佐藤悦子 「ニカラグアからHola(こんにちは)!」
Etsuko Sato
山形県山形市出身
ボランティア調整員
- ボランティア調整員とは
- ボランティア調整員は、JICAの在外事務所において協力隊員、シニア海外ボランティアなどJICAボランティアの活動支援、安全管理、ボランティアの新規派遣に係る調査、関係機関との連絡調整など多岐にわたる業務を行います。現在78ヶ国に196名(2007.6.1現在)のボランティア調整員を派遣しており、年に2回派遣者を公募しています。
- 配属先
- JICAニカラグア駐在員事務所(マナグア市)
- 派遣期間
- 2007年8月〜2010年8月
- プロフィール
- 2000年7月青年海外協力隊として中米コスタ・リカへ赴任、青少年活動隊員として2年間活動。その後ボランティア調整員としてパナマ、そして2007年8月よりニカラグアへ赴任、現在に至る。日本ではなじみの薄い中米の様子やJICAボランティアの活動についてご紹介したいと思います。
第6回 ニカラグアで活動したボランティアの累計が500人になりました!(その1)(2010年6月21日)
500人達成ロゴ
200人の式典参加者たち
2010年6月21日、平成22年度1次隊10名が到着し、1991年に初めてニカラグアへ短期隊員が派遣されてからニカラグアへのJICAボランティア累積派遣人数が500人を突破した。
JICAニカラグアでは、去年から「500人達成ロゴ」作成に取り組んだ。「人同士が手をとって歩んできたことがわかるように」と、思ったデザインについてニカラグア人に感想を聞いたら「ゼロのデザインがキャベツに見える。500が『ご・まる・まる』ではなく『ご・キャベツ・キャベツ』ではないか?」と率直な指摘を受けたこともある。
き、キャベツ…。すごい想像力だ。
しかし、そう言われればニカラグアの市場に積んである丸くて小さめのキャベツに見えないこともない。苦し紛れにゼロの部分を7色にすることで『Go!キャベツ×2!』キャンペーンを回避した。
6月24日の記念式典のため、そのロゴをあしらったデカイ横断幕も作った。『日本・ニカラグア両国民の皆さんの協働(コラボレーション)に感謝します。JICAボランティア派遣500人達成!』。納品が遅れたが記念式典には間に合いそうだ。ヨシヨシ。
しかし前日、式典会場に飾ってみてびっくり。『コラボレーション』のスペルを印刷業者が間違えて『コロボレーション』になってしまっているではないか!式典まであと12時間。フラリ(目まい)。脱力している日本人スタッフを尻目に現地スタッフのロサーナさんがすぐさま業者にクレームの電話を入れる。こんな事態はありえないから、作り直してあと3時間後に持ってくるように確認。「アタシたちもう事務所に戻るから、新しいやつを会場にちゃんと吊っといてね!」す、すばらしい。もはやロサーナ軍曹。そう、ラテンのすごいところは直前までいくら段取りに穴があろうとも、結局本番には間に合わせてしまう能力であると思う。
そして式典当日。『コラボレーション』横断幕もバッチリ。斎藤 伸一特命全権大使、モラレス副大統領、バルドラック外務次官、運輸インフラ大臣、教育副大臣、文化庁長官など多くの高官が駆けつけてくれた。現在活動中の全ボランティアとカウンターパート、過去ボランティアを受け入れたことのある機関代表など200名余が会場を埋めた。TV・ラジオ局や新聞社も取材に訪れている。ヨシヨシ。(その2に続く)
