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清水広子 「移住地内の高齢者介護」

Hiroko Shimizu

【写真】清水広子

秋田県湯沢市出身
日系社会青年ボランティア

職種
高齢者介護
配属先
パラグアイ/ラ・パス日本人会(ラ・パス市)
活動概要
移住地では、日系一世の高齢化により、高齢者対策が重点課題となっている。ボランティアは、週3〜4日程度のペースで家庭訪問を行い、高齢者と家族へ助言を行う。また地域全体を対象とする高齢者福祉全般の講話、健康教室開催等も行う。
派遣期間
2005.1月〜2007.1月
プロフィール
1976年生まれ。県内の特養老人ホーム(デイサービスセンター)、老人保健施設にて介護福祉士として働く。現在、「JICA日系社会青年ボランティア」としてパラグアイの日系社会(ラパス移住地、同日本人会)に赴任。

第3回:「介護学習教室」と「訪問介護」(2006年12月21日)

早いもので帰国まで1ヶ月を切った。

長く、終わりがないように感じた1年目。”一体自分は何の役に立っているんだろうか・・・”と思い悩み、漠然とではあったが何度も任期短縮が頭をよぎる日々だった。
日本ではたくさんの仲間とともに5分、10分のスケジュールで介護に従事し、充実感よりもヘトヘトな毎日に虚しさを感じていたが、なぜかそれが妙に懐かしく、充実していた毎日に思えてきたものだった…。
しかし、赴任2年目に入る頃から風向きが変わり、自分の活動が充実してきた。気づけば任期短縮は頭をよぎらなくなっていた。
今回は私の活動の後半を大きく占めた『介護学習教室』と『訪問介護』についてご紹介したいと思う。

赴任半年後くらいから『介護学習教室』を毎月1回開催していた。介護について勉強したいという要望があって始めたものだったが、当初は「忙しいから」を理由に人が集まらず、私自身は準備していたものの結局中止となることが何回かあった。しかし、半年を過ぎる頃から少しずつ参加者(6人)に積極性が出てきて、私自身もやりがいを感じるようになってきた。(ご婦人方6人も集まれば勉強中にしばしば話が脱線してしまうが、憎めない・・・。回を重ねるごとに私と彼女たちとの人間関係もどんどん構築されていき、プライベートでもお世話になることが多かった。)
教科書などはないので、その都度手持ちの本をあれこれ引っ張り出して内容を考えて、配布資料などを作った。ここは日系社会の中でも非常に日本語が浸透していて、活動はすべて日本語でOKだったが、学習会では難しい専門用語などは出来るだけわかりやすく説明する必要があったし、話し言葉は大丈夫でも日本語の読み書きが苦手とする人が多かったので配布資料にも振り仮名を振るなどの配慮が必要だった。

介護学習教室:人形を使って清拭の練習。人形は婦人たちの手作り。

介護学習教室:人形を使って清拭の練習。人形は婦人たちの手作り。

訪問介護:ベッド上でのシャンプー介助。おばぁちゃんは気持ち良くてウット〜リ夢心地の表情を見せてくれる。

訪問介護:ベッド上でのシャンプー介助。おばぁちゃんは気持ち良くてウット〜リ夢心地の表情を見せてくれる。

訪問介護:足浴介助。座位が保てないのでベッド柵の隙間を利用。タライを乗せている木の台は旦那さんの手作り。

訪問介護:足浴介助。座位が保てないのでベッド柵の隙間を利用。タライを乗せている木の台は旦那さんの手作り。

学習会は座学が中心だが、時には人形を使ったり、自分たちが代わりばんこにモデルになって練習することもあった。しかし、人形は人形でしかないし、健常者がモデルになって練習しても、実際の場面で高齢者の介助をする感じとはやっぱり違う。“あぁ、日本だったらヘルパー講習会なんかでは現場で実習ができるのになぁ…”と、ついつい封印しているはずの『日本だったら』という言葉が喉元にこみ上げてきてしまう。

そんな中、赴任当初から私が家庭訪問していた70代後半のご夫婦の奥さんが、脳梗塞で倒れて重度の寝たきりになってしまった。中度の認知症で、主介護者である旦那さんが3年にわたる奥さんの介護疲れを私に漏らされていた頃だった。
家族と話し合ったところボランティア(私)による訪問介護を希望されたので、『介護学習教室』で介護を学んでいる婦人も一緒に同行させたい旨をお伝えすると「構わないよ」とのお返事。『訪問介護』と『介護学習会』を同時進行できるチャンスに出会い、”あぁ、これで少しは実技らしいことが婦人たちにも教えられる!”と、ご家族が私たちを受け入れてくれたことに感謝した。
移住地ではまだまだ介護に対しては閉鎖的な雰囲気がある。他人が自分の家の中に入ってきて、身内のお世話をすることに抵抗がある人が多いようだし、愚痴もこぼしにくい。それゆえ、こうして訪問介護が始められる事は画期的で本当にありがたいことだった。

