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小宮山勝 「パラグアイ発!街角便り」

Masaru Komiyama【写真】Masaru Komiyama

宮城県仙台市出身
シニア海外ボランティア

職種
放送(TV番組制作)
配属先
パラグアイ/教育文化省工学部先端技術センター(ルケ市)
活動概要
技術センターでは、専門業務としてのビデオ制作の経験が少なく、本格的な制作ノウハウ技術の習得を求めている。ボランティアはTVプログラム制作について、シナリオの企画・立案から取材・撮影・編集・録音・資料映像の整備などの指導にあたる。
派遣期間
2006.3月〜2008.3月
プロフィール
仙台の民間放送局で30年間、主にTV番組・CMなどの制作を担当。55歳で希望退職。地元愛子の陶芸家、紀国谷 真広氏に 押しかけ入門、陶芸による作業療法を学ぶ。8年後、ブラジルの日系社会の福祉施設での陶芸指導要請に応募・派遣され、2年間日系シニア・ボランテイアとして活動。SVとしての充実した活動をもう一度体験したいと再度SVに応募!「TVプログラム」の制作指導という分野でパラグアイにやって来て、シニアだからこそ出来る活動を目指しております。特技:手打ちそば(パラグアイでも手打ちそばの美味しさを広めたいと願っておりますが・・)

最終回「パラグアイ料理教室」(2008年3月5日)

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左の皿、手作りニョッキとマンジョッカ芋。右の皿、ソパ・デ・ぺスカード(魚のスープ)。

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左端、本人。 その隣、パラグアイ人講師・カリーナさん。

パラグアイ料理といったら、牛肉を炭火で焼く「アサード」、ひき肉・野菜などを詰めた餃子のようなものを油で揚げた「エンパナーダ」、トウモロコシの粉にたまねぎを刻んでラードとパラグアイチーズを混ぜて練りこんで焼き上げたパンのような「チッパ」ぐらいしか知りませんでした!

たまにレストランに行っても「ソッパ・パラグアージャ」とはスープの一種類だろうなどと注文したのに、全然スープが出てこなかった〜。サービスにカステラみたいなパンがでて来た〜。なんてこともありました。

2年間もパラグアイに住んで、パラグアイ料理を知らずに帰ってしまうのは何とも残念だと常々考えていたところ、思いがけず、趣味=料理、得意=パラグアイ料理という日系人に出会いました!

早速彼に講師役をお願いして、北海道人会・ハマナスセンターの厨房ならぬ、台所を借りて、「パラグアイ料理教室」を開講。シニアと随伴夫人に呼びかけたところ、私と同じく、せめて2〜3種類のパラグアイ料理を覚えて帰りたいという方々が7〜8名参加!

2007年9月から、毎月第二・四の土曜日に、昼食会を兼ねた料理教室が…。日系人男性講師が最初の3ヶ月を担当、その後には、なんと18歳のパラグアイ人、セニョリータが講師に〜。彼女の味付けは、大胆に醤油をつかったりして日本人向きに工夫してくれるのにびっくり!これなら日本に帰ってから、家族に作って食べさせる事ができるね〜と感心…。

ソージャ、トルティヤ、ソオ・アプア、ボリボリ、ロクロ、チパ・グアス、ドラードのオーブン焼き、アロス・コン・ポロト、トルティジャ・デ・パパ、マリネラ・デ・カルネ、ソパ・パラグアージャ、ミラネサ・デ・モンドンゴ、アロス・コン・ケソ、手作りニョッキ、ソッパ・デ・ぺスカード、などなど…。

毎回料理が出来上がると、講師を囲んで皆で豪華昼食会!一口食べて、「う〜ん、美味しい〜〜」。料理は文化!パラグアイ料理を習い、覚える事で、いままで見えなかったパラグアイの一部分が見えてきました!

