野辺 理恵 「モザンビークからの現地レポート」
Rie Nobe
秋田県由利本荘市出身
青年海外協力隊
- 職種
- 理数科教師
- 配属先
- モザンビーク/サモラマシェル中等教育校(シモイオ市)
- 活動概要
- ジンバブエ国境近くの州都シモイオにある中等教育校で物理(日本の中学、高校レベル)の授業を受け持ち、モザンビーク人教師とともに分かりやすい実験や教材の開発、教師用実験の手引き、指導書の作成や教員への再訓練などに協力する。
- 派遣期間
- 2007年1月〜2009年1月
- プロフィール
- 青年海外協力隊・平成18年度2次隊・理数科教師(物理)でモザンビークに派遣されています。教員免許なし、塾講師等の経験もなしですが、理数科教師として活動中です。まだまだ分からないポルトガル語とモザンビーク文化に囲まれて元気に活動しています。
第10回:シモイオ理科セミナー(2008年8月4日)
生物グループ
化学グループ
物理グループ
7月24、25日にシモイオ市内の中等教育校の理科教諭(物理、生物、化学)を対象に理科セミナーを開催しました。講師は5名の理数科教師隊員(シモイオ以外からも3名の隊員が参加してくれました)と3名のモザンビーク人(私の配属先の同僚)です。参加者は二日間合わせて延べ118人になりました。
日本の学校では小学校から高校まで理科室があるのが普通で、実験器具も揃っています。しかし、ここモザンビークでは実験室のある学校は少なく、実験室はあっても実験器具はない、器具があっても使い方が分からないので放置されているというのが現状です。そこで、実験室のない学校でも実験を取り入れた授業が行えるように、「身の回りにあるもので実験をしよう」をテーマにしてセミナーを行いました。
私が担当した物理グループはペットボトル、アルミホイル、乾電池、紙など、モザンビーク国内どこでも手に入るものを使って実験器具を製作してもらい、その後で使い方をマスターしてもらいました。参加者の理解度のレベルは様々でしたが、「理解できた人が、理解できない人に解説する」という光景をよく目にしました。お互いの「知識の交換」ができていたと思います。
生物グループはモザンビーク人からの要望の高い顕微鏡観察を中心にセミナーを行っていました。化学グループは同じく身の回りにあるものを利用した実験から、実験室にある実験器具の使い方まで指導を行っていました。
当日はテレビモザンビーク(全国放送)や地元ラジオ局の取材も受けました。テレビ取材の模様は翌週の番組で10分ほど紹介され、青年海外協力隊の活動が広くモザンビーク中に広まったのではないかな?と思います。今後はこのセミナーに参加してくれた方と一緒に、より広く活動していきたいと思いました。
第9回:「日モ親善コンサート」(2008年6月13日)
今回のコンサートを主催した隊員。ピアノを弾いているのが隣州から来てくれた音楽隊員。フルートを吹いているのがシモイオの理数科教師隊員。
主催者と観客全員での記念撮影。隊員に挟まれているのが校長先生(男性)と音楽教諭(女性)。
私の住むシモイオ市からバスで30分程行ったところに初等教員養成学校があります。ここは日本の援助で建てられた学校で、日本製の理科実験器具や楽器があります。ですが、この学校にはこれらの道具を使いこなせる先生が居ないのが現状です。
先日、この話を聞いた音楽隊員(隣州の初等教員養成学校で活動中)がシモイオにやって来ました。この学校に行き、校長先生と話をした結果、シモイオ市に住む音楽好きの理数科教師隊員(残念ながら私ではありません)と一緒に授業を兼ねたコンサートの開催をすることになりました。昼間は通常の授業があるということで、夕方6時半から40分程度の開催となりました。ピアノ、トランペット、マリンバ、縦笛、フルート(隊員所有物)などを使って、日本の歌、モザンビーク国歌、簡単なポルトガル語の歌(小学校の生徒向けの歌)などを演奏しました。観客の生徒や先生たちも一緒に歌う場面もあり、大変盛り上がりのあるコンサートでした。同校の音楽教諭は青年海外協力隊の教え子でもあり、実技を取り入れた授業に積極的に取り組みたいという姿勢も見られ、今回の交流が相乗効果を生み出すのではないかと感じられました。隣州から来た隊員は大変だったと思いますが、このような交流が続いていけばいいなと思いました。
第8回:「女性の日」と「労働者の日」(2008年5月6日)
女性の日の行進
パーティーで女性の日の歌を合唱
メーデーの行進(配属先にて)
山車のようなトラック
