多角化させることが急務でした。しかし当時、「不毛の地・セラード」の農業開発は無謀だとの強い非難もありました。

田中元首相が支援を約束してから約5年の準備期間を経て、「日伯セラード農業開発協力事業」の監督・調整機関として日伯合弁会社が設立されます。JICAはこの事業に出資し、私は1979年にその会社へ役員補佐として出向しました。

1979年に始まったセラード農業開発協力事業は、その後、第2期、第3期と2001年まで続き、私はブラジルと日本の両国組織に身を置いてこの業務に携わりました。この間、セラード地域に21の開発拠点(合計33万4,000ヘクタール)を建設しました。

日本のセラード農業開発は、資金協力と技術協力を車の両輪として実施したのが特徴です。

−セラード地帯がやがて穀倉地帯に変わっていくわけですが、成功のカギは何だったのですか?

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セラード米の農薬散布の様子

技術的には土壌改良です。セラード土壌は、簡単にいえば「栄養分が溶脱した『出がらし土壌』」です。土壌は強酸性で、作物の生育を阻害するアルミニウムの濃度が高いのが問題でした。こうした土壌に石灰を散布して土壌酸度を矯正し、肥料を加えることで土壌改良を図ったわけです。また、大豆、トウモロコシ、小麦といった温帯作物の熱帯性品種を育種したことも成功の要因に挙げられます。

この他、開発モデルとして「組合主導入植方式によるフロンティア地帯での拠点開発事業」を導入したこと、ブラジル南部から日系やヨーロッパ系移民の優良農家が入植したこと、民間の合弁会社に監督・調整を任せたこと、比較的流通インフラが整備されていたこと、ブラジルが自国内で農業生産資機材を製造する能力を有していたこと等が成功要因として挙げられると思います。

−そうしたセラードの開発経験が、ブラジルと日本によるアフリカ支援を支えるわけですね。

今年は日本がブラジルへの技術協力を始めてから50周年にあたります。またアフリカからの研修員をブラジルで研修させる三国間協力を始めてから20年を迎えます。両国は長期にわたる技術協力事業を通じて強い信頼関係があり、成熟した国際協力のパートナーといえます。

また、日本はTICAD(アフリカ開発会議)に代表されるようにアフリカ支援を強化しており、ブラジルもポルトガル語圏アフリカ諸国等を中心に援助を強化しています。一方、アフリカ諸国は農業振興による経済発展を希望し、他方世界は新たな食料生産・輸出基地を求めている。アフリカの熱帯サバンナ農業開発は、関係国のみならず世界共通の利益になるものと期待しています。

−セラード開発で培った技術は、諸条件が異なるアフリカでも生かせるのでしょうか?

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セラード地帯におけるトウモロコシ灌漑の模様

ブラジルのセラード地帯とアフリカの熱帯サバンナ地帯では、農学的に多くの共通点が認められています。ブラジルには30年にわたるセラード農業開発によって、アフリカ熱帯農業に応用できる多くの知見が蓄積されています。比較的簡単な試験で生産性を飛躍的に向上できるだろうとの予測もあります。

しかし一方で、ブラジルとアフリカ諸国とでは社会経済環境が大きく異なり、ブラジルのセラード開発モデルがそのまま単純に移転できるとは考えられません。

−具体的に課題となるポイントを教えてください。

ブラジルのセラード農業開発は、無人の不毛地帯を技術力と資金力で耕地化できるか否かかが主要課題でした。インフラ、近代経営農家、マーケットなど、アグリビジネスの土台は一通りそろっていました。

しかし、アフリカは技術・資金面だけでなく、農家の技術レベルや流通面でも課題が残ります。開発から流通に至るまでの資機材、貯蔵施設そして国内市場が不足し、農家もまとまっていません。

セラード型サバンナ開発の技術移転はできますが、課題はどうやって地域開発をするかです。組合活動の導入や試験研究・普及活動・融資制度等の行政能力の向上、社会経済インフラの整備など、地域の社会・自然・経済環境に適した「新たな開発モデル」の構築が必要です。

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 「若い人たちにはチャレンジ精神を持ってほしい」と語る本郷嘱託職員

−最後に、アフリカに関心を寄せる若い人たちにメッセージをお願いします。

セラード開発が議論された70年代、「前例がない」ということで慎重論や反対論がありました。アフリカ熱帯サバンナ農業開発が注目され始めた今日、やはり「前例がない。開発モデルがない」との慎重論があります。失敗のリスクとそれに伴う非難を恐れて何もしないのではなく、若い人ならではの大胆な発想と知恵を結集して、難問に取り組むチャレンジ精神を期待します。

また、自分の意見が通らないと嘆く前に、「己の見識を世に問え」と勧めたい。専門誌やメディアに発表し、世論の支持や評価が得られるか試す気概を持ってほしいと思います。

<プロフィール>
本郷 豊(ほんごう ゆたか)
1948年宮城県生まれ。1971年に農学部を卒業して、JICAの前身の一つである「海外移住事業団」に入団。その後、1974年にブラジルへ赴任したのをきっかけに、セラード地帯の開発協力に2001年まで携わる。ブラジルでは、1年間サンパウロ大学で熱帯農業について学ぶ。ポルトガル語堪能。現在はJICA中南米部常勤嘱託。

インタビュアー:杉下恒夫 JICA国際協力専門員
文責:広報室広報デスク 鈴木明日香