もっと早くに余暇時間の活用に、「パラグアイ料理教室」を始めればよかったなぁ〜。

第7回「これぞ!パラグアイ!」(2007年10月24日)

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やっと乗り込むことができる観光遊覧船

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背景が首都アスンシオンの中心部です

パラグアイは南米大陸の中央部に位置し、ブラジル・アルゼンチン・ボリビアの3国に囲まれた内陸国です。
塩釜・松島・三陸海岸など海の香りと共に育った仙台人が、海のない国に暮らして1年半が経つと、やはり海が恋しくなります!
そんな思いを遊覧船での川下りに托しました!

JICAのシニア関係・有志の会が企画した、首都アスンシオンを流れるパラグアイ川を下るクルーズに参加しました。
JICAパラグアイ事務所職員や、随伴家族を含めて25名が参加!
バスをチャーターして、AM9:00、クルーズの発着所に到着!
ところが、いきなり、遊覧船がいない〜!
ツーリストの女性が走り回っているうちに行方不明?

全員で近くの公園で待つこと1時間!
やっと現れたツーリストは「手違いで船が来ません」
困ってしまった幹事さん「とりあえずバスに乗って、船の到着予定地に行きましょう。クルーズで川下りのあと、リゾートホテルで豪華昼食を予定してましたから、バスで食事に行きましょう・・・」

バスでリゾート・ホテルに食事に行く企画だったら、誰も参加しないよ〜
いまさら 船代はお返ししますと言ったって 遊覧船での川下りがメインの企画なのに〜
など、小さな声であちこちで不満の声・・・。

川上の発着所に船がいないということは、到着地点に船がいるんじゃないの?
バスで立ち寄って、調べたら〜
案の定、到着地点に遊覧船が・・・。
さっそく交渉して、昼食後に予定とは逆に川のぼりで行くことに決まりました!

原因は、「9時出発」を「9日出発」と勘違いしてたとか???
これがパラグアイです!幹事さんは下見までしたのに〜〜
ツーリストが悪いのではありません!遊覧船側が悪いのでもありません!
ちょっとした勘違いがこんな結果になったのです。

でも結果的に、リゾートホテルで豪華昼食をして、パラグアイ川を遊覧船でクルーズすることが出来たのですから、文句を言う筋合いではないのです!
「川下り」が「川のぼり」にちょっと変更になっただけなのです!

これがパラグアイなのです!このような出来事は日常茶飯事です!
職場でも、学校でも、予定通りに物事が進んだことは一度もありません。

明後日、大統領が視察に来るからと、急遽大学の学部長が職員など10名を召集して、対応会議を2度も開いたのに、当日1時間待っても大統領は現れず、明日に変更になった〜と言われ、翌日も予定の時間を1時間過ぎても大統領は来ないらしい・・・と、うわさ話でなし崩しに自然解散???

高校の青年の日のイベントが8:30から講堂であるといわれて、ビデオカメラ2台をセットして待っているのに、生徒たちが集まりだしたのはやっと9:00過ぎ。
式典がはじまったのは10時から・・・。
なんていうことは良くあることで、誰も不満など言いません。

これがパラグアイなんです!
そんなにきっちり分刻みで仕事をしなくても〜〜
あわてず、騒がず、のんびり、ゆったり、しようというのがパラグアイ流なのです。

パラグアイに来て1年半が経って、そんなパラグアイ流の生き方が心豊かで人間らしい生き方なんだ!と思えるようになって来ました!

第6回:「パラグアイで手打ちそば」(2007年09月05日)

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バザーでのそば打ちスタッフ!随伴の奥様方も助っ人に!

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第1回目のそば教室。黄色いエプロンが小宮山

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ラパスでのそば教室風景!

2006年3月末、パラグアイにやって来て新任のシニア海外ボランティア挨拶・アンケート自己紹介に「特技 手打ちそば」と記入したら、いろいろな方から反応があり、イグアス移住地で日系人がそばを栽培!そば粉を販売していると聞いて、早速出かけ、そば粉を購入!