第6回 ニカラグアで活動したボランティアの累計が500人になりました!(その2)(2010年6月24日)
取材に答える三輪隊員
隊員代表挨拶をする三輪隊員
6月24日、首都マナグアで行われたニカラグアへのJICAボランティア派遣累積500人達成記念式典には斎藤大使、モラレス副大統領、バルドラック外務次官ほか政府高官、現在活動中の全ボランティアとカウンターパート、過去ボランティアを受け入れたことのある機関代表など計200名が参加した。
ボランティア代表挨拶に立ったのは、平成19年度2次隊体育隊員として活動したのち短期隊員として「ニカラグアに帰ってきた」三輪隊員。ニカラグア人の優しさと温かさ、仕事を超越した友人として家族としての関係が生活・活動の大きな支えとなっていることへの感謝を述べた。さすが二度目の派遣、ニカラグアへの愛情を感じる堂に入ったニカラグアふうスペイン語である。三輪くんはこの後プレス取材にもガンガン答えていた。
来賓の祝辞に共通していたのは「JICAのボランティア事業は、直接現地の人に働きかける人間的な協力であり意義深い。これからも是非続けてほしい。」というものだった。「現地の人と同じ目線で活動する、草の根レベルの顔の見える協力」というボランティアの特徴を、受益国政府のトップレベルまでが理解し評価してくれているということである。
隊員の元カウンターパートのインタビュー式プレゼンテーションでは「派遣期間を3年にしてほしい」というリクエストも飛び出した。制度上さすがにそれはできないが、そう言ってくれることがうれしい。
訪れてくれたボランティア関係者のほとんどを知っている自分に、3年という時の流れを感じたひとときでもあった。私のニカラグア離任(8月末)も近い。(その3に 続く)
第6回 ニカラグアで活動したボランティアの累計が500人になりました!(その3)(2010年6月26日)
浴衣試着中
よさこいソーラン!
メッセージカードでできた虹
2010年6月、ニカラグアへのJICAボランティア累積派遣人数が500人を突破した。それを記念して6月26日土曜日、マナグア中心部のショッピングモールで日本文化紹介イベントを開催した。開場2時間前から人だかりができてしまう。サッカーW杯・ガーナ×米国戦にも全然負けない集客力。ヨシヨシ。
ステージ司会を務めたのは2名の隊員と浴衣姿のJICAニカラグア現地スタッフ・ロサーナ軍曹…いや、ロサーナ嬢。ニカラグアジョークを次々に飛ばす隊員に、ロサーナのほうがツッコミきれない場面まであった。会場のあちこちから笑いが起こる。ステージ周りでは習字コーナー、浴衣の試着コーナーに行列ができ、油性ペンで腕などに名前を書くインスタント・タトゥーも大人気。
今回の日本文化紹介に隊員たちは『ニカラグアと日本の架け橋に』というテーマを決めて取り組んだ。多くのニカラグア人が協力してくれた。「よさこいソーラン」をはじめ様々なダンスをすっかりマスターした隊員の配属先スタッフと教え子。日本人隊員との混成チームによるダンスステージは立派なものであった。折り紙コーナーでは日本語教師隊員の生徒がお客さんへの対応をしてくれた。また、立ち寄った市民にJICAボランティアへのメッセージを書いてもらい、虹の形に7色のメッセージカードを貼ってゆく企画も実施された。こんなに現地人が前に出る「日本文化紹介行事」もめずらしい。
