現在の場所はホーム > JICA東北 > 地域の皆さんへ > JICAボランティア > 派遣中ボランティア現地レポート > 佐藤みえ子 「メキシコからの現地レポート」

佐藤みえ子 「メキシコからの現地レポート」

Mieko Sato

【写真】Mieko Sato

宮城県白石市出身
シニア海外ボランティア

職種
手工芸
配属先
メキシコ/オアハカ州経済省中小企業振興局(オアハカ市)
活動概要
先住民支援と州経済活性化のため、職業訓練センターで先住民族女性を主な対象として刺繍、縫製、テーブルクロスその他小物作製についてのセミナー開催、村落部への個別巡回指導などを行いながら品質改良や販路開拓を支援する。
派遣期間
2006.3月〜2008.3月
プロフィール
若い時に協力隊制度ができ、あこがれていましたが、夢は息子が叶えてくれました(タイに野球隊員で派遣。現在は仙台市在住)。時が経ち「お母さんならきっと行けるよ-」の甘い言葉にその気になって応募。普通のおばちゃんがどれだけ出来ますか、、、乞う期待!

最終回:2年間の活動を振り返って(2008年3月14日)

【写真】

街の中では生徒さんの製作したバッグが商品として並ぶようになりました。

【写真】

織物の村に行って体験学習。偶然以前の生徒のお店でした。

【写真】

マグダレナ校の作品展示。素晴らしい作品がいっぱいです。

【写真】

ダンスの仲間達と記念撮影。フチタン地方の衣装は全て手刺繍です。

【写真】

アレナル校の修了式にて。

【写真】

生徒の家で寿司とてんぷらの講習会をしました。エトラ村の素敵な家でした。

メキシコ・オアハカ市の佐藤みえ子です。
任期終了が目の前に来ました。
2年間勤めきれるだろうか?の思いは、目の前に次から次に現れるカルチャーショックで瞬きするうちにあっという間にこの時期を迎えたような気がします。

もともと楽天的な私ですが、思うようなコミュニケーションができないもどかしさは、並みの悩みではありませんでした。
何せメキシコのスペイン語を体が拒否してしまうのです。こちらに来たときは、何でも見てやろう、聞いてやろうの思いでしたが、新聞も、テレビも細かいことが解らない。解らないということはストレスになってしまうことなのです。
加えて社会の違い。メキシコは銃社会、怖い国、例えば道路を歩くにしても「2・3分に一回後ろや脇を確認しながら歩いてください」と言われました。

主都メキシコシティで1ヶ月の研修のあと、ここオアハカ州オアハカ市にやってきました。当初は平穏な街も一ヶ月を過ぎると大騒動の街に変わり、思うような活動ができなくなりました。
海外渡航危険地域となってしまって半年あまり、やっと活動を再開できました。

それからは配属先の職業訓練校のアレナル校やマグダレナ校で9講座、出張は長短合わせて3回の手芸指導が出来ました。
ひとつひとつの講座の様子はそれぞれ違ったけれど、今全ての活動が終った今、この2年間の自分自身の変化を驚く思いで振り返っています。

時間が経つにつれ、いつのまにかひとりで街の中を歩けるようになり、バスやコレクティーボ(乗り合いタクシー)をコースを選んで乗換えができるようになりました。。
そしてわずかずつですが言葉の意味が解るようになってきて通じるようになったことは驚きです。これは覚えたということではなくて、相手が私のわからない状態を理解しつつよく聞いてくれて、私がわかるのを待ってもらえるようになったということに尽きますが、言葉が先走りするのではなく心情的なことの交互通行ができてきたということでしょうね。

いい友人もたくさんできました。挨拶だけの付き合いではなく、食事や買い物、大好きなダンスグループの活動を一緒にすることで、生活そのものの姿勢が見えてきました。
家庭をもち、子育てをしている人たちには基本的な行動は同じものがありました。
と同時に抱えている喜びも問題も同じです。普通の会話の中に同じ女性としての感性が互いに響きます。

手芸講座は主にバッグ作りでしたが、ミシンが初めての生徒から、手芸や洋裁を教えている方まで、年齢は10代から70歳代。実に様々な生徒さん達に会うことができました。
皆手づくりが好きで、知らなかったことを知りたいという同じ思いを持ち合って集った仲間です。
メキシコ人特有の時間にルーズ、無責任、アバウトな性格と自己主張の強さ。
最初は腹も立つことがたくさんありましたが、こちらが馴れてきた頃は反面の楽天性、仕様がないね、とあきらめることの効用、決して相手を恨まない、全て自分にとっての必要か否かが優先する。そうすることが生き生き生きられるのだという実感です。