訪問当初は私の都合がつかなければ中止になっていたが、今では私が出張などで留守にしても婦人たちが2名ペアになって訪問介護に出向いている。洗髪・全身清拭・足浴・手浴・おむつ交換・衣類シーツ交換など一通りのことを介助してくる。主介護者であるおじいちゃんは普段家から出ることが少なく、訪問介護で訪れた婦人と会話をすることがとても楽しみな様子だ。もう少しで1年たつが、ようやく婦人たちの活動が少しずつ根付いてきている。

今、婦人たちのこのような活動は日本人会から交通費が支給されるだけの、ボランティアだ。それでも、熱心に取り組んでいる。
6人中、2人はJICA日系人研修:介護コースに応募し、約2ヵ月半の研修を受けて帰ってきた。2人とも、視野を広げて一回りも二回りも大きくなった感じがした。今現在も応募を考えて書類を準備している人がいる。なかなか自分の思いを上手く書けずに書類に四苦八苦している彼女のお手伝いをしながら、“どうか受りますように…”と彼女の健闘を祈る。

いずれ日本人会はもっと本格的に高齢者福祉サービスに取り掛かる予定だが、いろいろ課題は山積みだ。予算的なこと、物質的なこと、そして人材育成。(現在介護ボランティアにあたっている婦人のほとんどは50代。)移住地内の啓蒙活動もまだまだ必要だと思う。

これまで前任のボランティアたちが畑を耕してくれていたところに、私は小さな種をまいたに過ぎない。今ようやく種が膨らんで芽が出掛かってきた。福祉の芽を枯らさないために、今後の水遣りを頑張るのはここに居る日系人全体の役目だと思う。
高齢者福祉という木が大きく育って枝葉を広げ、その木陰で移住に苦労した高齢者たちがゆっくり休めることを願わずにはいられない。

第2回:故郷の味「秋田きりたんぽ鍋」(2006年08月07日)

年に一度の「きりたんぽ鍋の会」

年に一度の「きりたんぽ鍋の会」

挽肉用のミンチ機械できりたんぽを作る!

挽肉用のミンチ機械できりたんぽを作る!

ダイナミックな南米バージョンのきりたんぽ

ダイナミックな南米バージョンのきりたんぽ

地球の裏側で食べる故郷の味、きりたんぽ汁

地球の裏側で食べる故郷の味、きりたんぽ汁

パラグアイには秋田県出身の移住者とそのご家族が数十名いらっしゃって、『秋田県人会』なるものがある。私もこちらに来てから県人会の方々にいつも気に掛けていただき、いろいろお世話になっている。

日本を遠く離れて味わう故郷の温かさ。『故郷』というキーワードで繋がりあう人間関係。これは日系社会の良さの一つだと思う。(そもそも日系社会という社会自体が、同じ故郷を共通点にして出来上がって今日まで発展してきたんだよね)

残念ながら私の任地には秋田県出身者も東北出身者もいないが、ここから50km程離れた他移住地には秋田県人会員のご家族、数組がいらっしゃる。(ちなみにそこの移住地は岩手県や山形県出身者の方も多く、よく東北訛りを耳にする。)
先月、年に一度の『きりたんぽ鍋の会』にお呼ばれされて出席して来た。

秋田県人会家族といっても、全員が元々秋田と繋がりのあった人たちではない。旦那さんは秋田県生まれだけど、奥さんは愛媛県・・・etcと、この日参加していた婦人たちは他県の出身者だったし、パラグアイ人の奥さんもいらっしゃった。そのように、縁あって秋田と繋がりの得た人たちと一緒にワイワイ言いながら作るきりたんぽは、なんだか不思議な感じがしてとても楽しかった。

本来なら、きりたんぽを作る際の御飯は(料理用語で半殺しと言われるが)ご飯を軽くつぶして棒にくっつけていく。しかし、この時登場したのはなんと挽肉用のミンチ機械!驚いた私が、「我が家では御飯を棒でつぶして半殺しの状態にするんですけど(笑)」と言うと、「そうよねぇ〜ホントは半殺しなんでしょ?これじゃあ皆殺しよねぇ〜」なんていう楽しい会話とともに作業は続いた。そして出来上がりサイズがこれまた大きい!皆殺しといい、ビッグサイズなきりたんぽといい、ダイナミックな南米バージョンである。

秋田比内地鶏は手に入らないけれど、元気に庭を走り回る“パラグアイ地鶏”をふんだんに入れた出し汁は、本場秋田のものと変わらないくらい本当に美味しかった。その昔、故郷を遠く離れた婦人らが“ここでも故郷の味を・・・”との思いで、工夫しながら作り出したのであろうきりたんぽ鍋。今では次の世代の婦人へと引き継がれて、味わられている。遠く離れた日本の反対側、ここパラグアイで。

