鎌田真紀 「カマダマキ@ホンジュラス」
Maki Kamada
秋田県秋田市出身
青年海外協力隊
- 職種
- 村落開発普及員
- 配属先
- ホンジュラス/国際協力庁ホンジュラス赤十字(ラ・セイバ市)
- 活動概要
- カリブ海沿岸の地方都市にある赤十字団体のプログラムのうち、地域経済開発プロジェクトで製作している手工芸品の改良、新規企画・製作(流通)に協力する。商品は赤十字団体他、ラ・セイバ観光局内でも販売されている。
- 派遣期間
- 2005.4月〜2007.7月
- プロフィール
- 中央大学経済学部国際経済学科卒業。大学卒業後、アメリカへ留学。帰国後、フェアトレードカンパニーへ就職。環境問題、南北問題についての関心を抱くとともに、自己の可能性も求めて協力隊へ参加。ただいま中米ホンジュラスにて人生勉強中。
最終回:「すべての経験に感謝」(2007年06月05日)
コミュニティ巡回(1)
コミュニティ巡回(2)
佐藤藍子さんが活動取材に
事務所で
手工芸女性グループ販売会
女性グループとのミーティング風景
青少年グループとのミーティング
2年と3ヶ月のホンジュラスでの協力隊活動を終えようとしている今、走馬灯のように思い返すと、人生の収縮図のように、楽しいこともあれば辛いこともあった、本当に「人生山あり谷あり」の密度の濃い期間だった。特に辛い時期は、その真っ只中にいたときにはなかなかそうは思えなかったが、やはりこの時期があったからこその今の自分だと思っている。悩んだ分、それを乗り越えた経験が自信へとつながり、泣いた分、強さへとつながったということが今はよく理解できて、それらの経験にとても感謝している。
最近は活動の締め括りのため、これまで関わってきたプロジェクトの対象者である住民の小規模事業グループ運営自立のための最終調整に取り組んでいる。プロジェクト自体は今年いっぱい続くが、私が担当してきたグループは私の任期に合わせ、実質的プロジェクトからの卒業になるので、その後は運営も彼らのみでやっていくことになる。
私の着任当初、それらのグループはもう既に赤十字の地域開発プロジェクトの支援を受け活動をはじめてしばらく経っていて、どこかだらけた状態だった。
98年のハリケーンミッチ後の赤十字スペインの住宅建設プロジェクトによって新しく住居を得た住民を対象に、その後今度は自立支援を目的に立ち上げられたのが、私が配属された地域開発プロジェクト(スペイン赤十字の資金によってホンジュラス赤十字がプロジェクトを運営)だ。
しかし、そのプロジェクト、どのような支援をしつつ、自立に向かわせるかという明確なプランもなく、始めるだけ始めてしまった感があったので、着任早々から、改善するべき課題が山積みに散見していた。すぐにも指摘したい部分が山ほどあったが、スペイン語しかも異文化ということもあり、急がず、まずはプロジェクトの全体像を掴みながら、とにかく自分のできることをやり始めた。というのも、最初の頃はなかなか指摘しても真剣に取り合ってもらえなかったり(?)、理想と現実のギャップに落ち込んだ時期があり、その後自分のスタイルを変えてみたというわけだ。
名づけて「周りの環境を変えるよりは自分を変えてみよう」作戦だ。
意外にこの作戦はうまくいき、変に気張ったりしてストレスを溜めることなく、様々な違い(文化や価値観など)に柔軟に対処できるようになった。
そうすると目に見えるように明らかに、ネガティブなことに焦点をあてるよりもポジティブなことがより感じられるようになり、そうやって楽しく過ごすことで周りの景色も違って見え、周りからも信頼され、愛され、受け入れられるようになるという不思議な好循環が生まれた。
話がちょっとそれてしまったが、つまりその「コツ」をつかんでからは、この国のやり方やリズムを尊重しながら、忍耐をもって接するということも覚えた。課題はいっぱい見えていても、やはり住民側の許容範囲やヤル気が大いに関係するし、対象者である住民の状況を無視したプロジェクトの一人歩き(途上国で先進国が行なうプロジェクトにありがちだが)にならないためにも、牛歩を覚悟で毎日小さな一歩を住民とともに進めていったような感じであった。
手工芸女性グループの完全自立の責任者になってからは、課題に頭を抱えることは多くはなったが、より住民密着型の活動ができ、そこからさらにアイデアが生まれたりもした。