しかし、製粉が違う?現場で社長を訪ねて、このそば粉は間違っているなど2、3の注文をつけて、首都アスンシオンに戻ってきました。1週間後、突然職場に電話があり、日系・北海道人会の「道産子バザー」に手打ちそばの実演・試食会で参加して欲しいとの要請・・・。

イグアス移住地でそば粉を販売していた社長の弟さんが 北海道人会の会長でした!

日系社会の情報伝達の素早さと同時に、即行動・調査・実行することがパラグアイで成功する秘訣だと知りました!

お椀にちょっぴりの手打ちそば3,000ガラニー(60円)で販売!30食分を完売!やはり、日本のそばの味を知っている一世の方々に好評でした。手打ちの実演中も多くの方から質問攻めに合い、ならば 「そば教室」を始めましょう!

2006年12月、手打ちそばで年越しそばを、と呼びかけて、日系の主婦5名が参加してくれました! しかし、私の判断ミス!12月〜年越しそばは日本での話し!パラグアイの12月は真夏の猛暑でした!手打ちそばにエアコンの風は禁物!蒸し風呂状態の中で、そば粉と格闘する前に、流れ落ちる汗との戦いでした!そんな苦労を乗り越えて、無事3ヵ月後に5名の家庭で手打ちそばが食卓に乗るようになりました!

この北海道人会での手打ちそば教室がきっかけで、首都アスンシオンから300キロメートル離れたラパス移住地から出張そば教室のリクエストがあり、なんと40名の主婦が集まっていました! 70年前に原始林の開拓から始まった苦悩の日系移民も、大豆の栽培でやっと安定した生活が送れるようになり、時間の余裕も出来て、最近ではインターネットであらゆる情報を瞬時に得ることが出来ても、日本の味・蕎麦とは韓国製の乾麺でしかなかったのです。一世の方々の本物のそば、手打ち蕎麦が食べたい、という熱意・願望に多少なりとも協力出来たかなぁ〜?

その後 イグアス移住地でも出張そば教室10名、首都アスンシオンの日本人会婦人部のそば教室15名の方々が参加!

2007年6月、調子に乗って、再び北海道人会で「手打ちそば教室」を開講!3ヵ月間受講すれば、帰国してから家族・友人・知人に美味しい手打ちそばをご馳走して喜ばれますよ、の呼びかけに、シニア・ボランティア5名も参加!手打ちそばを楽しみながら、地元日系社会の方々との交流も出来るという思いがけない効果も?

ならば2007年の「道産子バザー」はラーメンが売り物!手打そばでマンネリ化したバザーに刺激をっと、そば教室のシニアによる「手打そばの実演・試食コーナー」で特別出店!

そばを打ち始めてまだ4、5回の皆さんが、お客さんの見守る中で、多少の緊張感を持ってそば打ちを披露!すぐにそれを茹でて、ミニざるそば1人前3,000ガラニー(60円)で試食・販売!

予定の50食はあっという間に売り切れ!急遽追加のそば打ちで65食に!これもお昼過ぎには完売で店じまい!多くのお客さんから美味しい〜という声を聞いて、やってよかった〜と全員で小さな達成感!総売上18万6千ガラニーを北海道人会に寄付する事が出来ました!

なぜ「パラグアイで手打そば」?とお考えの方もいらっしゃるでしょう!JICAのシニア・ボランテイアは派遣要請の要件を満たして終わりでは青年海外協力隊との違いが解りません!シニアだからこそ 長年の経験・趣味などを生かしたプラスアルファーの活動があってもいいのでは〜?というのが私の考えです。たかが、そば!でも、それを喜んでいただけるのなら望外の喜びです!パラグアイに来てよかった〜

第5回:「パラグアイの結婚式」(2007年02月22日)

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お客さんの前で結婚の誓いです!

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新郎新婦と記念撮影!