彼女達は最初、きちんと作ることへ抵抗します。
「たいした問題じゃない」…この辺が安かろう悪かろうの手工芸商品によく現れていることですが、それを丁寧にまずは縫ってしまったものを解いてやり直すこと、きちんとできると満足感が違うことに気付いてもらいます。
生徒達にとっては、バッグの2作目までは大変に厳しいことを何度も言われることでプーと顔が膨れます。が、3、4作目くらいになると、やっぱり所定のとおりにでき、その後に好きなデザインでの飾りや工夫に凝るようになります。
そうすると、この自由な感覚の人たちの才能が開花します。色彩感覚やデザインは私の想像を超える素晴らしい作品となって表現されるのです。
私のほうが学んで帰ることが多いことに今改めて感じています。

生徒からよく「うちに来てください。ご飯を食べましょう!」と誘われます。遠慮なく伺うと、そこには家族と一緒の何も特別でない普段のご馳走が並び、食べきれない量を勧められます。このざっくばらんなところがまたいい。
できることを無理しないで、その上暖かく迎える。立派なお金をかけた食事でないのがまた、いってみようかな?ということにつながります。
もう帰ってしまうの?また来るんでしょ?と言われてじわっと涙ぐんでいる私です。
この暖かい国メキシコ・オアハカ。大好きです。

いまだに貧富の格差と人権の差が垣間見える場所ですが、何故かずっとここに居たくなる。またきっと帰りたい、そんな思いにさせてくれる素敵なオアハカでした。

以上。

第3回:「現地レポート 〜その3〜」(2007年12月7日)

【写真】

ピノテパの生徒さんは色彩がきれい。

【写真】

指導中です。

【写真】

修了展示会は250個以上の作品展示がありました。

【写真】

生徒のグラフイーラさんは、ピノテパに伝統刺繍を自ら率いる女性グループに伝えている。

【写真】

休日に海へ行きました。この家の床は砂地のまま。ハンモックに寝ているそうです。魚がおいしかったです。

【写真】

同行のファニータとマリアは服を着たまま海にザブン!私はスケッチ。そのまま南国です。

メキシコ・オアハカ市の佐藤みえ子です。
残りの任期が半分を切ると本当に時間が過ぎるのが早く、あっという間に任期終了となりそうです。

メキシコ・オアハカ市は去年の11月末の騒動以来静かでしたが、このたびやっと外務省の危険ランクが下がりました。これで日本からの団体客や旅行が増えるものと思います。というのは、このオアハカ市、モンテアルバン遺跡と街並みが世界文化遺産に登録されていて、メキシコでも歴史を誇る有数の都市なのです。

こちらで暮らすこと1年8ヶ月。今は手芸講座を中心に、こちらの主に女性の方々にバッグを中心に手芸指導をしています。活動先は市内の2つの職業訓練校を中心に講座を持っていますが、時には地方に出かけての出張指導をしています。

前回はオアハカ州ピノテパ市に2週間の予定で、カウンターパートのファニータと一緒に行きました。半分トラック型の車で山を越え飛ばすこと8時間。400キロ以上も離れた太平洋に近い山の上の町でした。

オアハカ州はメキシコがスペイン領であった時代から数々の人種が入り込んでヨーロッパ系、アフリカ系、アジア系実に様々な混血人種が見られます。私が住んでいるオアハカ市では、先住民族のサポテコ人とヨーロッパ系、たまにアジア系が多いのに比べて、海岸近いピノテパは白人系とアフリカ黒人系が多かったような気がします。打ち合わせに担当事務所(ICAPET)に行きました。場所は崩れやすい道を揺られて山の上。打ち合わせを終って車が出発するまで景色をスケッチしていました。

近づいてくる少年がいます。道無き雑草と雑木の山の中を刀のようなものを左右に振って歩き道を開けている。「ブエノスデアス〜」と声を掛けると「ブエノ…」と小さな声でうつむいて脇を通りました。足元を見ると、なんと、彼は裸足!え?山の中を歩いて来たのよね?こちらスニーカーでも危ないかな?と思う山肌を?