そのひとつに、地域の子供たちへ新たな「選択技」としての機会を提供するというものがあった。こちらの国では、学校は午前か午後どちらかというシステムが多く、コミュニティでも多くの子供がそれ以外の時間ブラブラしていたり、学校に行かない子供たちも少なくないという状況と、手工芸の女性グループが作る布製のバックに絵を描く人材が足りなかったということ、そして同期に美術隊員がいたということから、アイデアが具体的に形になったというわけだ。
絵の講習会(以前のエッセイ参照)後、今ではバックに絵を描くことで自分でお金を稼いでいる子供が数人いる。中にはそのお金を通学費に当てている子供もいる。
彼らがこれからも続けていけるように、グループの組織化もした。とはいえ、まだまだ絵も手直しが必要なレベルではあるし、マテリアルの扱いが雑だったり時間にルーズだったりと、驚くほど基本的な部分まで注意しなければいけない現状ではあるので(教育の重要性も身にしみて感じました)、組織化にともなって割り当てた役割もこれからきちんと機能していくのかはわからないというのが正直なところだ。
これは手工芸の女性グループについても他の小規模事業グループについても言えることだが、これからは彼ら次第だと思う。
私たちプロジェクトチームは、住民にこれまでの生活様式に新たな選択技としての種を蒔いたわけだが、将来どのような花を咲かせていくかは、彼ら自身がこれからも水を与え、地にしっかりと根付かせながら育てていけるかにかかっている。
村落開発などの仕事は一朝一夕に成果が見えるものではないし、長期的な展望が必要だ。
私の活動期間に目に見えた成果ももちろんあったが、大切なのは、彼ら自身が積極的に希望を持って、プロジェクトを通して学んだことを生活の改善にいかしていけるかどうかだと思う。実際にプロジェクトを通して講習会を受けたりアドバイスを受けることで、それまでの生活にはなかった新しい選択技が増えたのが確かだと思う。ぜひ、これからも自尊心を持ち、活き活きと生きていって欲しい。
そして、私自身にとってもこの協力隊活動は素晴らしい経験となった。
私の中にも多くの種をもらい、これは確実にこれからの私の人生の糧となっていくと思う。
一番大きな学びは、「人生で起こるすべてのことは自分自身で創っている」ということ。
周りが同じ環境だったとしても、それを受けとめる自分の見方次第で良くも悪くもなる。
これは、この協力隊活動で気づき得た人生のキーのようなものだと思う。これは悩みに悩み抜いた経験があったからこそ得た学びだと思う。おおげさに聞こえるかもしれないが、ここでは簡単に逃げることはできない。向き合うしかなかったから、一生懸命自分と向き合った、それが大きな気づきをもたらしてくれたのだと思う。実際、その時期を抜けてからは、自然体で活き活きと生活できるようになったし、なんだか本当に生まれ変わった感じがするのだから、私にとってはターニングポイントとでも言おうか、そのくらい大きな出来事だったと思う。
そんなこんな、かけがえのない2年3ヶ月のホンジュラス生活だった。 ありがとう、ホンジュラス。Gracias Honduras!
第8回:「短期隊員制度の活用」(2007年04月19日)
12月初旬に2年間の活動を終え帰国した訓練同期の美術隊員を短期隊員として呼び戻したいと考えたのは、彼女の任期中に一度私の活動先であるコミュニティの子供たちを対象に絵の講習会をしてくれたことがきっかけだ。
その講習会ではほとんどの子供たちが初めて絵に触れる機会となったのだが、技術的なものというよりは青少年活動に近いものだった。その後アイデアが膨らみ、私が関わっている手工芸の女性グループの作る商品へ手書きの絵を描く子供を育成したいという思いがでてきた。というのも、もともとグループの中に商品に絵を描く20歳の女性が1人いるのだが、たとえば大量の注文があるときなど彼女の負担がとても大きく、絵を楽しんで描くということができなくなってしまっていたのだ。そのため、最近ではもっぱらシルクスクリーンでのデザインに頼っていたのだが、それは外注になってしまうため、理想的にはコミュニティの中で商品を完成させるというのが持続可能な形であると考え、コミュニティ内から絵を描ける子供たちを育成するというアイデアがでてきたというわけだ。
