現在の場所はホーム > JICA東北 > 地域の皆さんへ > JICAボランティア > 派遣中ボランティア現地レポート > 阿部さおり 「マレーシア現地レポート」

阿部さおり 「マレーシア現地レポート」

Saori Abe
【写真】

宮城県柴田町出身
青年海外協力隊

職種
養護(現職教員特別参加/宮城県教育委員会所属)
現職教員特別参加:国立および公立学校の教員が身分を保持したまま協力隊に参加するための制度で、毎年春募集のみに募集します。
配属先
マレーシア/ペラ州教育局特別支援教育課(イポー市)
活動概要
ベラ州における特別支援教育の向上を目指して、サービスセンターを拠点に各学校を訪問し、児童生徒への指導と教職員への支援に当たる。
派遣期間
2007年9月〜2009年3月
プロフィール
大学卒業後、宮城県の教員に採用され、中学校、特別支援学校(肢体不自由、軽度知的障害)で勤務しました。

第10回:「カレンダー」(2008年5月20日)

昨年末に中華料理のレストランでもらったカレンダーには、日付の枠内に西暦、イスラム暦、ヒンドゥー暦、中国暦がまとめて記載されていました。異なる文化を持つ人々が隣り合わせで生きているこの国の姿を表していて、興味深いです。

日付(2008年) 祝日
1月1日 Tahun Baru 西暦新年(正月)
1月10日 Awal Muharam イスラム暦新年
1月23日 Thaipusam タイプーサム:ヒンドゥー教の祭
2月7、8日 Tahun Baru Cina 中国暦新年(旧正月)
3月20日 Hari Jadi Muhammad 預言者ムハンマドの誕生日
5月1日 Hari Pekerja 労働者の日(メーデー)
5月19日 Hari Wesak ブッダの誕生日
6月7日 Hari Keputeraan SPB Yang Di-Pertuan Agong 国王の誕生日
8月31日 Hari Kebangsaan 独立記念日
10月1、2日 Hari Raya Puasa ハリラヤ・プアサ:イスラム教の断食明け祭
10月27日 Hari Deepavali ディーパヴァリ:ヒンドゥー教の祭
12月8日 Hari Raya Hajiハリラヤ・ハジ:イスラム教の巡礼祭
※Hari Raya Qurbanハリラヤ・クルバン:犠牲祭とも言う
12月25日 Hari Krismas クリスマス
【写真】

タイプーサム

【写真】

ハリラヤの伝統料理

【写真】

旧正月

第9回:「学校訪問で出会う子ども達のこと」(2008年5月20日)

マレーシアの新学期は1月で、2学期制です。6歳児はPrasekolahという就学前学級に通うことになっています。義務教育はSekolah Renda(日本の小学校に当たる)からSekolah Menengah(日本の中学校、高校に当たる)までの11年間です。子どもの数が多いため学校は半日授業になっていて、午前と午後で子どもも教師も入れ替わります。

私は週3回、イポー特別支援学校で活動していますが、ここは聾学校で寄宿舎が併設されています。その校舎内に、州内唯一の肢体不自由学級があり、そこの担任とペアで授業をしています。

最近、週1回訪問していたタンブン小学校での活動を終了しました。特別支援学級が7学級あり、様々な障害を持つ子ども達が共に学んでいました。マレーシアの学校教育と日本の学校教育の共通点や相違点をたくさん発見しました。最終日には送別会を開いてもらって、ありがたかったです。

毎週火曜日は、サービスセンターの職員と一緒に、ペラ州内の各学校を巡回しています。特別支援学級を担当している先生方に授業を見せるのが目的なのですが、毎回、初対面の子ども達にいきなり授業をしなければなりません。学校数が多いので、各学校1回きりの訪問です。音楽や図工、体育などの授業をしています。こちらの音楽の先生はピアノが弾けないので、弾くと先生方にも子ども達にも喜ばれます。子ども達が楽しみながら学べるよう、そして先生方の学習指導の参考になるよう、あれこれ考えて私なりに努力している日々です。

【写真】

リトミック

【写真】

工作

【写真】

個別の指導

第8回:「多様な人々」(2008年5月20日)

多民族国家のマレーシアでは、街を歩いている人々の顔、服装、言葉も様々です。

マレー系の人々は、イスラム教徒なので肌を見せない服装をしています。学校の教職員はマレー系女性が多数を占めていますが、彼女達はバジュクロンという伝統衣装に身を包み、トゥドンというスカーフを頭にかぶって働いています。男性はソンコという小さな帽子をかぶり、サンピンという短い腰巻をつけて、モスクへ礼拝に出かけます。