ちなみに少し話は逸れるが、日系社会へ派遣されたボランティアは生活全体において地域との繋がりやお付き合いが非常に多い。(特に首都地域への派遣よりも、農村地域ほどお付き合いが濃くなってくる。)日系社会では行事も多く、任地では本来の職種の活動に加えて、様々な行事への参加や手伝いも活動の一部だ。

赴任したばかりの頃、行事もお付き合いも多いという日系社会に自分がついていけるのか不安を感じたものだ。今でも疲れていたり、いろいろ立て込んでいる時は正直言ってしんどいこともある。しかし、よく考えてみるとお付き合いやそれにおける人間関係をマイナスに考えていると、活動はもちろんのこと生活自体もマイナスになってくるように感じる。赴任して1年半が過ぎ、今では随分いろいろなことに慣れてきたせいもあるが、地域でのお付き合いや人間関係が自分自身の活動はもちろんのこと、全体の視野を広げてくれているように感じる。

私にとって秋田県人会の存在は格別だ。初めてお邪魔した時から今まで、いつも心安らぐ場である。そう、まるで私のオアシス。この日も懐かしい訛りを耳にして、「きりたんぽ汁」を3杯も食べて、故郷パワーをもらって帰ってきたのだった。

第1回:「移住地内の高齢者介護」 (2006年07月20日)

JICAのボランティア事業に参加して1年半が過ぎた。当初は青年海外協力隊を目指していた私。しかし、発展途上国にはまだまだ高齢者介護の要請はほとんどなく、今回もダメか・・・と思っていた矢先、ふと目を向けた募集要項の『日系社会』にはまさしく私が求めてた要請内容があった。

今年、パラグアイは日本からの移住が始まって70周年という節目の年だ。私の任地先の移住地は昨年入植50周年を迎えたが、その頃20代、30代で入植された人々は今や70、80歳の高齢者である。

日本を飛び立つ前、あまり先入観を持たないように気をつけてはいたが、いざここに着いたらあまりにも想像していた高齢者の姿とはかけ離れていた。そう、皆さんとても元気なのだ。移住地内の人口に占める高齢者の“元気度”が日本と全然違うように感じた。実際には寝たきりの方や認知症の方もいらっしゃるが、畑仕事やパークゴルフ、ゲートボールに汗を流して活動的に暮らしているお年よりの方が日本より断然多いように感じる。何故だ・・・???きっとこれは“広大な原始林に立ち向かった身体と精神力の違いか?!”と思う。

1年目は『介護問題はまだまだ先・・・』といった移住地内の雰囲気に私は赴任早々意気消沈し、“何しに来たんだろ・・・”という思いを抱えたまま、とりあえず前任者の仕事を引き継ぎ、なおかつ自分なりに新しい事も始めたりして毎日が過ぎて行った。しかし、今年に入り移住地内の雰囲気は急速に変化してきた。去年の日本人会は入植50周年記念祭の準備に追われ、高齢者事業への取り組みには手をつける余裕がなかったが、今年は何やらエンジンがかかってきたのだ。

最近になって思う。私は焦らないようにしつつもやっぱり焦っていたと。「ここは南米!ここのやり方、ここの流れがあるんだ」と頭ではわかっていても、相手は顔も日本人、言葉も日本語が通じる。(なので異国の感覚は薄い。)私の心は≪日本の感覚≫が抜けず、忙しなく事を進めようとしていたのではないだろうか。

パラグアイ国は高齢者への取り組みに関しては全く進んでいない。それにかける予算も無いし、第一そんな発想があるか疑問だ。しかし、少なくとも日系社会では高齢化が進んできているし、その事に日系社会も気付き始めた。『自分たちの力で何とか形を作らないと・・・』と、暗中模索の状況なのである。

最近、ようやく移住地内の人々も高齢者福祉や介護の問題について興味を持ったり、語りだしてきた。これには本当に大きな意味があると思う。 介護問題をタブー視して口を閉ざしたり自分たちだけで抱え込むのではなく、どれだけオープンにしていけるか・・・まだまだ閉鎖的なコミュニティーではそれが大きな鍵だ。

私の任期はあと半年。小さくても高齢者介護への関心の炎が消えぬよう、微力ながらその燠火をふうふう吹いて燃やし続けようと思う。

(1)活動風景:レクリエーション

(1)活動風景:レクリエーション 移住地では長寿会といって、いわゆる老人クラブのようなものがあり、そちらで月1回健康講座を開催しています。健康の話のほかに体操、レクリエーションなどを実施。今年からボランティア(介護学習会で勉強中の婦人)も加わり、昨年よりパワーアップした活動が展開出来るようになりました。

(2) 活動風景:介護学習会

(2)活動風景:介護学習会 「福祉ボランティアグループ」(メンバー6人)が結成され、こちらの方々に介護学習会を開催しています。この日のテーマは「高齢者の食事介助について」。

(3) 配属先の日本人会事務所にて
(3)配属先の日本人会事務所にて
普段はこちらに出勤。ここで健康講座や介護学習会の資料作りなどをしています。