幸運にも訓練同期の友人が美術隊員であったことから一度以前に講習会をしてもらったわけだが、2年の任期中では彼女も本来の活動が忙しく、あらたに講習会をお願いすることが難しかったこともあり、短期隊員という形で彼女の2年間の活動後にあらためて2ヶ月間私の配属先にて活動できるように申請したというわけだ。
実は3月中旬でその2ヶ月間もあっという間に終わってしまったのだが、彼女のおかげで、地域の子供たちも絵を描くという楽しさを知り、さらにその中の数人は絵でお金を稼ぐというところまでたどり着いた。もちろんまだまだ手直しや改善するべき点が多々あるが、ある意味私が頭の中で描いてきた夢が1つかなった気分だ。
彼女が短期隊員としての任期を終え帰国した今、彼女が蒔いていってくれた種をどのように成長させることができるかどうか試行錯誤しているところである。
当初任期より3ヶ月の延長を申請し、残すところ約2ヶ月半。帰国までに、これらの地域の子供たちが絵を描き続けられるようなシステム作りを考え、絵によってお金を稼いでいけるようにしていけたらと思う。また、これまでメインの活動先だった手工芸の女性グループの完全自立に向けても、最後の調整段階だ。実際問題、ここに来ていろいろな問題があるが、1人のボランティアとして今できる限りのことをしていきたい。






第7回:「ラティーノ体型はこうやって作られる!?」(2007年01月19日)
着任当初の語学研修でのホームスティ時を除いては自炊なので、毎日ホンジュラス料理を口にしているわけではないし、そうじゃなくてよかった(笑)のだが、やはりその国その国の料理も異国生活での楽しみのひとつなので、今回は食をテーマに書こうと思う。
ホームスティ時の食事を思い返すと、任地でも食事つきのホームスティを続けている人は大変だなぁと他人事ながらに思う。もちろん私のホームスティ先の食事がおいしくなかったわけではないが、毎日トルティーヤと豆、油のいっぱい使ったこってり料理だと、さすがに胃も疲れるだろう。しかも必ずと言っていいほど、コーラなどの炭酸か砂糖たっぷりのジュースが添えられる。こちらの人のお腹が見事にプックリ膨らんでいるのも納得である。というより、糖尿病が心配?
バレアーダその1
バレアーダその2
と、いきなり悪いイメージで始まってしまったが、ホンジュラスの名誉挽回を懸けて、早速おいしい料理を紹介することにする。
まずは皆さんご存知のトルティーヤを使った料理。トルティーヤはトルティーヤでも材料となる粉の違いで2種類のものがある。私はそのうちのモチッとしたほうのトルティーヤがお気に入り。そのトルティーヤで、フリホーレス(豆)を煮て潰したもの(基本はペースト状だが、家庭によっては豆原型をとどめているものもある)、チーズ、スクランブルエッグ、アボガト、チョリソーなどを巻いて食べるバリアーダは、私の中でのヒットメニューだ。
そのほか、このトルティーヤで肉などを挟みしっかり油で揚げたププサなどもある。(本来はエルサルバドル料理?)
また皆さんご存知タコスだが、こちらではカリッと揚げたタコスが主流。(タコベルのタコスのようなクレープっぽく皮で具を巻いて食べるのとは違い、皮ごとしっかり揚げたもの)
他には揚げたトルティーヤに味のついたひき肉や千切りのキャベツ、チーズ、トマトと玉ねぎの酢漬けをコンモリのせて食べるエンチラーダなど、トルティーヤを使った料理は数多い。
また、カリブ海沿いにいる私がよく食べる海鮮料理といえばスープだが、なかでもココナッツを使ったカニや巻貝のスープ、または魚、エビなどいろんな海鮮物をいれた海鮮スープがお気に入りだ。揚げ魚も有名だが、魚のおいしい日本で育った私には、かなりの大味で(時々生臭いものがある・・・)、レストランで好んで注文することはあまりない。
レストランの話になったので、付け加えると、この国では(特にホンジュラス北部カリブ海沿い)揚げ魚やスープなどを頼むと必ずと言っていいほど、バナナ(甘くないバナナ)を薄く切ってあげたものがよく添えられる。これも熱帯バナナの国ならではのものだろう。
揚げ魚と魚介類のスープ
キングクラブのスープ
ココナッツ風味のかにスープ
バナナ
バナナの話がでたので、ちょっと寄り道。果物の話。カリブ海といえば、色鮮やかな果物を想像するだろう。マンゴーやパパイヤなど日本では高値の果物も、時期になると大量に出回る。そのほかグアバやマンゴスチンなども見かける。日本でも普通に売られているバナナ、スイカ、オレンジ、グレープフルーツ、メロンなどももちろんあるし、日本では見かけたことのない果物、木の実などもある。そして、ココナッツも果物に入るのか微妙なところだが、果肉や果汁も楽しめる、まさに常夏の食べ物。ちなみにりんごは高い。