全体を通して、日本人ボランティアが何かを提供するのではなく「ニカラグア人を主役に、ニカラグア人とともに」活動したいという隊員の熱意と想いが反映されていたと思う。同僚として、友人として、家族としてニカラグア人コミュニティに溶け込み、日本文化紹介を我がことのように実施してくれるまでの関係を築いてきたニカラグア隊員たちを誇りに感じた。
500人は一つの節目である。どこまで行くだろうか。いち・キャベツ×3(1,000人)になる日はいつだろうか。その頃ニカラグアはどうなっているだろうか。少しでもこの国の人たちが未来に希望を持ち、笑顔が増えていることを心から願っている。
第5回 続いてのユカさん「あなたが主役」(2010年4月2日)
ユカ隊員と子どもたち
教師のユカさんに続き、青少年活動のユカさんをご紹介。
中村 由香隊員(平成20年3次隊・青少年活動)のお決まりの自己紹介は、「私の名前はユカです。でも野菜じゃないですよ!」ほぼ100%大笑いで、ぐっと雰囲気がなごむ(なぜ大爆笑かは前回参照)。
小さな市の公立図書館に派遣されている。図書館で青年海外協力隊?!と思われるかもしれないが、ニカラグアには娯楽施設はおろか学校以外の文化・スポーツ施設はほとんど存在しない。住民が集うのは学校・保健センター・市役所、そして図書館なのだ。図書の貸し出し業務、市民に読書習慣をつけてもらうことが図書館の役割だが、この状況下で「本」だけではない総合的な文化・社会教育施設としての役割も日本以上に大きい。
由香さんは着任以来、図書館スタッフと相談しながら「子どもだけではなくもっとたくさんの市民に来館してもらおう作戦」を開始。まずは母親層を対象に、ピニャータ(くす玉のようなお祭りやパーティーにかかせない飾り)教室を開催。図書館スタッフ全員でピニャータ作りを習いに行き、その後自分たちが講師になる。結果、これが盛況で、毎週火曜日のクラスとして定着している。みんな手工芸が好き。学校での図工の授業があまりきちんとできていないので、総じて不器用だけど…。
さらにスポーツ大好きの由香さんは、もともとあったダンスクラスを活性化させることにした。よさこいソーランなど日本の踊りも教える。「図書館でダンスをやれるよ!」とうわさで、図書館来館者が増えてゆく。どこの世界でも口コミ強し。ダンスクラスは子どもたちが対象だが、メイクの手伝いやお迎えのため父兄が来館するようになった。自分の子どもが楽しそうに活動しているのを見るのが喜びのようだ。
こうして来館するようになった市民がついでに本を借りてゆく、読んでゆく。「はじめはついででもいいのです」カウターパートである館長のエダさんはにこにこ満足そう。
さて、ピニャータ教室もダンスクラスも図書館スタッフが主にやっており、隊員は子どもたちの着がえを手伝ったり、スタッフに「そろそろ時間じゃない?」と声をかける。よさこいソーランは多くの子どもがすっかりマスターし、初心者に教えるようになってしまった。由香さんはしきりに「私は助手なの。ぜーんぶ図書館のみんながやってるんだよ!」と強調する。もちろんスタッフもうれしそう。「ユカのダンス教室」ではなく「私たちの図書館のプログラム」。評価会議でこんな言葉が聞こえると、担当調整員の私は隊員の頑張りやアプローチのうまさを感じる。いつかは去る日本人ボランティアとして、現地の人が主役を張ってくれることほどうれしいことはない。それでもやはり由香さんの周りにはいつも子どもや青年、そしておばちゃんたちがわざわざ寄ってきてくれる。これもまた、うれしいことなんですよね。
第4回 スペイン語大好き!(2009年11月3日)
時には隊員が前に立って授業をし、同僚に助けてもらうことも。分数は難しい!