4月7日はモザンビークでは「女性の日」です。この日は初代大統領の一人目の妻ジョジナ・マシェルの命日です。ジョジナ・マシェルはモザンビーク内戦時に兵士として戦った人で、戦死しています。この日、女性は民族衣装カプラナに身を包み、各学校や職場ごとに広場に向けて行進を行います。その後、広場で式典を行い、パーティーとなります。この日、女性は家事をしなくてもいいことになっており、男性が家事を担当するということになっているそうです。が、私の見た限りでは、男性も一緒になってお酒を飲んでいました…。
一方、5月1日は世界的に「労働者の日(メーデー)」です。モザンビークはこの日は休日です。日本は会社によっては休日ではない話をするととても驚かれます。この日も朝から広場に向かって行進します。各職場で行進するのですが、日本でイメージするメーデーとは違い、御祭りの様な感じです。日本で言うならば祭りの山車の様な車が先頭にいて、その後を行進するといった感じです。一応、「雇用条件改善」や「賃上げ要求」のようなことは書いていますが、とてもそんな雰囲気には感じられませんでした…。この日も最終的には各職場でパーティーとなり、飲み明かすのです。
モザンビークの祝日は朝の行進に始まり、夜のパーティーで終わるのがお決まりのパターンなのです。
第7回:2008年スタート!(2008年2月29日)
12年生との授業風景
実験授業中の同僚教師
約一ヵ月の夏休み(南半球なので、日本の冬休みがこちらの夏休みです)を終えて、2008年1月28日に学校がスタートしました。初日は日本と同じで始業式がありました。でも日本と違うのはここからで、学校が始まって2週間は開店休業状態です。先生も生徒もほとんどおらず、授業なんて出来る雰囲気ではありません。生徒の名前が名簿にないなんてこともよくあります(これは2月終了時点でもまだありますが…)。日本では考えられない新学期に驚くと共に、「あ〜、これがアフリカン・タイムか」と思いました。
2月中旬になると授業も回り始めました。物理の実験授業もスタートしました。今年の仕事始めは12年生(日本の高校3年生)と「光プリズム」の実験をしました。12年生は、去年11年生で一緒に授業をしていた人が居たり、卒業できなかった人が居たり…。みんな私の授業を受けていた人なので、授業をやり易いです。逆に、今年から学校に入ってきた11年生(モザンビークは11年生が高校の初年度です)からは、「中国人ですか?」何て一年前と同じ質問をされたりしています。私がポルトガル語を話せると分かるととても驚いているのが面白いです。一年前の2月に赴任したときより、冷静に物事を見られて、楽しめている自分に気付きます。これから残りの一年に充実した活動ができるように、頑張りたいと思っています。
第6回:「卒業試験」と「理数科分科会」(2007年12月14日)
11月と12月は卒業試験のシーズンです。中等教育で対象になる学年は10年生(日本の高校一年)と12年生(日本の高校三年)です。日本では卒業試験が存在しないので、ここで少しモザンビークの卒業までのシステムを説明します。
学校は日本と同じ三学期制で、各学期に最低三回(中間二回以上、期末一回)のテストがあります。そのテスト結果の平均を計算して、14点以上(モザンビークのテストは20点満点)の場合は卒業試験を受ける必要はなく、全教科14点以上で卒業決定となります。14点未満の教科がある生徒はその教科の卒業試験を受けなければなりません。卒業試験は二回あり、一回目で合格できない場合には二回目の試験を受けることができます。二回目の試験でも合格できない場合には卒業資格はもらえません。試験自体は一週間で終了しますが、その後の採点・成績処理に2週間以上かかります。
11月から始まった卒業試験で、私はまず試験監督をやりました。試験監督は基本的に二人で行いますが、モザンビーク人教師は遅刻したり、電話に出てみたり、トイレに行って帰ってこなかったりと日本では考えられない試験監督がたくさんいます。一方、試験を受ける生徒は横を向いたり、話したり、メモを持ち込んだり、トイレで答えを交換したりとカンニングをしようとします。これではマズイと思ったので、カンニングが起こらないようにと厳しく取り締まりましたが、カンニングペーパーの持込があったことが残念でなりません。試験終了後は同僚と一緒に採点と成績処理の作業をしました。採点は日本とそれほど変わらないと思いましたが、成績処理はアナログ作業で時間の無駄だなぁと思いました。さらにはモザンビーク人の国民性で、話してばかりで作業が全く進まないなんてこともよくありました。でも、この日本と違う感じが楽しみでもありました。最終日には同僚と教頭先生、校長先生と飲みに行き、いろんな話が出来で楽しかったです。飲みニュケーションはどこの国にいても重要だと思います。
第5回:「先生の日」と「学校の日」(2007年10月22日)
「先生の日」の行進に参加した先生たち。お揃いのシャツを着て歩きます。