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乾杯!ではお客さんが次々と新郎新婦のところへ

私がこちらに来てすぐにスペイン語の個人レッスンを頼んだ日系の大学生が、今年卒業と同時に結婚することになりました。お相手は日系の美容師さんで5年間のお付き合いでした。二人ともパラグアイ生まれの日系2世!二人の結婚式の案内状が 私のところに届けられました!

彼はイグアス移住地の農家の長男として生まれ、アスンシオン大学の工学部・電気通信科に入学した時、両親兄弟はパラグアイの農業に見切りをつけて日本に帰国してしまいました。
単身パラグアイに残って大学を卒業して今回結婚することになりました。彼には毎週2時間スペイン語やパラグアイの若者情報などを教えてもらっていました。今の日本にはもう居なくなってしまった律儀なちょっと恥ずかしがりやの好青年でした。

結婚相手のお嬢さんには去年の8月に紹介されて、これまた素敵な女性です!両親はイグアス移住地より南のピラポという移住地で現在も農業をやっております。彼女は5年間、両親の出身地岩手県で美容師の勉強をして、現在アスンシオンで従姉と一緒に理・美容室を開いてます。
その理容室に私も通っており、毎月彼女の仕事振りなども拝見していました。彼女をご指名の多くの日本人の固定客があり、式には、日本大使夫人や、JICA所長夫人、各会社社長夫人が大勢出席してました!

土曜日の夜8時から、結婚式・披露宴ということでした。こちらでは暑いので、結婚式・披露宴は夜に行われます。

レストランを借り切って、120名の出席ですが、こちらの日系人の結婚式は普通200〜300名は参加するということです。移住地ごと、皆が出席するそうです。今回は新郎の家族は日本からお母さんと弟さん二人が駆けつけました。

日本の結婚式との大きな違いは、まずテーブル席は、新郎新婦に一番近い席には家族・親戚が座り、あとはご自由にと言うことです。スピーチは若い友人の男女二人だけで、偉い人や親戚の叔父さんなどのスピーチは一切ありません!

お色直しでウエデイング・ドレスで登場すると、新郎新婦は会場中央でワルツを踊りだします。続いて両親もワルツの曲に乗って踊りだすのを合図にカップルでお祝いに来ている人々が次々と新郎新婦と手を組んで踊りだします。2・30秒で次々と交代して、新郎新婦と踊ることがお祝いのクライマックスでした!

このあとケーキカットやブーケトス、各テーブルでの新郎新婦との記念撮影など・・・夜8時にはじまり午前0時でもまだ終わりません。ケーキカットが終われば帰っても良いというので、私は11:45には失礼して、アパートに帰ったのは真夜中の0時でした!

この日午前0時でも気温は30℃という暑〜い長〜い一日でした!

第4回:「マンゴーの実る季節」(2006年12月18日)

パラグアイの12月は本格的な夏です!雲ひとつ無い真っ青な快晴の日が続き平均気温は連日30℃超!ショッピングモールなどでは 11月からクリスマスのデコレーションでセールを盛り上げています。真夏のクリスマスといっても決してサンタクロースは半袖ではありません。サングラスなど掛けていません!TVのコマーシャルもクリスマス関連のCMが多くなりますが 街なかではまだまだ クリスマスの雰囲気はありません!

春から夏に変わって 街なかの光景で一番の変化は物売りです。パラグアイでは幹線道路の信号のある交差点は絶好の商売ポイントです!車に乗っている人は お金持ち!信号待ちをしている車にいろいろな物売りが集まります。果物売りも春先は 柑橘類とバナナ・イチゴ程度の品揃え?