公開授業「円の面積」。授業者となる同僚は少し緊張ぎみ。隊員が補助します。
ニカラグアを含め中南米の多くの国の公用語はスペイン語です。スペイン語の発音は日本語とよく似ており、日本人には割と馴染みやすいようです。逆も然り(?)で、例えば日本語の「おなか空いた」は「ウナカシータ(Una Casita)/小さなおうち」と聞こえるようで、こちらの人が覚えやすい表現のひとつです。
語感が妙に納得できるスペイン語もあります。「泣く」をスペイン語で「ジョラール(llorar)」と言いますが、自分が泣きまくっていると「ジョロジョロ」、泣き虫のことを「ジョロン」。ついでに坊主頭のことを「ペロン」(ええっ)。
さて、日本人の名前には発音上こちらの人に覚えてもらいやすいものと、そうでないものがあります。名前を覚えてもらう、そして何よりはじめに周囲の心をつかむため、自己紹介が大事です。ラテンでは何をするにも「陽気」がカギ!笑わせてナンボです。
私の名前は「佐藤」ですが、「サトーです。サポ(ガマカエルの意味)ではありませんので、くれぐれもよろしく」と言えば、たいがい爆笑してくれます。緊張感もほぐれ話し合いもスムーズに。ただ、いつまでたっても「こんにちは、セニョリータ(Ms.)・さぽー!」と笑顔で挨拶されることもありますが、…仕方がないでしょう。
続いて日本人に多い「ユカ」さん(現在ニカラグアには3人のユカ隊員がいます)、「ユカ」さんたちは名前を言うだけで、ラテン人の心をつかむことができます!というのも「ユカ」はスペイン語で「キャッサバ芋」のこと。キャッサバは、日本で言えばジャガイモのような身近な存在感のイモです。「私はユカです。」と、100%普通に自己紹介するだけで、間違いなく大爆笑。ヒネリは不要。まあ日本語で考えれば、いきなり真顔で「私はジャガイモです、よろしくお願いします。」ですから、『いやいやいや、ジャガイモってアナタ!』。これで一気に打ち解けてみんなが名前を呼んでくれますから、笑いは重要です。
写真は、小学校教諭隊員のユカさん(種村 由加隊員/平成20年度1次隊)。ニカラグア北部エステリ県の教員養成校に派遣され、JICA技術協力プロジェクト「初等教育算数指導力向上プロジェクト」(下記関連サイト参照)が開発した算数の教科書・指導書を使って、同僚教員と協力し、学生たちを支援しています。基礎的な算数学力もなかなかついていない学生たちも未来の小学校の先生。教員は少しでも学力・指導力が向上するよう、技術協力プロジェクト、そして隊員とともに一生懸命です。
時に友だち、時に研鑽しあう仲間、時に母娘のような関係の同僚と隊員。一緒にバスに乗り、教科書を読み、教材を作り、お菓子を分けあい1年半経ちました。彼女の配属先ではもう誰も「Ms.ジャガイモ」で笑うことはなく「プロフェ・ユカ(ゆか先生)!ここ教えて」という声が聞こえています。
- 関連サイト:初等教育算数指導力向上プロジェクト
第3回 旅立ちと暑さ(2008年2月1日)
隊員歓迎の全校集会で紹介され、緊張の一瞬。
子どもたちは、日本の国旗を作って待っていてくれました。
さっそく馴染んでいます。さすが、隊員!
今年のお正月明けに派遣されてきた19年度3次隊隊員6名が現地語学訓練を終え、それぞれの任地へ旅立とうとしている。
隊員は任国到着後約1ヶ月にわたり現地語学訓練を受ける。たいがい同期と同じ語学学校であるためその間は仲間たちと過ごす時間が多く、日本感覚も抜けきらない。それが終わり、いよいよたった一人で任地での活動が始まるのである。イヤ、活動の前に生活だ。
- 私のスペイン語通じるんだろうか?
- ちゃんとベッドはあるんだろうか?
- どんな人と一緒に生活していくんだろうか?
皆それぞれドキドキと不安を抱えながらの赴任。一人ずつ、それぞれの任地へ分かれていく様子は通称「ドナドナ」(笑)。
このドキドキは後にも先にも一度きりである。20歳を過ぎてこんなに不安と期待とやる気をもって日々を過ごす体験など、日本にいたら滅多にない。
今日私も隊員2名を任地へ送り届けたが、その中に1名東北出身隊員がいた。全世界の協力隊員の東北出身者比率から考えると、ニカラグアは結構な東北率(7/56名※)である。そして彼らの任地は暑いニカラグアの中でもなぜか、とりわけ暑い地方が多い。今回山形県出身の宮古 咲子隊員(養護)が赴任したのも、暑いことで有名なエルビエホ市にある養護学校であった。
一年中で一番暑い3月、4月はもう目の前。がんばろう、東北出身トロピカル戦線!
