現在の場所はホーム > JICA東北 > 地域の皆さんへ > JICAボランティア > 派遣中ボランティア現地レポート > 石黒承子 「ネパール現地レポート」

石黒承子 「ネパール現地レポート」

Shoko Ishiguro

【写真】Shoko Ishiguro

秋田県秋田市出身
青年海外協力隊

職種
青少年活動
配属先
ネパール/カトマンズ子供福祉組織(Nepal Children's Organization, BAl Mandir)
活動概要
セントラルオフィス(BAl Mandir)を中心に、ネパールにあるいくつかの孤児院の子供たちを対象に情操教育を行う。また、スタッフと共にソーシャライズを目的としたトレーニングや事業の企画を行う。
派遣期間
2007年4月〜2009年3月
プロフィール
秋田県国際交流協会に勤めていました。そこで出会った多くの方々に今も支えられ活動しています。秋田での経験を生かしながら、共に多くのことを学んでいきたいと思います。

第5回:出会いのはじまり(2009年1月30日)

【写真】

「ようこそー」手作りのブーケで歓迎

【写真】

ネパールダンスの披露。キレイな振りと衣装にみんな感動

【写真】

日本語と英語でクリスマスソングをプレゼント

【写真】

ネパール語の自己紹介に大喜び

12月25日クリスマス、ネパールは今年から祝日になりました。ヒンズー教の人たちも友達とクリスマスをお祝いしたり、日本程ハデではありませんが街はクリスマスとニューイヤーのデコレーションで雰囲気が変わります。私にとって2度目のクリスマス、今年は施設の子供たちに楽しいイベントを提供することができました。

私の出身地にある秋田県国際交流協会では、青少年育成事業として毎年県内の学生を対象に海外で学ぶツアーを企画しています。私はその事業を自分がネパールにいる間、ぜひ受け入れたいと願っていました。1年以上前からやり取りをはじめ、秋田県のみなさんのご協力のおかげで今年実現できたのです。

受入れが決まってからすぐに施設の担当者と共に準備を開始しました。少ない滞在に数々の施設を訪問しなければならないので私の施設に来れるのは3時間だけでした。施設の子供たちに日本の学生が来ることを伝えると、彼らは日本の友達を作れると言ってすごく喜びました。そしてネパールの紹介をしたいと言うのでダンスと歌の披露、交流会を企画しました。準備はたくさんありました。まずは役割分担をして、スピーチ、ダンスと歌の練習、会場に張る看板作り、クリスマスカード作り、ウェルカム用のブーケ作り、子供たちは楽しく作業をすすめました。そんな彼らの様子を見て私もとてもうれしかったし、友達作りのために何ができるか考え、ウェルカムビデオレターを作ることにしました。ビデオのために子供たちは日本語を練習し、待ってますと元気なメッセージを秋田の友達に送りました。

当日、みんなはオシャレに時間がかかり、順調な出だしではなかったけれど上手にネパール文化を披露し、みんなにに喜んでもらえました。そして秋田の学生からはクリスマスソングをプレゼントしてもらい、最後にマイムマイムをみんなで踊り楽しみました。その後はお茶を飲みながら互いに自己紹介し、工夫しながらコミュニケーションを図り施設案内をしました。帰り際には「もう帰っちゃうの?」と何度も私に聞いてきました。お互いをよく知るには充分な時間ではなかったけれど、彼らは体験を通じて、たくさんのことを学べたと思います。特に出会いのチャンスの少ない施設の子供たちにとって、遠くから会いに来てくれた8人の友達と過ごした時間はとても楽しく、日本の学生の服装、髪型、話し方、持ち物すべてが新鮮とても好印象だったようです。このクリスマスの出来事は忘れられない思い出になったと思います。メールや手紙を通じて小さな交流が長く続くことを願っています。

第4回:働く子供たち(2008年10月13日)

【写真】

働いている子供たちの様子

【写真】

日本語教室の時間。最初に教えたのは「こんにちは」「買ってください」「ありがとう」

【写真】

ピクニックではじめての二人三脚

【写真】

クラブの休み時間に撮ったもの。みんな写真が大好きです。

現在、私の活動の1つとして、配属先「ネパール子供組織」で立ち上げた、ストリートで働く子供たちのための土曜日のクラブ活動があります。

その子たちは家計を支えるために路上で雑貨や新聞、ポストカードなどを販売している子供たちです。

6年前、ネパール子供組織の事務局長がストリートで働く1人の子供と出会い、学ぶ意欲はあるものの、忙しさのあまり教育が十分でない彼らのために何か手助けできないかとこのクラブを立ち上げたそうです。現在、登録している子供たちは7歳から16歳まで、約60人にもなりました。