街に戻りました。町には活気があって人々がたくさん往来します。
やはり裸足の人があちらこちら。反面、日本のランドクルーザー車や高級車を駆っている人や、ネットカフェにたむろする若者たちも。ここには日本の50年も前(いやもっとかな?)の姿と現在とが混然一体となっています。

短期集中の手芸講座は午前が23人。午後からは20人といて、ほとんどが家庭の主婦であり、各4時間ずつの一日8時間の講習会です。100年以上前の石造りの集会所は外が猛暑であるのに、建物の中はやっと息がつける程度には下がります。けれど、中にいるのに顔面に汗が吹き出る暑さは並みじゃないですね。そして午後には決まって雷雨になり脇の道が滝のようになります。

海辺に近い人たちは気が荒い、と言われてきたけれど、ほんとにそうで自分の場所を確保するのに睨み合ったり、できそうに無いのを簡単よ、と言い切ったり。まずは自分が第一、そして勝手気儘であるのに、私は妙に納得する部分があります。それはきっと彼女達が真っ向勝負だからに違いない。バッグ作りが楽しくて、意欲が出てくればやる。気が向かなければやらない。

ひとつ目ふたつ目は間違ってもほどくのはイヤ!と駄々をこねる人たちも3作目あたりから俄然やる気が出てきました。仲間に本気になってきた人が出てきたことで負けていられない精神が互いに刺激となった様子。午前の人が帰らずに午後もいて、午後の生徒さんが朝から来ていたり、終盤にはいったい何十人の人があそこに詰めたのだろう。私のつたないバッグ作りが、終了の日には1人6個以上の作品となって展示ができました。

講座終了後には生徒さんの家に招待されて食事に誘われたり、休日には祭りへの招待、海にも何回か一緒に行ったり。お互いの心の壁がなくなると、家族の幸せや子育ての悩み、生活の厳しさの話も出てきて、いつしか同じ地球の同じ女性達です。
私の人生はちょっと長いけれど、うなずきあうこともいっぱいあって時間を忘れておしゃべりを楽しみました。勿論辞書や身振り手振りの助けを借りてのことですが。

出張講座はオアハカ州の北、西、東。ふたつの学校の講座は9回になりました。刺繍や織物の盛んなこのオアハカ。地場産品を生かしたバッグ作りに向けて、あと少しですががんばってみたいと思っています。

第2回:「現地レポート 〜その2〜」(2007年02月16日)

【写真】

手工芸講座の風景

【写真】

語学学校で日本を味わう。おにぎりと豚汁を作りました。

【写真】

ソカロ・中央公園にある美術館の壁画

【写真】

オアハカの刺繍を利用してバッグを作りました。

【写真】

町の風景。有名なサントドミンゴ教会。

メキシコ・オアハカ市の佐藤みえ子です。2007年になりあっという間に派遣から1年が経ってしまいそうです。

あれからのオアハカは大変だったのですよ〜。最大の騒動は11月25日の治安部隊とデモ隊との大衝突。セントロ・中心街に住む私にとって、まさかの体験。私のブロックされた家の外側までが現場になりました。
半年間の衝突の結果、市民は大きな痛手を負いましたが、街は一斉に建物を塗り替えて、ソカロ・中央公園には音楽を流しています。しかし、世界文化遺産を誇り外国人観光客が溢れる街並みに戻るには時間がかかりそうです。

私は身の安全優先ということで、一時 赴任地変更の話も出ましたが、現在は元通りの手芸講座を開き、やっと本来の活動が始まっています。
今回はJICAとこちらの経済省からの出資で5台のミシンが揃い、9名の講座生が、順調にバッグやベストなどの課題を作っています。

若い男性がひとり入ってきました。ミシンを使うことも初めてなのに彼は毎回一番に来て、真剣に製作します。講座生は彼のようにまったくの初心者から洋裁の先生、リボン刺繍の先生などでレベルの差があるのですが、できる方がアドバイスしながら一緒にやろうという姿勢があってありがたいものです。
今日の作品は化粧ポーチ。どういう訳かミシンの調子が悪い。初めてのファスナー付けがうまくいかない。よく見てみると糸のかけ方の間違い。ミシンを整え縫いますが、2ミリのステッチがきれいに出来ない。アイロンで縫い代をきちんと折ること、ファスナーと布地の中央を合わせ、待ち針やしつけをかけること、ミシンは端からかけると糸が絡まるので少し手前から始めてバッグして端に戻り、ゆっくりかけることできれいなステッチになること等、たった20センチあまりのファスナー付けでもこんなにポイントがあるのです。 「最初は何回失敗しても正確に作ること。ごまかさないこと。そうすれば2回目、3回目はきっとあっという間に出来るようになりますからね」と繰り返し伝えます。頑張ってすでに4個目の作品。これどうするの?と聞くと、勿論売るよ!との返事。そうです、喜ばれる作品、買いたいと思ってくれる丁寧な仕上がりであれば彼の夢は膨らみます。