インド系の女性は、お祭や結婚式でサリーまたはパンジャビスーツを着ます。その色彩の美しさに、私はいつも目を奪われます。インド系は皆ヒンドゥー教徒だと思っていたら、イスラム教徒やキリスト教徒もいて、実際に接してみないと分からないと気づきました。

中華系の人々は普段、洋服を着ています。チャイナドレスを着ている人に会ったことがありません。ちなみに、私は街でよく中華系に間違われ、中国語で話しかけられます。私がつたないマレーシア語で返答すると、外国人だということに気づいて、今度は英語で話しかけてきます。

この国では国語のマレーシア語だけでなく、タミール語、中国語(マンダリン、広東語、福建語、客家語など)、アラビア語、英語など複数の言語を話せる人が多いです。例えば、先週末、同僚のビワ先生宅に泊まった時、彼女は同居している母や弟と中国語で会話し、夫と娘とは英語で会話し、インドネシアから来たお手伝いさんとはマレーシア語で会話していました。彼女の夫は義母とタミール語で会話していました。家庭の食卓においても様々な言語が交わされる、すごい国です。

【写真】

インド系マレーシア人

【写真】

マレー系マレーシア人

【写真】

中華系マレーシア人

第7回:「わさびの国からとうがらしの国へ」(2008年5月20日)

今回は食べものについて紹介します。マレーシア人の主食は日本人と同じ「米」ですが、日本の米より長細く、水分と粘りが少なく、パサパサした食感です。「ナシチャンプルー」と言って、お皿にご飯を盛り、その上にカレーや肉、魚、野菜などのおかずをのせて食べます。マレー系とインド系の人々は右手で食べます。

麺の種類はミー、クイティアオ、ビーフン、ラクサなどいろいろあります。多民族国家なので料理もバラエティに富んでいますが、「チリ」と呼ばれる緑や赤のとうがらしを使うため、辛いです。こちらの人々は「日本のWASABIこそ辛いよ。」と言いますが、チリの辛さもかなりのものです。わさびは鼻にツンときて、チリは舌がビリビリします。

お菓子はココナッツミルクを使ったものが多いです。隣人のパウズィアさんは料理上手で、時々、差し入れを持ってきてくれるのですが、彼女が手作りするお菓子にもココナッツミルクがよく使われています。また、店では”DORAEYAKI”というドラ焼き風のお菓子を売っています。小豆のほか、ピーナッツクリームやチョコクリーム、いちごジャム、「カヤ」というココナッツミルクから作ったジャムをはさんだものがあります。

それから、マレーシアはやはり果物がとびきりおいしいです。マンゴー、ドラゴンフルーツ、スターフルーツ、パッションフルーツ、ジャックフルーツ、パイナップル、バナナ、パパイア、ランブータンなどトロピカルフルーツの宝庫です。「果物の王様」と呼ばれるドリアンも道端で売られています。クリーミーな味ですが、匂いが強烈なため、ホテルには「ドリアン持ち込み禁止」の表示があるほどです。

【写真】

スチームボート

【写真】

ドリアン

【写真】

フィッシュヘッドカレー

第6回:「海外でのひとり暮らし」(2008年5月20日)

私は、ペラ州イポーの郊外にある公務員住宅に住んでいます。敷地内に5階建てのアパートが10棟あり、門の所でセキュリティガードが24時間勤務しています。ボランティア活動先のイポー特別支援学校や商店街までは徒歩10分くらいです。

最初にここへ来た時は、電気や水道、ガスの手続きをしたり、銀行口座を開設したり、洗濯機や冷蔵庫、シャワー、カーテンなどを購入したりするのに、特別支援教育課の職員や近所の方々に手伝ってもらい、徐々に生活が整いました。郵便局への行き方やバスの乗り方なども教えてもらいました。その後も、トイレが故障したり、ガラス窓の取っ手が突然外れて開閉も施錠もできなくなったり、水道タンクから水漏れして玄関先が水浸しになったりしましたが、その度に周囲の方々に助けてもらいました。「人は一人では生きていけない。」という言葉が身にしみる海外でのひとり暮らしです。

また、青年海外協力隊は自家用車の運転を禁止されています。常夏のマレーシアで、強烈な日差しや突然の雷雨の下を歩いていると、日本で自家用車を運転していた自分がどんなに便利な生活をしていたか気づきます。マレーシアでは、既にバイクも自家用車も普及しているので、地元の人達から「どうして車を買わないの?」「国際運転免許を持っていないの?」と不思議がられます。