果物
グアバ
キヨスクにも果物がいっぱい並ぶ
ココナッツジュース(上部を割ってストローをさして飲む)
それからここで、1つ。この国の人々は野菜をあまり食べない。そしてこんなに果物が豊富にあったら、私なら生ジュースを毎日でも飲みそうだが、こちらの人達はジュースにするとしても砂糖をたっぷり、そして野菜も申し訳程度にお肉の横に添えられる。
ココナッツ売りのおじさん(この色の時は果汁と果実を楽しめる)
tapado(タパード)
ナカタマルを釜戸で大量に作ってます
ナカタマル(ちょっと崩れてしまいましたが)
本題に戻るが、家庭料理としてもよく作られるのがTapado(タパード)といって、これまたココナッツ風味の煮物とスープの間のような品。甘いバナナ、甘くないバナナ、お肉や野菜(主にユカといってお芋に似た白い根菜など)などをココナッツミルクで煮込んだもの。私も一度教えてもらって作ったことがあるが、その時のものが1番おいしかった。やはり材料がほとんど同じでも家庭、レストランによって大分味が違うからおもしろい。
そのほかMondongo(モンドンゴ)といって、お肉の内臓系を煮込んで作ったスープなどもある。これはちょっと苦手。私は一度口にして以来食べたことがないが、レストランでも家庭でも、作るのに時間がかかるのか、Mondongoは日曜日といった風に限定食っぽくなっている。
そして、中でも1番、異国の食べ物っぽいのがタマル(ナカタマル)。そしてエローテ。
エローテはとうもろこしの粉を練ったものをバナナの皮に包んで煮たもの。その応用版で、そのとうもろこしの粉を練ったものの中にさらに肉などを入れてこれまたバナナの皮で包んで煮たものがタマルである。いわゆるチマキのようなものと思っていただければいい。
このタマルは特にクリスマスの時期に家庭でもよく作られるので、クリスマス時期はスーパーでバナナの皮まで売られている。
そう、話は変わるが世の中はもうクリスマスムードいっぱいである。ホンジュラスで2度目のクリスマス。
去年のクリスマスは、同僚の家に招待された。彼女はEvangelica、つまりプロテスタントなので、クリスマスもパーティというよりは家族みんなで厳かにといった、静かなクリスマスだった。さて、今年はどんなクリスマスになるだろう。
ホンジュラス最後のクリスマス、おいしい料理を頂きながら楽しい時間を過ごそうと思う。
第6回:「ホンジュラスの愉快な仲間達」(2006年12月19日)
牛の移動
水牛 Bufalo de Agua
海岸を散歩中の馬
青いチョウチョウ
ちょっとベタなタイトルだが、今回はこちらで見かける動物達を紹介。
私の任地は比較的都会。都会といっても、道路の大半が舗装されている、日常生活品はほぼ町のなかで調達できる、というかんじの都会レベル。というのも、ここに来る前はものすごい田舎を想像してきたから、水や電気が普通にあるだけでも十分都会なのだ。
とはいえ、やはり第3の首都というだけあって、アメリカのファーストフード(指標にはなると思う)も何店舗かあるし、ショッピングモールなんてものまであったりする。そんな任地だが、道路では車と一緒に馬も走っていたりと、そんなところからも新旧文化のミックスの要素がみてとれるからおもしろい。発展途上国の姿。馬もいれば、ちょっと郊外の道路では牛飼いが引き連れての牛の集団お散歩も見られる。でも道路でよく見かける大きな塊、彼らの落し物(糞!)には注意が必要だ。
また、オウムは国鳥でもあるらしく、コパン遺跡など観光地だけに限らずいろいろなところで見かける。そのほか鳥類ではトゥカン、ハチドリ。そして孔雀(!?)。孔雀は高級住宅街のとある家のお庭とあるホテルで見たが、日本では動物園の中でしか見たことがないので、飼い犬や飼い猫のように普通にお庭で飼われているのには少々感動した。
ちょっと田舎のコミュニティに行くと、ブタやヤギなど放し飼いの動物もいる。そして、蝶。青い蝶が有名。ピコボニートという国立公園は、この青い蝶や野生のジャガーで有名だ。
トゥカン
オウム