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街中ご覧のとおりマンゴーだらけ

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お隣さんの庭にも鈴なり!でも半分以上落ちた後です

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バスも車もマンゴーを踏みつけて走ります

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左:アップルマンゴー、右:マンゴーマンテーカ

気温の上昇とともに果物の種類がぐんと増えます!パイナップル、スイカ、メロン、パパイヤ、マンゴーなどなど・・・信号のある交差点に限らず 一般の乗り合いバスも人の集まるところとして商売の対象になります、路線バスには 停留所ごとに 次々と物売りが入れ替わり立ち代り乗り込んできます(運転手も黙認!公認?)変り種としては 5〜6歳のこどもがアカペラで歌を歌ってお恵みを得たりギターを抱えた歌手までがバスのなかで4〜5曲も歌って聞かせてくれます。拍手とチップが彼らの収入源です。母の日の記念日などにはプレゼント用の花束なども売っております。クリスマスには一体何を売るのでしょうか?楽しみです。

しかし、パラグアイの夏を象徴するものは、何といっても「マンゴー」です!パラグアイでは夏の強い陽射し除けとして街路樹に 常緑樹であるマンゴーの樹が沢山植えてあります。一般住宅の庭にも沢山見かけます。夏!この街中のマンゴーの樹に沢山のマンゴーが実ります!文字通り鈴なりになります。

春先、マンゴーの花盛りを見て、これが実ったら街中マンゴーだらけになるぞ〜と期待しました! 夏、ついに実りの時がやって来ました!しかし 誰も収穫しません!実るほどに次々と落果します!誰も拾おうとしません!車が踏みつけて走り!人々は避けて歩きます!住宅地では掃き集めてビニール袋に入れてゴミに出します!

このマンゴーは、マンゴ・マンテーカといってアジア原産・ウルシ科で高級マンゴーのアッパルマンゴーとは別物でした!実は小さく、繊維質が多く、ジュースとして絞って飲むことしか出来ないそうです!マンゴーとは、日本のデパートで桐の箱に入れて売られている物としか知らなかった日本人が、これを一生懸命拾い集めてアパートに持ち帰り、かぶりついたら、口の周りがカブレてタダレて大変なことになったそうです。

日本人の憧れとも言うべきマンゴーは、パラグアイ人にとっては ただの厄介物!ゴミとして捨てるだけのものでした!マンゴーの樹を植えてあるのは、真夏の強い陽射しを避けるためでした!

それでも食べようとすれば食べられるし、マンゴーの味もするそうです!完熟すると 甘〜いマンゴーの香りが漂うと聞いて、私は一つだけ拾って来て、部屋に飾ってあります!ちなみに、美味しいアップルマンゴーは、パラグアイのスーパーで一つ100円で買えます!ブラジルからの輸入物で、キズなどが多く、良い品選びに苦労します!しかし、これから真夏の最盛期にはパラグアイ産の地物が出回ると、新鮮・きれいで大きなマンゴーが一つ1,000ガラニー(20円)で買えるそうです!パラグアイはマンゴー天国です!

第3回:「〜お金の話〜」(2006年08月10日)

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パラグアイの通貨 10,000ガラニー

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パラグアイの通貨 5,000ガラニー

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パラグアイの通貨 1,000ガラニー

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パラグアイの通貨 ガラニーです。

パラグアイに到着したその日、当座の生活費として300USドルを現地通貨に交換して貰いました、。なんと170万ガラニーになって返って来ました。一瞬にして100万長者になった気分でした。こちらの通貨は10万ガラニー札から、5万ガラニー・1万ガラニー・5,000ガラニー・1,000ガラニーの5種類と、コインが500ガラニー・100ガラニー・50ガラニーの3種類。

市場での買い物はスーパーと違って対面販売!人と人との交渉事ですから、現地語(スペイン語)の 習得・練習として絶好の機会です。でもあまりに大きな数字が並ぶ為、研修時に一生懸命覚えた1~100までの数字では全く役に立ちません!もう少し安くして〜と交渉しても、幾らのものを どれくらい安くしてくれたのか解からない日々が続きました。

ところでお札の写真をご覧になって、上のものと下のものとが同じお金と解かりますか?高額紙幣の10万・5万ガラニー札はピーンとしてますが、流通の中心である1万ガラニーから1,000ガラニー札は、もう受け取るのを拒否したくなるような汚れようです!汚れるだけではなくテープで張り合わせたり変色してしまって、ヨレヨレ・ボロボロという表現がぴったりのお札が正々堂々と流通してます!