私がこのクラブに関わったのは配属して2ヶ月目のことで、別に仕事を頼まれたわけでも無く、どんな子供たちがいるんだろう、会ってみようという興味で参加しました。それから15ヶ月、すっかり子供たちの魅力にはまってしまいました。今はネパール人のボランティアと一緒にスポーツ、教育等のプログラムを運営しています。

私がネパールに来て最初に出会った子供たちは、施設の子供たちでした。団体生活を送っている彼らをコントロールするのはさほど難しくありませんでした。自然に上下関係ができているので、何か行うときも私が直接指示しなくても、年上の子供に伝えれば彼らが小さい子供たちを動かすのでうまい具合にまとまってくれるのです。しかし、このクラブの子供たちはそうはいきません。とても自由です。だまって座ること、話を聞くことが難しいのです。そしてあいさつから教えなければなりません。しかし毎日夜まで働いて唯一この土曜日だけが友達と遊べる機会なのだから、はしゃぎたくなる気持ちもわかるので、彼らが楽しく学べるよう私たちも工夫しなければなりません。

仕事の帰り道、働いている彼らに遭遇することがあります。以前は遠慮なく私に買えとせがんでいた彼らも、今では「日本人に売るとき何て言えばいいの?」と聞いてきます。そして私に売るポストカードの値段も安く儲けは1ルピー(1.6円)にしかなりません。私は数枚買って日本の家族や友達に送りました。

彼らが働く路上では、家を持たないストリートチルドレンもいます。彼らは稼ぐ手段は無く、物乞いし、そのお金でタバコを吸ったり、ボンドをビニール袋に入れて吸ったりしています。時にはクラブの子供たちのお金を奪うこともあるそうです。ですからクラブの子供たちはある程度稼いだお金は近くの警察官に預けたり、できるだけ一人で働かないようにしています。一見同じように見えるストリートの子供たちですが、彼らにはそんな関係があるのです。

クラブの彼らは、私が勤める施設の子供たちの生活環境を恵まれていると感じているようです。しかし施設の子供たちはクラブの子供たちを貧しいながらも家族と過ごせることをうらやましいと言います。

日本では見えなかった子供たちが抱える様々な思い、子供の世界がここにいると強く感じます。時に辛くもありますが、そんな環境の中でも生き生きとたくましく生活している彼らから学ぶことは非常に大きいと実感しています。

第3回:子供との日々(2008年2月25日)

【写真】

ネパール人ボランティアによる空手教室。子供たちは終わったあと必ず「ドゥキョ〜(痛い〜)」と言います。

【写真】

冬休みの子どもを対象に開かれた「WinterDayCamp」での日本語教室の様子。先輩隊員のお母さんにゲストで来てもらいました。子供たちは着物に興味津々。

【写真】

エキジビションにて子供たちと一緒に作ったペーパークラフトを販売。

ようやく暖かくなり、水シャワーの生活からも抜け出せそうです。今カトマンズは水不足による停電続き、ガソリン不足によるバス、マイクロの減少で少々苦労しています。停電のスケジュールはあるもののそのとおりにはならないことが多く、外から聞こえる子どもたちの「バッティアヨ〜(電気来た〜)」で知ることとなります。そんな生活もまだまだ続くようで3月からはなんと1日10時間程度の停電にもなるとか…大変です。

さて、今回は私が出合った子どもたちについてご紹介します。

私は毎朝、30分かけて9ルピー(15円)のバスに乗って配属先の施設に行きます。最近バスが少なくなったせいで予定時間に到着できないこともしばしばですが、同じくスタッフたちも遅れてくるので、「まぁ、いいか」な日々です。配属先に着いたらまず子どもたちの住む施設に顔を出します。子供たちは「こんにちは〜しょうこディディ(お姉さん)」と元気にあいさつしてくれます。そして「ナマステ、カナカヨ?(こんにちは、ご飯食べた?)」のおばさんたちのあいさつにも答えてオフィスに向かいます。私の勤務時間には子どもたちはそれぞれ学校に行ってしまうため、クラブのレポートを書いたり教材を作ったりオフィスの仕事をしながら子供たちの帰りを待ちます。子供たちと接する時間が私にとってメインの仕事です。できるだけ多く子どもとの時間を作るために、私が教える教室以外にも子供と一緒に参加したり、一緒にご飯を食べるようにしています。子どもたちは学校のこと、友達のことなど最近の出来事を聞かせてくれます。そうやって子どもたちの様子を知ることができます。