もうひとつの場所での活動もあります。こちらは先住民からの刺繍や織物を利用した商品を実際に製作している方々が対象。半分の方がミシンは触ったことがないとの事。タペテという絨毯織りの小さなものをショルダーバッグにして民芸品に売っていますが、何とかデザインを変えてもっと売れる商品にしたいということです。民芸品という素朴さを残して、目に新しい感覚のものを考える、ちょっと難しい大きな課題です。

一年近くになることで、日常生活ではまず、ひとりで出かけられるようになったこと。これが大きいことです。一時はスペイン語がアレルギーになってしまい耳を覆う状態が続きましたが、単語の羅列でもこだわることなく買い物や用事が足せるようになりました。 体調は よくおなかを壊したり、全身がポリポリ痒くなって湿疹が出たり、ちょっと駆け出すと息切れしたりと環境に慣れるまで時間を要しましたが、根が楽天的なこと、身近にSV仲間がいること、悩みを長引かせないことを心がけて どうにか元気にやってこられました。

メキシコで一番有名な祭りと言われているゲラゲッツァ祭はもともと先住民族のそれぞれの収穫祭。その踊りのグループに入りました。衣装も民族により刺繍やレースがとても素敵で、目指すは発表会。楽しみが増えました。

気づいてみればあと一年あまり。おいしい果物、野菜をたくさん食べて、いっぱいの人たちと会い、笑顔をたくさん交わしたいと思っています。

第1回:「現地レポート 〜その1〜」(2006年10月23日)

【写真】

オアハカは水が少ないうえに水道の水は飲めません。これはガラフォンといい、14ペソ約140円で買います。この水も煮沸すると鍋底にぎっしり白く石灰分が残ります

【写真】

5月祭り。オアハカには7つの代表的な民族があり、言葉も文化も違います。衣装(ウイピル)もそれぞれ特徴があります。

【写真】

手工芸講座の展示発表会で

【写真】

オアハカの陶器製人形。明るい色合いがメキシコです。ほとんど女性が作っているそうです。

【写真】

オアハカの9月

春、満開の桜に送られ日本を発ってから早や半年も経ってしまいました。
こちらはメキシコ・オアハカ市。先住民族の比率が一番高く、メキシコ国内でも貧困の州になっていますが、実は遠くマヤ文明よりも古い歴史と文化の地。モンテアルバンやミトラの遺跡、市内の街並みは世界文化遺産に登録されており、赴任当初はまるで観光客のように物珍しく目に映りました。
ラテンの音楽と踊りと陽気な市民はみな明るく 「なんていい所に来たのだろう。」などと思いましたが、状況はどんどん変わってきてしまいました。
5月からの教職員ストが10月になった今も続いているのです…

集団となった人の塊が道路を封鎖し、役所や銀行、放送局の前に陣取るなど、まさにシャットアウト。「占拠」と言う言葉どおりの状況です。
「日本だってそんな時代があったわ。」と当初は楽観してましたが、このような状況のために機材の購入が思うようにいかなかったりなど私の活動も予定していたとおりに進まなくなり、少しばかり影響がでてしまっています。つくづく日本の平和を感じています。
オアハカの町もまだ良い方向にはなっていませんが、友人に連れられて村の頑張っている女性を訪れたり、前任のボランティアが作ったソフトボールチームに関わったりとマイペースで生活しています。今月末には、作品展示会も予定されており、私も講座用の手本作品などを出展する予定にしています。

さて、先住民の文化は予想以上に素晴らしいものです。木工、陶芸、そして手工芸は織物や刺繍にさすがラテンの明るさと色彩の豊かさを感じます。今のところ私の出番は「日本人」らしい”始末の丁寧さ”くらいです。ボランティアとして活動しているものの、オアハカの人達から教わることの方が多いような状況です。

目に映るもの全て見たことのない環境の中にいるので、街中で周りを見渡してみたら「あれ?日本人私一人だったのね!」と気がついて、たまにキョトンとしてしまうことも。「いいさ、それでも私はここで生きている!」と呟きながらリュック姿の自分を眺め、たまに腰をさすりながら、たまに胸を張りながらオアハカの街を歩いているのです。