「先生の日」のパーティー会場(学校の体育館)の様子。
「学校の日」の日本紹介で剣玉をする隊員。
「学校の日」の日本紹介で折り紙をする生徒たち。
10月は私の学校で大きなイベントが二つありました。一つは10月12日の「先生の日」、もう一つは10月19日の「学校の日」です。「先生の日」の主役はもちろん先生で、「学校の日」の主役は生徒です。
10月12日は、朝は最初に学校の体育館に生徒と先生が集まり、校長先生の挨拶のあと、生徒が先生に「おめでとうございます」と言ってハグとキスをしていきます。その後は行進です。この国では何かの祝日の際には必ず行進をします。行進のあと式典、カルチャーグループの踊り披露、サッカーの試合などのイベントが夕方まで続きます。でも、この日の一番のイベントは夜に始まるパーティーです。私の学校は参加費が約3700円、夜8時から体育館でスタートの予定でした…。でもそこはやっぱりモザンビーク、時間通りには始まりません。始まったのは9時を回ったころでした。その後は飲んで、踊るというモザンビーク流のパーティーが朝4時まで続いたそうです(私は途中で帰りましたが…)。このパーティーは1日で終わるのかと思ったら、翌日は昼の2時からまた飲んで、踊ってのパーティーでした。「準備したお酒と料理がなくなるまで続ける」のが毎年のことだそうで、この日はお酒がなくなるまでパーティーが続いたそうです。
一方、10月19日ですが、この日はモザンビークの初代大統領サモラ・マシェルの命日で、学校名がサモラ・マシェルの学校は「学校の日」となります。この日も朝の行進から始まります。式典会場に着けども、一向に式典は始まりません。どうやら来賓の到着が遅れたようでした。結局待つこと1時間以上、やっと来賓は到着しました。その後は学校に戻って式典、劇、歌の発表などとイベントが続きます。私はその中で、日本紹介の展示会をしました。他配属先の隊員にも協力してもらって、剣玉や折り紙などの日本文化の実演や、観光名所の写真展示、日本語の紹介、モザンビークにおけるJICAの活動紹介などを取り上げました。最初は全く人が来ず心配しましたが、最終的にはたくさんの人に見てもらうことができました。校長先生には特に好評で、そのあとも引き続いて数日間行いました。来月には他隊員の学校でやろうと企画している最中です。
今月で3学期の授業が終わり、来月は10年生と12年生の卒業試験があります。より多くの生徒が卒業できることを祈っています。
第4回:「実験発表会 中部地区大会編」(2007年09月06日)
生徒と私
審査中の様子その1
審査中の様子その2
8月18日に実験発表会の中部地区大会がありました。モザンビークは全部で10州あるのですが、そのうちの中部地区4州から学校が集まって参加しました。この大会の主催者はアメリカ平和部隊で、私の学校以外は平和部隊のボランティアが勤務している学校からの参加でした。大会は各学校にブースが与えられ、そこを審査員が回っていくという方式で、上位6名(中学生3名、高校生3名)に20分間のプレゼンテーションの時間を与えられるというものでした。私の学校からは4名が参加して、審査員に熱心に説明していました。空いている時間に他の学校の様子も見てみましたが、興味深い実験がたくさんありました。私の学校も負けてないと思いましたけどね(笑)。でも残念ながら最終6名に残ることはできませんでした。生徒たちもとても残念がっていました。長期休みを返上して練習したのでとても悔しかったのだと思います。最後に同僚は、「この場に参加しただけで意味があることだ」と生徒たちに言いました。本当にそうだと思います。これは生徒たちにとっても私たちにとってもいい経験になったと思います。
最後にいいこともありました。この大会のもう一つの部門である、「HIV/エイズ」に関するポスター部門で「ベスト・メッセージ賞」をもらうことができました。翌週の全校集会で紹介され、生徒たちも自信がついたようで何よりでした。
学校は3学期が始まっています。でもそこはモザンビーク人で、最初の1週間は生徒も先生も学校に来ません。2週間経って最近やっと授業ができるようになりました。3学期は最終テストがあるので頑張って欲しいところです。
第3回:「実験発表会 学校編」(2007年08月23日)
物理代表 電磁石
化学代表 物質の変態
7月14日に生徒による実験発表会がありました。8月18日に中部地区4州の実験発表会があり、それに出場する生徒を選考するための発表会です。実験の内容は物理・化学・生物の中から生徒が自由に選び、自作の実験装置で発表を行いました。当日発表した生徒は10名で(物理4名、化学4名、生物2名)でした。発表された実験はどれも個性的で、発想力に富んでいて、審査員である私は一生徒として楽しく見させてもらいました。モザンビークの生徒は人前で発表することが好きで、発表するときは自信満々です。先生になりきって発表していました。その姿勢が素晴らしいと私は思いました。また、観客として参加していた生徒も積極的に質問をし、内容の濃い議論ができた点も素晴らしかったと思います。