主に私が接する子供たちは8歳から15歳の子供。男の子はとても活発で、サッカーをしたりゴムでできた蹴鞠のような遊び道具で遊んだり、女の子は縄跳び、読書、日向ぼっこをして過ごしています。施設の遊び道具は少ないため人数が限られてしまいますが、しっかり順番を決めて遊んでいるところには感心させられました。が、一人の遊び時間が長いため少々けんかにもなります。最近は自転車の練習時間もできたので子供たちは傷を作りながらも楽しんでいます。補助輪無しで教えるのは難しいかと思っていましたが、感覚の良い子が多く今ではほとんどの子が乗れるようになりました。そんなクラブや遊びの時間以外に、学校の宿題はもちろん、施設で生活するために部屋の掃除、洗濯、小さい子たちの面倒もみなければなりません。配属した当初、そんな忙しい子供たちを見て、何ができるだろうと悩む毎日でした。オフィスのことも子どものことも良く知らないうち活動を始めるのはとても困難で、小さいクラブを作るにも時間がかかりました。しかし、だんだんと状況を知り、子どもとの距離も近づくにつれ、活動もしやすくなりました。一緒に働く人たちとの関係ができてこそ動けるもので、お互いを理解する事の苦労と共に大切さを知りました。

そして、最近すごく感じることは私と子どもたちとの関係が変化したことです。初めのころは施設に来る多くの外国ボランティアの1人として見られ特に近づくわけでもなく関心も薄かったのですが、月日が経つに連れ、私がいることが日常となり、僕たちと遊んでくれる、話を聞いてくれるお姉さんとして親しんでくれます。そんな子供たちを私もとても愛しく感じます。しかし、そうやって仲良くなった子供ともお別れのときがあります。施設には家庭の事情で来た子や病院、警察から送られる子が多く来ますが、逆に施設から養子となって外国に行く子、決まった年齢になって他の施設に移動する子もいます。さっきも親戚のうちに住むことになって10歳の女の子が遠い田舎に出て行きました。さよならを迎える度、会えなくなる寂しさはもちろんですが、子供の心境はどうなんだろうと切なくなります。そんな日々を過ごしていくにつれ、以前より子どもたちと過ごす時間がとても大切で、子どもたちのために仕事ができることをうれしく思うようになりました。まだ任期は1年近くあるのですが、子供たちは「帰らないで」と時々悲しい顔を見せます。今は「何言ってるの、まだまだ先のことだよ」と言って笑っていますが、これまでの1年を考えるととても短く、あっという間に過ぎてしまうのでしょう。この子たちと過ごす時間、この子たちのためにできる活動をもっと充実させなければ!と思っているところです。

第2回:なんとか活動開始(2007年7月26日)

【写真】

0歳児の部屋。3段階の部屋があり、約50人の子供が育てられています。

【写真】

幼稚園でのダンスの時間。子供たちは自分で衣装を身につけ楽しく踊ります。

【写真】

クラブ活動の様子。学生ボランティアが卓球を指導しています。

ネパールに来て4ヶ月がたちました。あいさつが滑らかになったのと、日焼けにより、山岳民族に間違われるこの頃です。グルン族か?とよく聞かれるので、いつ着るんだろうと思いながらもグルン族の民族衣装を買ってしまいました。ネパール生活のほうは大分慣れ、知り合いも増えました。派遣当初の心配だらけの自分と比べると驚くほど馴染んだものだと思います。