そして、ホンジュラスに来て1番見かけるのはヤモリ。名の通り、お家を守ってくれるかのようにお家などでよく見かける。はじめは、キキキキというような音に驚いたが、それがヤモリだとわかってからはなんだかこの声に親近感を持つようになった。
今では、私の配属先の手工芸女性グループの商品のデザインにもヤモリを取り入れている。もう1年以上経つとこのような動物たちも日常の風景の一部となっていたが、きっと帰国したら懐かしく思い出すだろうな、と今回はあえてエッセイに残した。
ヤモリ gecko
田舎道 ヤギのお散歩
次回はホンジュラスの料理を紹介。
第5回:コラボレーションのススメ(2006年10月23日)
アクセサリー講習会(その1)
アクセサリー講習会(その2)
アクセサリー講習会(その3)


絵の講習会(その1)絵の講習会(その2)絵の講習会(その3)
取材ロケの様子が新聞に紹介されました
人生の創作活動(家庭、仕事、趣味など何でも)でも言えることだが、協力隊活動でも、ほかの人との協力によって活動の幅もぐっと広がる。
私の場合、村落開発普及員なので、ただでさえ活動範囲が広く、その分やれることも探せば無限とある。でも、私1人でできることには限界があるし、特に専門的なことなどは、専門家に任せるほうが効率的にも時間的にも賢い選択、ということで、コラボレーションという方法がでてくる。
私の活動場の1つ、手工芸品の女性グループ対象に自分で簡単な講習会を開くこともあるが、私も趣味程度に手工芸は好きだけど、専門的なこと、細かいテクニックなどはわからない。だから、不定期ではあるけど、講師を探して講習会を企画することもある。これこそ、ファシリテーター的立ち位置。あくまでも裏方的に、地元の人(時に他隊員を講師に呼ぶこともあるが)の中で協力する形を作り出し、私はそのお手伝い。
着任当初は、自分で何か大きな成果をあげたいと無意識にも思ってしまっていたのか、踏ん張っていた時期もあったけど、今はもっと柔軟に、自分にできることを、どんな小さなことでも楽しんで感謝して取り組むようになった。
そうすると不思議と自分にしかできないことや仕事がどんどん増えてきて、毎日忙しく活動している。以前はエゴというか、「私はこんなことをしにきたんじゃない」とか「なんで私がこんなことしなきゃいけないの」と思うこともしばしば。今思うと、なんて傲慢な考え方をしていたのだろうと反省。このような経験をさせていただけるだけで、素晴らしい宝物なのに。
先進国からきた私たちはどこかで無意識にも、途上国の人達に何かを教えにきたという、上からみたビジョンで行動しがちだと思うが、私の経験上、私がこの国での経験から学んだことは(良い面悪い面両方から)、私がこの国で彼らにできたことよりはるかに大きいと思う(比べることではないが)。
それに、先進国のビジョンで、そのプロセスの途上にある国々を何から何まで判断するのは正しいとは言えない。何ごとにもプロセス、段階というのがあって、いきなり階段をスキップしていくことはできないし、もちろんアドバイスによって以前よりも短期間で成し遂げることができるということもあると思うが、彼らのやり方をリスペクトしながら、ということは常に忘れてはいけないと思う。(まぁ正直ときどき価値観の違いや習慣の違いにイライラすることもあるけど、“ここはぐっと押さえて流しちゃおう法”で(笑))やっぱり誰にもどちらが正しいとかは決められないし、人それぞれの価値観や世界観があるので、白黒はっきりつけれないことはいっぱいあるのだから。
話が大分逸れたが、私もコラボを活用するようになって、活動の幅が広がったのだが、その1つとして、女性、若者を対象にした手工芸の講習会の企画がある。たとえば、アクセサリーの講習会には、地元の職業訓練学校の講師を呼んで1週間のクラスを企画。また、美術隊員とのコラボで、地域の子供たち対象に絵の講習会を開いたりもした。
そしてここで学んだ技術を彼女たちが小規模事業へ活かしていってくれることが最終的な目標だ。
今のところ、このプロジェクトも来年いっぱいで終了予定なので、着々と小規模事業グループの完全自立に向けてのシステム作りを始めている。
私としては、帰国までにまた講習会をいくつか企画できたらと思っている。完全自立までに少しでも多くのアイデアや技術などを提供するお手伝いをすることで、彼女達の自信に繋がれば、と思う。
【おまけ】
先日、JICAの広報番組のため、私の活動を取材していただいた。放送は来年早々。
女優の佐藤藍子さんが進行役!