第2回 「中米ってどこ?」(2007年10月25日)
今日の昼のお届けお弁当。約180円。右上の仕切りにある茶色のが煮豆。
ニカラグアは中米である。
アメリカの南は南米だと思っている人が多いが、一応「中」もあるのだ。北から(メキシコ)グアテマラ・ベリーズ・エルサルバドル・ホンジュラス・ニカラグア・コスタリカ・パナマが中米である。ベリーズ以外の公用語はスペイン語。
中米は、アメリカやメキシコに比べるとマメのように小さい国が集まっている。だからというわけではないが豆の消費量がとても多い。ご飯にみそ汁、ビールに枝豆、ラーメンにギョーザのごとく、ご飯に煮豆である(日本の小豆やささぎ豆のような感じ。塩味で煮る)。豆・豆製品好きの私は苦にならないが、豆嫌いの人の海外進出先として中米はやや無理があるかもしれない。
あんこにも粒あんとこしあんがあるように、煮豆にも粒のものとつぶしたものとがある。とにかく豆好きなのである。以前その辺の子どもに『好きな食べ物は?』と聞いたら「アイスクリーム」でも「ハンバーグ」でもなく『米と豆!!』と返ってきたことを思い出す。
マメのような7つの中米の国だが、食習慣から農作物から文化、スペイン語の言いまわし、そして国民性、似ていて非なるところがまたおもしろい。東北6県がそれぞれ似ていて違うようなものだと思う。
さてニカラグアでは、断続的に降り続いている雨の影響で豆の値段もまたはね上がりそうだ。庶民が悲鳴をあげる。もうすでに、豆価格は3倍を突破している。
だから私がお昼のランチに入っている煮豆を見て『また豆ッ!』と思うのも、幸せと言わなくてはいけないのだろうな。
第1回 「ニカラグア着任の巻」(2007年9月19日)
ニカラグアの田舎道
家の前に咲いていた熱帯植物花
8月2日、任地であるニカラグアに着任した。首都はマナグア、一年通して暑い。日本はそろそろ秋の風吹く頃だが、こちら待てど暮らせど秋は来ない。来るのは雨期か乾期のみ、スジガネ入りのトロピカルぶり。ザ・常夏である。前任国のパナマも、青年海外協力隊時代の任地も見事にトロピカルだった。東北出身なのに何故か熱帯に縁があるらしい。
そんなニカラグアでは生涯雪かきの必要がないうえ、年がら年中バナナだのヤシがぶらさがっている。ハイビスカスやブーゲンビリアが咲きみだれ、人ものんびりしている。などと書くと楽園のように聞こえるかもしれないが、熱帯ならではの風土病代表デング熱やマラリア、またハリケーンシーズンというものがある。9年前のハリケーン・ミッチでは甚大な被害をこうむったし、つい先日はハリケーン・フェリックスが上陸し北東部沿岸に大きな被害を与え、日本からも緊急援助物資が届けられた。http://www.jica.go.jp/activities/jdrt/2007/070912.html
ハリケーンでなくても激しい雨はしばしばで、屋根が抜ける!とばかりに降るし、雷は耳をつんざかんばかりに鳴る。ニカ歴の浅い私には結構なキョーフである。都市インフラも弱いので2、3時間の雨はすぐ洪水を引き起こす。そして、たいてい低地は貧困地域である。
ニカラグアに対する日本からの援助も多く、JICAボランティアは青年海外協力隊・シニア海外ボランティアに合わせて現在54名(※2007.9.1現在)。貧困削減や教育・保健の質向上、青少年育成などさまざまな観点からニカラグアのために汗している。暑さ・停電・断水の三重苦と戦いながら、そして時にその不便さを楽しみながら、ニカラグア人とともに皆がんばっている。
私は「ボランティア調整員」という役割で、彼らの活動の調整・支援業務に取り組んでいる。このWeb上では、できるだけたくさんのボランティアの活動を、そしてニカラグアや中米の素顔を伝えていきたいと思っています。