配属先で仕事を始めてからは3ヶ月になりました。今回は配属先と私の活動内容についてご紹介したいと思います。ネパール子供福祉組織(バルマンディル)は1964年元王妃の母親により設立された福祉施設です。カトマンヅにある2箇所(セントラルオフィス、プロテクションセンター)を中心に、国内13箇所で両親がいない、または家族と生活できない子供のための施設を運営しています。私のデスクはナクサルというところにあるセントラルオフィスにあり、そこで生活している0歳〜16歳までの約250人の子供たちのための情操教育と施設整備が主な活動内容となっています。子供のほとんどが生まれて間もなく病院や警察から連れてこられます。また、両親の離婚や経済的問題から施設に住むことになった子供もいて状況は様々。幼い子供は住み込みのマザーに育てられ、その上になると施設内の幼稚園、そして市内のプライベートスクールに通います。私はそんな子供たちのライフスタイルを観察し、子供たちの余暇を充実させるため、アクティビティプランを作り提出しました。その後スタッフはミーティングしようと言ってはくれるものの、なかなか動いてもらえず時間がかかりました。私はいつから仕事ができるのだ!と直接上の人に聞き、ようやく担当スタッフを付けてもらいました。そんな感じの活動開始です。

子供たちの関心はスポーツと日本語でした。日本語については、簡単なあいさつやひらがな、日本のゲームなどを教えることにしました。しかし、大人数の子供にスポーツを何種か指導するためには人手も道具も必要です。私はネパールの学生ボランティアの協力を得ることにし、カレッジでスポーツをしている学生に子供たちの指導をしてくれるよう声をかけました。もともとボランティアに興味のある学生だったので快く承諾してくれました。が、時間にルーズな部分や、日本では見慣れない子供への接し方や指導方法に戸惑うことも多々あります。徐々に細かなプログラム作りや、ボランティア登録など行っていけたらいいなと思っています。

子供たちはとても明るく、大家族のような雰囲気です。子供たちは「しょうこディディ(お姉さん)こんにちは!」と声をかけてくれます。そんな子供たちとのひとときに癒されて家に帰る毎日です。私の配属先は海外からの短期ボランティアも多く、私もその中の一人でした。しかし最近ようやくスタッフの一員(家族)として接してもらえるようになり、多くの情報を共有してくれ、仕事の打ち合わせもできるようになりました。(言葉は未だ困難ですが)それでも不安やイラダチは付き物ですが、これからどんなことが起こるんだろう!何をしよう!というワクワク感も持つよう元気に過ごしたいと思っています。

次回は、子供たちの様子をお伝えしたいと思います。

第1回:カトマンズでの1ヶ月(2007年05月15日)

語学研修のフィールドスタディで訪問した小学校の子供たち

語学研修のフィールドスタディで訪問した小学校の子供たち

Bal Mandir(配属先の孤児院)

BAl Mandir(配属先の孤児院)

3月28日ネパールに到着。飛行機の中から見えたカトマンズ空港は私が住んでいた秋田の空港と大きさも色もそっくりで、早々に親近感が沸きました。外へ出ると先輩隊員が、オレンジ色の花の首飾りとティカ(おでこに付ける赤い印)で私たちを歓迎してくれました。その後、スーツケースをすごい勢いの流れ作業でバスの上に乗せJICA事務所に向いました。途中いたるところで駒ヶ根で苦しんで学んだ文字が目に入ってきました。あぁネパールに来たんだぁ、これから2年間ここに住むんだぁ、とそんな気持ちになり車の中からずっと景色を眺めていました。

私たちは初めの1ヶ月、JICAドミトリーで共同生活を送り、毎朝マイクロバスで語学教室へ通いました。マイクロバスは、ジャンボタクシーくらいの大きさで、若いお兄ちゃんが行き先を叫びながら乗客を拾います。安くて便利ですが、ネパールの交通事情に慣れるまではハラハラです。しかし今では混んだマイクロにも平気で乗るようになり、無理やりお尻を入れて座る技も身につきました。語学訓練は、ほぼ職種別で行われそれぞれのテキストを用いて学習しました。フィールドスタディとして各職種に関係した施設も周ることができました。週末は友達とクルタ(民族衣装)を作りに行ったり、おいしい店を探したりしながら、いろんなネパール人との会話を楽しみました。訓練を終了した今も自分の意思を正確に伝えるには苦労はありますが、耳はだいぶ慣れました。これからは各配属先での実践になります。私はネパールで一番大きい「バルマンディル」という孤児院での活動が主な仕事となっています。不安はありますがどんな生活になるかとても楽しみです。

ネパールに来て1ヶ月、みんなの新しい住まいも決まっていきドミトリー生活も終えるところです。これから徐々に「私のネパール」をご紹介していきたいと思います。