海外でのひとり暮らしは、自立心を養ってくれます。それと同時に、自分は周囲の人々に支えられて何とか生きているという事実を思い出させてくれます。

【写真】

自宅

【写真】

自宅リビング

【写真】

自宅からの眺め

第5回:「マレーシアってどんな国?」(2008年3月20日)

私は日本にいた時、マレーシア人に会ったことがありませんでした。東南アジアにはシンガポールやタイ、インドネシア、ベトナムといった魅力的な国々があるけれど、マレーシアはそれほど知名度が高くないと感じていました。

今回はそのマレーシア情報をおおまかにご紹介します。

  1. 面積:33万平方キロメートル(日本の約90パーセント)
  2. 人口:2,600万人(日本の約20パーセント)そのうち約1万人が日本人で、会社員とその家族が多い。最近は、セカンドホームプログラムで退職者の長期滞在が増加している。
  3. 政治:立憲君主制。議院内閣制。
  4. 経済:天然ガス、木材、パームオイル製品(洗剤、食用油等)を日本へ大量に輸出している。日本の企業が多数進出している。
  5. 歴史:15世紀にマラッカ王国成立。その後、ポルトガル、オランダ、イギリス、日本、イギリスの順による占領を経て、1957年に独立。
  6. 民族:マレー系約60パーセント、中華系約30パーセント、インド系約10パーセント、先住民族、外国人
  7. 言語:国語はマレーシア語。中国語、タミル語、英語など。
  8. 宗教:国教はイスラム教。信教の自由は認められている。
  9. 通貨:リンギット(RM1.00=約35円)
  10. 気候:熱帯性気候
  11. 時差:日本より1時間遅い。
【写真】

国花ハイビスカス

【写真】

首相官邸

【写真】

イスラム教のモスク

第4回:「ボランティア活動開始」(2008年3月20日)

2007年11月9日、私は同期の仲間と別れ、JICAスタッフに付き添われてペラ州イポーへ向かいました。イポーは首都から約200キロメートル北に位置しクアラルンプール、ペナンに次いでマレーシアで3番目に大きな都市で、人口は約50万人だそうです。配属先で自己紹介をしてから、マレーシア政府が提供してくれた住まいを見に行きました。まだ電気が使えないので、手続きが完了するまではホテルに滞在することになりました。

その後、ペラ州内で特別支援教育に携わる先生方対象の研修会に参加しました。難読症や自閉症について講義を受けたり、グループ毎に児童生徒の事例を検討し、児童生徒への対応を考えて発表したりしました。私は講師陣のマレーシア語をほとんど理解できず、まるで宇宙人になった気分でした。

現在、毎週月曜日・水曜日・木曜日はイポー特別支援学校で、火曜日は各学校を巡回、金曜日はタンブン小学校で活動しています。こちらでは、特別支援学校とは聾学校または盲学校を意味します。知的障害や肢体不自由、ADHD(注意欠陥多動性障害)、自閉症、ダウン症、聴覚障害、視覚障害などの子どもは小学校や中学校の特別支援学級に在籍しています。

私は福島での訓練中にボランティア活動の目標を立てました。「できるだけ早く異文化に適応する。」「配属先の要望に沿って、周囲の人々と良好な関係を築きながら活動する。」「帰国後の社会還元を頭に入れて、記録を残す。」の3つです。こちらの人々に喜ばれる活動ができるように精一杯努力したいと考えています。

【写真】

小学校の児童と先生

【写真】

音楽の授業

【写真】

図工の授業

第3回:「ホームステイ」(2008年3月20日)

現地訓練にはホームステイも含まれていました。私は、昔体験したアメリカでのホームステイを懐かしく思い出し、「マレーシアではどんな風かな?」と、楽しみにしていました。

首都から北に車で3時間近く行くとクアラカンサーというまちがあり、そこのマレー系集落で1週間生活しました。私がお世話になった家庭は父、母、5人の子ども達という家族構成でした。日本での生活と大きく違うのはお風呂とトイレでした。風呂場にはバスタブやシャワーがなく、水がめの中から水を汲んで浴びていました。トイレにはトイレットペーパーがなく、こちらの人は用を足したら、水でお尻を洗うそうです。