こちらの新聞でロケの様子が紹介されました。
第4回:なんでもやります村落開発普及員!(2006年09月08日)
手工芸グループのメンバー1
手工芸グループのメンバー2
手工芸グループのメンバー3
女性グループ新聞にも紹介(私もしっかり載っちゃいました!)
と、なんだか便利屋の宣伝のようだが、私の職種は、協力隊の数ある職種の中でも一番活動内容の幅が広いであろう村落開発普及員。語弊があるかもしれないが、まさに何でも屋。もちろん、面接時には配属先の要請にあった経験を持つ人が選ばれるのだから、要請内容はあるとしても、村落開発普及員はそれぞれ活動先、活動内容は様々なのだ。
たとえば、ホンジュラスでは今現在、村落開発普及員のボランティアは私の他に2人(ホンジュラスで活動中のJOCVは9月現在70人弱)。彼女たちはJICAが展開している教育プロジェクトのメンバーとして、小学校教諭などの他職種の協力隊とともに活動している。そして、私はというと、ホンジュラス赤十字に配属。赤十字ラ・セイバでは、救急外来のほか、血液センター、エイズ予防教育プロジェクト、そして私の活動先である地域開発プロジェクトが現在の主な事業内容だ。赤十字というと医療系と思われがちだが、地域開発という分野でも活動が行われている。この地域開発プロジェクト、98年に起こったハリケーンミッチの際、住宅を失った被災者を対象に赤十字スペインが行った住宅プロジェクト後に続き、2001年に始められた。つまりこのプロジェクトもスペイン赤十字によって資金援助されている。
内容としては、地域の住民の経済的自立のための支援だ。その一環として、小規模事業の援助があるが、私は、この小規模事業をやっている女性グループの所得向上のためのお手伝いを主な活動内容としている。もちろん、他にもプロジェクトでの必要な事務処理(雑用?!)や赤十字の行うイベントの手伝いなど、私の場合、まさに何でも屋。現在、対象地域の中で、小規模事業を行っているグループは5つほどあるが、もちろん個人で商売をしたり、仕事をしている人もいる。
今回は小規模事業グループを紹介。
(1) バックやアクセサリーなどの手工芸品を製作する女性グループ
(2) encurtidoといって野菜の酢漬けの加工販売する女性グループ
(3) 家族で木工芸品の加工販売をする家族グループ
(4) トルティーヤの加工販売の女性グループ
(5) 養鶏の女性グループ
これらが今現在ある主な小規模事業グループだ。
赤十字が関わっているこれらの小規模事業グループに限って言えば、9.9割が女性である。 私は主に、@の手工芸品の女性グループと関わることが多いのだが、基本的には既存モデルの品質向上のためのアドバイスや新商品、新モデルの考案、市場開拓、マテリアル探し、販促、経理などなど、ここでも何でも屋。仕事は探せば山ほどあるというわけだ(うれしい悲鳴?!)
しかしながら、私が配属される以前にプロジェクトは開始しており、事務所には現地人スタッフが3人いる。私のカウンターパートとなる、コーディネーターでありプロジェクトの責任者の女性(大学の歴史の教授という顔も持つ、よく働く女性。ちょっとworkaholicでは・・・と時々心配になるくらい)と、会計経理などを主に行う女性、そして運転手といったメンバー構成。だから、私が配属されたときにはもう、基本的な運営は行われていたし、機能していた。日本人の私から見ても、本当によく働く配属先なのだ。私なんて出る幕ないのでは、と思った時期もあったが、スペイン語が理解できるにつれ、そしてこの環境に慣れるにつれ、日本人こその視点でみていくと、いろいろ見えてくるのだ、大雑把な管理が・・・。
しかしながら、ここはホンジュラス。いくら効率的だとしても日本式のやり方が必ずしもここに合うとは限らない。だからこれはもうバランスをみながら多少のアドバイスやヘルプによって、間接的に貢献する、これがベストだと1年半経とうとする今、私のポジションというものをやっと見つけた気がする。ボランティアとしての立ち位置というか、踏ん張りすぎず、頑張りすぎず、気負わずに、ホンジュラスの人々のお手伝い、といったところだろうか。