何故?この国では紙は貴重品ですし、お札のような高等技術による印刷は出来ないので、外国で印刷していると 聞きました!ですからギリギリ限界を超えても流通させなければなりません。一度シャツのポケットに入れたまま洗濯機に入れて洗ってしまった事があります。
ボロボロに?ところが、これがなんとかえって綺麗になって、アイロンを掛けたら新札同様に生まれ変わりました!これからは汚れたお札は全部洗ってみようか?などと本気で考えた事もあります。でもマネーロンダリング(資金洗浄) と誤解されては〜?と止めました!

着任1週間後、日本料理が恋しくなってシニア仲間4人でタクシーに乗って、パラグアイの首都アスンシオンでも有名な日本料理屋へ〜
タクシー料金はチップ込みでも2万ガラニー(約400円 割り勘でひとり100円!)。各自 天ぷら・寿司・焼きそば・刺身と日本酒などを注文して、90%日本の味と納得!満足!

ボーイさん(パラグアイ人)を呼んで支払い!勘定書きに天ぷら定食56,000ガラニー!やおら1万ガラニーを 出してお釣りを要求!ボーイさんその場を動かず、目を白黒??なんで??どうしたの??しばし身振り手振りのやりとりでも解決せず!やおら日本語の出来るママさん登場!5万6千ガラニーに1万ガラニー札では足りませんよ〜。えぇっー定食が5万6千円もするの〜?いいえ1,200円です!

10万ガラニー札が約2,000円相当と理解出来るまで3ヶ月かかりました!いまでも野菜を買って、1万ガラニーと言われるとドキッとします。急いで頭の中で計算!200円でホッとします。

第2回:「パラグアイの街角から2」 (2006年07月05日)

街を歩いていると道路脇に枯れ草などを山のように積み上げて売っている一角があります。
ただの枯れ草ではなく、すべて薬草だそうです。確かに、側を通るとクスリのような香りがします。こちらの人はこの薬草を刻んで、叩いて、砕いて粉状にして、牛の角などで作った容器に入れてそこに水をそそぎ、キセルのような吸い口で薬草のエキスのしみ出た水を「じゅるジュル〜」と吸います。

テレレ売り風景

テレレ売り風景

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テレレを飲む

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テレレを飲む。左側がSV小宮山さん

冷たい水で飲むのを「テレレ」、温かいお湯で飲むのを「マテ茶」と 区別してます。中味は同じで、暑い時にはテレレ、寒い時にはマテを飲む訳です。このテレレを何時でも 何処でも気軽に飲めるように、大きなポットを持ち歩いています。車の運転中も、信号で止まればちゅっとひと口。会議中でも、大学生が授業中にも。

これは暑い国での必要な水分補給法のようです。職場などで親しい仲間同士が集まると、このテレレを回し飲みします。キセル状の吸い口をくわえて、ジュルジュルッ〜、水を足して、隣の人に差し出すと黙って受け取り、同じくジュルジュルッ〜。さらに水を足して、次の人へと回ってきたら容器一杯分を飲みきるのが礼儀だそうです。

ましてや吸い口を拭ったりしては絶対ダメです。私も職場でカウンターパートから勧められますが、高血圧だから薬草は ダメだ!と丁重に断ります(逃げてます)。
これは高血圧にいいんだといわれますが、確かに血圧を上げるのも下げるのも薬草の調合次第だそうです。

スーパーでも薬草をブレンドしたものが売られており、ミント入りが 一番の売れ筋だそうです。私はこのミント入りを買ってきて、コップに入れて、水は入れずに台所の匂い消しに、ベットの枕元に置いてアロマテラピーとして毎晩ぐっすり眠っております。