化学代表 物質の変態
生物代表 骨の燃焼
10名の発表者の中から特に素晴らしかった4名が選出され、8月18日の中部地区大会に出場します。より大きな舞台に立ってもきっと堂々と発表してくれるだろうと期待しています。その為に、今は休み中ですが休みを返上して練習をしていますから…。サモラ・マシェルの生徒の発表とともに、他校の生徒がどんな発表をしてくれるのかもとても楽しみです。
最後に余談ですが、発表会後に校長先生が全員にビールとジュースをおごってくれました。モザンビークでの飲酒は18歳からですが、この日は「特別」ということで生徒もビールを飲んでいました(校内で…)。いいんだろうか?と疑問に思った瞬間でした。これも文化の違いかなぁ…。
中部地区大会の模様は次回お伝えしますね。
第2回:「テストの結果はいかに?」(2007年07月06日)
新しくできたPCルーム
物理学実験の様子
6月18日〜21日にかけて、物理学実験のテストを行いました。対象は11年生(日本でいう高校2年生)の5クラスです。モザンビークの中等教育校では日本と同じように一年に数回のテストがあり、その平均点で合否を判断するというものです。今回は2学期の中間テストに物理学実験を入れてもらいました。電卓使用は禁止し(日本では当たり前ですが…)、計算問題は小学生でもできるような簡単なものにしました。でも生徒たちには難しかったようです。日頃から電卓なしで計算することに慣れておらず、基本的な計算(九九や小数・分数の加減計算)にも困難が生じているようです。計算できる生徒が少数派というのが悲しいところです。でも、私の電卓を使用しないというスタイルに慣れてきた感じはあるので、続けていきたいと思います。モザンビークのテストで気になったことがもうもう一つ。なぜかみんなボールペンで答えを書くのです。書き間違うと「紙をもう一枚ください」と言います。これは不思議で仕方ありません。文化なのかなぁと思うことにしました。
6月22日に学校にとって大きな出来事がありました。今まで学校にはPCルームはあったのですが、インターネットはつながっていませんでした。それが、外資系銀行の援助で学校にインターネットが開通しました。その開通イベントがあったのです。教育文化省の偉い人、銀行の頭取、報道関係者などたくさんの人が学校を訪れて式典がありました。でもインターネットが開通いたのに管理できる人がいないのでしばらく利用はできないようです。残念です。
7月、8月は学校は「冬休み(南半球なので日本と季節が反対です)」になります。モザンビーク国内を旅行したいと思っています。
第1回:「モザンビークの学校って?」(2007年06月14日)
学校の入り口
校舎
今年の1月8日に日本を発ち、アフリカのモザンビーク共和国で活動しています。モザンビークはアフリカ大陸の南にあり、南アフリカ共和国の隣の国です。公用語はポルトガル語です。
私は理数科の中でも物理を担当しています。勤務している学校はモザンビーク中部内陸のマニカ州シモイオ市にあるサモラ・マシェル中等教育校です。中等教育校は日本でいうと中高一貫校のようなところで、8〜10学年(日本の中学校)と11・12年生(日本の高校)の生徒が通っています。午前・午後・夜間と3部制になっていて、生徒数は6000人を超える大きな学校です。私はその中の物理実験室で活動をしています。学校には2005年6月に実験室が整備され、ドイツの援助で実験道具が納入されています。しかし、私が赴任するまでは全く使われていない状態でした。赴任してから一ヶ月は掃除と実験室の整備をしていました。赴任一ヵ月後に授業を開始し、今は主に11・12年生に実験の授業を行っています。日本では小学校から実験の授業がありますが、モザンビークの学校には実験の授業はないのが普通です。そのため、高校生でも基本的な実験道具の使い方が分かりません(例えば電流計、電圧計、ニュートンばねばかりなど)。また、数学に問題があり電卓を使用する光景がよく見られます。しかし、高校生は自分で物理を選んでいる生徒達なのでやる気があります。日本の学校ではあまり質問をする光景は見られないですが、モザンビークの生徒たちは積極的に質問をするところががいいと思っています。言葉が分からないときもあり、答えに困ることも多いですが楽しくやっています。
もうすぐ2学期が終わります。今回は期末テストに実験の授業の問題を作らせてもらうことになりました。結果がどうだったのかは次回お話します。