とはいえ、対象地域もこれまでは、赤十字スペインの行った住宅プロジェクトの対象者(つまりハリケーンの被災者)だけだったが、これからは、他の貧しい地域の人々なども対象としていく予定で、メンバーが少ないだけに総動員の毎日だ。忙しいながらも楽しい毎日を送っている。こちらの人々や経験から学ぶことも多く、残りの協力隊生活も有意義に過ごしていきたいと思う。
第3回:国内旅行編PartU バイア諸島(ウティラ島、ロアタン島)(2006年08月10日)
ウティラ島モトタクシー
ロアタン島
船で約1時間のウティラ、2時間のロアタン
さんご礁
ホンジュラスの観光地といえば、前回お届けしたコパン遺跡と今回お伝えするバイア諸島が有名。ダイビングのライセンスを安く取得できるというので、世界中から多くの人が訪れる場所でもある。ホンジュラスの北部、カリブ海沿いに位置する私の任地ラ・セイバから船で約1時間のウティラ島と約2時間のロアタン島。
ウティラは比較的物価が安く、バックパッカーや若者の旅行者が多い。そして1日もあれば島全体を歩けるであろう小さな島の中に、何十件ものダイビングスクールが建ち並ぶ。ダイビングスクールももちろん外国人によって経営されているところがほとんどで、スタッフも外国人。そしてライセンスを取りに来る人も外国人となれば、やはり島ではスペイン語より英語が主流(?)。もちろん元々からの島の住人もいるが、島に行くと外国人ばかりでホンジュラスにいることを忘れるくらいだ。
一方のロアタン島は、ウティラに比べたらリゾート感が高い。でもロアタン島はかなり広く、ウティラのようなバックパッカー向けのエリアもあれば、高級ホテルが建ち並ぶエリアもある。島の移動は車がないとなかなか難しい。だから、車のない旅行者などはそのどちらかのエリアでゆっくりと過ごすパターンも多いようだ。私が行ったときは、知り合いの経営するホテルに滞在したので、車で島の半分くらいは移動したかと思う。でもそのホテル、上のどちらのビーチエリアからも離れていて、島の湾側、ビーチのないエリアに位置していたので、何日かはビーチ沿いのホテルに宿泊しビーチを満喫した。こちらももちろん英語を話す人が多い。
どちらの島も雰囲気が全く違うのでおもしろい。バイア諸島でまだ訪れていないのは、グアナハ島とcayos cochinosという小さな島。機会があったら行ってみたいと思う。
島に行ったときの問題が1つ。ヘヘンという小さな蚊がいて、いつの間にか体中が赤い斑点に。特に私は刺されやすいようだから、いつも蚊対策していくもののやられてしまう。赤い斑点のうちは痒みがまだそれほどないが、これが膨れてくるともう痒みに襲われる。しかもこの痒みがしばらく続くのだ。毎回もう島には来たくない、と思うほど蚊に苦しめられるが、やはり島の魅力にまた足を運んでしまうのだ。でも本当に蚊には要注意。日本で蚊に刺されたのとは訳が違う。こちらには蚊を媒介に罹るテング熱という怖い病気がある。
私は、任地入りたて1週間でテング熱に罹った経験があるため、2度目罹ると出血性になる可能性が高いため、要要要注意なのだ。 テング熱に罹ったときは、職場復帰まで1ヶ月弱もかかった。非常に危険な病気なので注意が必要である。
話が蚊にそれてしまったが、旅行のときだけではなく、日頃からの健康管理、危機管理は重要だ。健康あっての活動、そして旅行なのだから!
第2回:国内旅行編PartT コパン遺跡 (2006年06月27日)
コパン遺跡(その1)
コパン遺跡(その2)
コパン遺跡(その3)
コパン遺跡は、古代マヤ文明を代表する都市遺跡であり、世界文化遺産にも登録されているホンジュラスの主な観光地。あと、この国の観光地と言えばやはりダイビングで有名なバイア諸島。とはいえ、この国はあまり観光には力が入ってないので、それほど観・光・地と言えるほどの場所はないのが現状。観光地とは言えなくてもその他にも訪れるといい場所はもちろんあるので、追々紹介しながら、同時に開拓もしていく予定です!