シニア仲間で、このテレレを奨められ頑張って飲んだその日から 2〜3日ひどい下痢に苦しんだ人がいます。でもいまでは美味しいと毎日飲んでます。
路線バスの運転台の脇にも、テレレが置いてあり、信号待ちで 素早くポットから水を注ぎ飲んでいます。
喉の渇きと疲労回復にいいそうです。そろそろ私もテレレに挑戦しようかなぁ〜などと考えてます。自室でこっそり練習を始めて解かった事は、テレレで水を飲むとすんなり飲めます。1リットルの水もいつの間にか飲みきってます。やはり暑い国での必要から生まれた知恵なのでしょう。

仕事仲間のテレレを受ける事は礼儀であり、信頼感につながります。でも、テレレの水は何処から?
私の場合、学校には給湯室や水飲み場などありません。水を汲めるのはトイレの手洗い場だけなんです。
そこでテレレのポットに水を補給しているのを見てしまったんです!

第1回:「パラグアイの街角から」 (2006年06月07日)

平成18年3月29日、成田から34時間かかって南米大陸の中央部に位置するパラグアイに到着しました。JICAのシニア海外ボランテイアとして2年間、この国でTVプログラムの制作指導という分野での活動予定です。

パラグアイは日本とほぼ同じ面積を持ち、ブラジル・アルゼンチン・ボリビアに囲まれた内陸国です。人口は約560万人、東京都の人口の半分以下、首都アスンシオン圏には約100万人、仙台市と同じ規模です。

パラグアイという国をご存知の方は少ないと思いますが、1936年には日本からの移住がはじまり、今年パラグアイ移住70周年記念を迎えます。現在約7,000人が日系移住地を中心に暮らしており、宮城県出身の方は約200名いらっしゃいます。70年前からのこの日系移住の方々の大変な苦労があって、この国の農業が改良・普及し発展したと言われております。

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エルカンバス

首都アスンシオンの街を歩いて、まず驚くのがバスの多さ!街の中心部と郊外を結ぶ60の路線があり、市民の唯一の交通機関として早朝から深夜までうなりをあげて走り回ってます。殆どがジーゼル車で、真っ黒な排気ガスを吐き出しながら走ってますから、バス道路を歩いているとむせ返るほどです。

日本だったら、さしづめ博物館行きのベンツのボンネット・バスが沢山走ってます。ちなみにタクシーもベンツのディーゼル車が圧倒的、30℃超の暑さでもエアコンは無く窓を開けて走ってますから、ベンツのバスの排気ガスにやられます。バス料金は1回の乗車料金が2,100ガラニー(約40円 最近の石油価格の上昇で値上げが予定されてます)。乗り換えなければ1ブロック乗っても、20km先の終点まで行っても同じ料金です。

首都の中心部でも、乗りたい時に手を挙げれば止まってくれるし、降りたいところでベルを鳴らせばすぐ止まって、降ろしてくれます。このバスがすべてワンマン方式で、前乗りで運転手に料金を払い後ろのドアーから降りますが、神技ともいえる 運転手の仕事ぶりです。客を見つけて、料金を受け取りながらチケットを渡し、降りる客の為後ろのドアーを 開け閉めします。ですから前のドアーは走行中も開けっ放し!

ゆえに信号で止まると、すかさず物売りが乗り込んできます。新聞・キャンデー・コーラ・パン・果物・靴下・ロトのくじ券・玩具などなど。バスの中だけでなく、大きな交差点では乗用車目当てにいろいろな物売りがやってくるし、信号待ちの間に子どもたちがフロントガラスを石鹸水で洗って磨いて、わずかな収入を得ようとしています!排気ガスと炎天下での仕事ですから大変です。でも他に仕事がないから、このような方法で家族の収入を補うと聞きました。

このような子どもたちが教育を受けて定職に付く事の出来る国づくりの為に、JICAの海外シニア・ボランテイアとして少しでもお役に立ちたいと願って、この国にやって来て丁度2ヶ月が経ちました。