村には牛やにわとり、猫がいて、椰子の木や様々な果物の木が生い茂っていて、そののどかな風景が印象的でした。また、お年寄り達は、君が代や軍歌を覚えていて日本語で歌ってくれたのですが、私は複雑な気持ちで聴きました。日本がかつてこの国を占領した過去があるにも関わらず、村の人達は日本人である私を温かく迎え入れ、優しくしてくれました。ホストファミリー宅には、毎日たくさんの子ども達が遊びに来ました。そこで私はマレーシア語を教えてもらったり、日本語を教えたり、折り紙を一緒にやったりしました。こちらの子ども達はテレビで「ドラえもん」「ウルトラマン」「ドラゴンボール」などを見ていて、よく知っていました。なぜかキロロの「未来」という歌が大人気で、何度も一緒に歌いました。

最後の夜、ホストマザーがバジュクロンというマレー系の伝統衣装をプレゼントしてくれました。それは、彼女が縫って仕上げてくれたものでした。心のこもった贈り物に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

【写真】

村の風景

【写真】

ホストファミリー

【写真】

村の子どもたち

第2回:「クアラルンプールにて」(2008年3月13日)

日本での訓練を一緒に受けた仲間は、青年海外協力隊として、世界各地へ飛び立っていきました。私も、4人の同期とマレーシアへ出発しました。上空からは、オイルパームの木々や茶色の川、オレンジ色の屋根の住宅地が見えました。私にとっては11年ぶりのマレーシアでした。

到着後は首都クアラルンプール(KL)で現地訓練がありました。ホテルに滞在しながらJICA事務所へ通って、語学レッスンを受けたり、マレーシアでの生活やJICA事業についての説明を聴いたりしました。医師から健康に関する講話、大使館職員から交通安全と防犯に関する講話もありました。また、年に一度開催される「隊員総会」というものもあって、20名の先輩隊員達の活動報告を聴くことができました。

週末は休みだったので、仲間と一緒にあちこち出かけました。国立博物館、バード・パーク、ムルデカ・スクエア、ブキ・ビンタン、スランゴール州の蛍の村など…。習ったばかりのマレーシア語で、現地の人々と一生懸命会話しました。KL滞在中は、ちょうどイスラム教徒の断食の月でした。断食が明けるハリラヤの時には、オープンハウスと言って家を開放してごちそうをふるまう習慣があり、私達は首相のオープンハウスへ行ってみました。残念ながらアブドゥラ首相には会えませんでしたが、大勢の人々に混じってマレー料理をごちそうになりました。そこで出会った女性がKL市内を案内してくれました。彼女をはじめ、KL滞在中に出会った人々はとても親切でフレンドリーでした。

【写真】

ベトロナスツインタワー

【写真】

最高裁判所

【写真】

首相のオープンハウスの様子

第1回:「応募から派遣まで」(2008年3月13日)

【写真】

二本松訓練所

【写真】

訓練所の語学講師ノルミザン先生と

【写真】

訓練修了式の日に

日本の皆さん、こんにちは!私は青年海外協力隊のメンバーとして、マレーシアで活動しています。早いもので、こちらへ来てから半年近く経ちました。今日から、こちらでの活動や生活の様子を日本の皆さんにお伝えしていきたいと思います。このエッセイを読んで、青年海外協力隊やマレーシアに興味を持っていただけたら、うれしいです。

私が青年海外協力隊の募集に応募したのは2006年の4月でした。国際協力に関心があり、JICAのホームページを見て、ぜひチャレンジしたいと思いました。書類選考と健康診断の後、7月に東京で2次選考があり、8月に合格通知を受け取りました。今まで仕事として続けてきたことが新しい道につながって、うれしかったです。

翌年3月、担任していた生徒達が卒業し、4月から協力隊の訓練が始まるという矢先に私は病気になってしまいました。突然、人生に思いがけないことが起きました。しかし、何とか快復し、7月からの訓練に参加させてもらえました。福島での訓練は、語学と国際協力に関する勉強が中心で、密度の濃いものでした。毎週1回、予防接種がありました。日本全国から、たくさんの若者が集まって生活を共にしました。そこで出会った人々から、私はいろいろなことを学びました。楽しくもあり苦しくもあったあの2ヶ月間を私は一生忘れないでしょう。

9月13日に無事、修了式を迎えました。その後は、県庁へ表敬訪問をしたり、職場へ挨拶に行ったり、荷物をまとめたり、励ましの会をしてもらったりしているうちに、あっという間に時間が過ぎました。飛行機に乗って、マレーシアへ向かったのは9月25日、快晴でした。