コパン遺跡に行くことになったのは、JICAのホンジュラス西部地区における地方女性の小規模企業支援プロジェクトの見学の話が来たため。そこにさらに休みをくっつけて観光もすることに。(協力隊活動ではあまり活動に差支えがないようにうまい休みの取り方をするってとっても大事)
ホンジュラスの西部、グアテマラ国境に近いコパン遺跡のある小さな町、コパン・ルイナスは、なんとものんびりとした雰囲気が感じられる私のお気に入りのスポットだ。町では馬に乗った人々が行き来するなどとても牧歌的。ホンジュラスではなかなかお目にかかれない、おしゃれなかんじのカフェ、つまり喫茶店もあり、ゆっくりお茶ができたりする。おいしいコーヒーも有名で、コーヒー好きにはたまらない。そして、ケーキやプリンなどのスイーツもおいしい。
第3の都市と言われている私の任地カリブ海沿いのラ・セイバは比較的安全だか、首都のテグシガルパやサンペドロスーラといった大きな都市などではやはり犯罪が日常茶飯事、常に危機管理を持っていなければいけない発展途上国での生活、というのが常に頭にいれておかなければいけないことだったりする中で(とはいっても結構毎日平和に過ごしてますが)、コパン・ルイナスでは、ゆっくりとリラックスした安全な時間が流れている。それが、またうれしいし、また行きたくなる理由でもあるかもしれない。
そして、遺跡見学。これまた公園のような安全な公共施設が乏しいこの国にあって、なんともうれしいではないか。芝生の上でゆっくり本でも読みながら1日過ごしたくなる。とはいえ、時期によっては観光客がいっぱいで、そうもいかないだろうが、私たちが行った時は、人も疎らで、遺跡だけではなく、自然の恵みもいっぱい満喫することができた。 活動ももちろん大切だが、任国のことを知るためにも国内旅行も出来るだけしたい。国内とはいえ、地域によって人々の特徴も土地の雰囲気も違うから、毎回新鮮な気分を味わえるものだ。
第1回:「ホンジュラスに赴任して早1年2ヶ月!」 (2006年06月06日)
カーニバルパレードに参加したJICA協力隊とシニアボランティア
カーニバルパレードに参加したJICA職員とシニアボランティア
カーニバル前夜祭でのひとコマ
ホンジュラスが任地に決まり初めてホンジュラスの正確な位置を知った私は、カリブ海沿いの任地という響きに、ただただ心を躍らせていましたが、それももう約2年前の話。 任期も半分を終え、2年目に入りました。私は、村落開発普及員として、赤十字の地域開発プロジェクトのいちメンバーとして活動しています。
ホンジュラスは、中米の真ん中に位置し、マヤ文明を代表するコパン遺跡やダイビングスポットで人気の高いカリブ海のバイア諸島などがあります。また、内陸の高原地帯とカリブ海沿岸地域と太平洋沿岸地域とでは大きく気候が異なるなど、様々な気候が同居している国でもあります。
ちなみに私の任地はカリブ海沿岸のラ・セイバという町。今は一年の中でも一番暑い時期です。マンゴの木には熟れ熟れのマンゴが鈴なりで、マンゴ好きの私にはたまりません。
毎年5月には中米最大規模といわれるカーニバルが行われる町でもあり、つい先日のカーニバルは、2年に一度のJICA参加の年で、私の任地には約80人の日本人がホンジュラス中から集まりました。このカーニバルの参加のため、協力隊はじめシニアボランティアが何ヶ月も前から踊りの練習をしてきたという本腰の入れ様。私も受け入れ準備で2ヶ月ほど前から動いていたため、無事終わったときはホッとしました。地元の人々の反応もよく、知り合いからは多くの賛美の声もいただきました。これでちょっとは日本の知名度があがったかしらと思いきや、相変わらず、道でかかる声は「チニータ(中国人の女の子)!」
おそらくこれはどこの中南米諸国でも同じだと思いますが、こちらの人は中国人と日本人の違いなどわかっていません。もちろん日本人を認識できる人も中にはいますが、大抵の人々にとって、横線を一本引いたような小さい目をした人種(笑)はみんな“チノ(中国人)”なのです。
中国人に対する差別的なニュアンスがあるときには、反論したくなるときもありますが、自分が「チナ(中国人)」と言われることに関しては、いちいち「私は日本人よっ!」と訂正して歩くのも滑稽なので、個人的にはそれほど気にしていませんが、日本国民としては、というよりはJICAボランティアとしては、もう少し日本の知名度をあげるべき(!?)と思いながら早1年弱。今日も道では「チニータ、ボニータ(かわいい中国人のお嬢ちゃん、といったニュアンス)」と言われ、「グラシアス(ありがとう)」と返事をしている始末・・・。そんなこんなで、1年も経つとだいぶこちらでの生活パターンにも慣れ、プラス、楽しみを見出せるようになってきました。
次回はホンジュラス国内の旅編です。