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西田 茂 「セントルシアからの現地レポート」

Shigeru Nishida【写真】Shigeru Nishida

宮城県仙台市出身
シニア海外ボランティア

職種
畜産(家畜飼育・獣医療)
配属先
セントルシア/農林水産省 ボーセジュール農場
活動概要
国営牧場でのテクニカルアドバイザー。畜産物の生産を支える種畜牧場の役割強化のため、ブタ、ヤギ、ヒツジ、ウサギの品種改良と増殖、飼養管理技術の改善と豚人工授精技術の導入を推進する。
派遣期間
2006.10月〜2008.9月
プロフィール
団塊の世代、一足早く退職し、30余年にわたる家畜育種と獣医療の経験を生かして、今回のボランティアの道へ。

第6回:職場の仲間達

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パパとデディダー

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美丈夫アンガス

私の任地の国営牧場の敷地には、4つの農業に関する国の機関が設置されています。農場職員の数は9名、私が入って10名。敷地内には農林水産省の施設として3部門が併設されています。近くにある国際空港に関連する植物検疫部門、耕作農業技術の普及活動をする部門、地域に獣医療を提供する部門です。それに臨時雇いの人や夜警の人を加えると二十数名が同僚ということになります。以下はその同僚達に関連した話題です。

果てしなき議論の後…大爆笑

ルシアンは、議論好きなようですし、すさまじい口論もしばしば見かけます。職場の同僚達の間でも起こります。でも、暴力沙汰に至ったのを見ていません。

ケンケンガクガク、お互いが同時にまくし立ててどんなことを主張しているのか、興味津々です。理屈っぽい議論にはすぐに参戦したくなるし、持って生まれた野次馬根性が頭をもたげて、聞き耳を立てることになります。ところが、悲しいかな!私の英語・パトワ語聞き取り能力ではほとんど理解不能です。それでも、傾聴しているとやや下火になった議論が突然、大爆笑になって幕が下ろされてしまうことがあります。ロバの耳になっていた私は、意外な結末にひとりポツンと、とり残されてしまうのです。最後は、どちらかが何か気の利いた一言を、ここぞ!というタイミングで発して、大爆笑になるようです。

議論好きで口論も避けることなく、自己を強く主張をするだけ、しばしば衝突が起きてしまいます。でも、その後に気まずいものを引きずることのないよう知恵を働かせるのだと思います。激しいやりとりの後に、取り返しのつかない嫌みなセリフを投げつけることをしないのです。

パパとデディダー

異国の人達の名前は覚えにくいものです。海外在住経験もなく、もの忘れがよくなる?兆しがある身にとって、多くのルシアンの名前を記憶することはなかなか大変です。しかし、それは私たち側だけの問題ではありません。ルシアンにとって、日本人の名前は難関のようです。

私の活動する牧場には7人の牧夫(ぼくふ)さんがいます。その中の一人は、私の名前を様々に呼び変えてきました。「ネニダー」から始まって、現在は「デディダー」で、どうもこれで落ち着きそうな気配です。変わるたびに「ニシダ」から遠ざかってきたようにも感じますが、「ニシダーとデディダー」音感としては似ています。彼は、かなり年下のはずですがゴッドファザーに当たるわけで、「パパ・ダディー」と呼ぶようになりました。パパはなかなか働き者です。特に、‘息子’がやろうとすることには、陰になり、日向になってサポートしようとしてくれます。

私が着任してまもなく、パパのママが亡くなりました。お葬式があり、何日か後、職場で慰めの言葉をかけると、心底から悲しそうな表情を見せていました。母系家族のつながりが強いと感じることの多いセントルシアです。彼の母親を慕う思いの強さがよくわかりました。こころ優しく穏やかなパパですが、陽気なカリビアンの面を見せることがあります。ラジオからカリプソが流れてくると、全身でかろやかにリズムにノッテ、骨盤を微妙に揺すってダンスを始めます。

すかさず、「パパ! マッド!!」と周囲から声がかかり、笑いが広がります。

クットラ

クットラはパトワ語、日本であれば‘山刀’でしょうか。英語ではCUTLASです。英英辞典を引くと「昔、船乗りと海賊が武器として用いた反り身の刃を持つ短剣」と解説されています。海賊、船乗りの武器だったということは、ここカリブでは由緒正しきもの、海賊の旗印で交差しているのもこれでしょう。

当地ではとても身近にある生活道具です。日本人にとっての、包丁、ナタ、ナイフ、鎌といったほとんど全ての刃物の代役を果たします。日本なら斧を使うであろう太い立木の切り倒しから鉛筆削りにまで使用するのを見ました。魚市場では、大きな魚を分割するのも、海亀の甲羅をぶち割って切り分けるのも。街中では、ヤシの実売りが、スパ!スパ!と頭部を切り取って、ジュースを売っています。サトウキビ刈りをはじめ多くの農業労働にも活躍しているのでしょう、ジャングルの中やバナナ畑の小道を、クットラをぶら下げて歩いている男を見かけるのは珍しいことではありません。

私が活動している農場では、家畜(ブタ、ヤギ、ヒツジ、ウサギ)を屠畜(とちく)するときにも、牧草を刈り取るのにも、薪をわるのにも使われます。時々、平ヤスリで研いでいるのも見かけます。大工道具などの道具類は、職場の中で使い回しするのに、クットラは牧夫さん各人が1本ずつ持っていて、それぞれが自分のロッカーに保管しています。昔は武器だったということがわかって、なんとなく納得がいったような気がしました。でも、今も武器として使っているわけではありませんよ。

写真はクットラを持ってポーズを取ってくれた、牧場一の美丈夫アンガス、そして、牧草地の草量調査をするパパとデディダー。

第5回:セントルシア動物事情(2007年11月26日)

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海岸お散歩中

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子供の遊ぶ広場にはノラブタ、子馬

田舎、郊外そして街なか、至る所で放し飼いの家畜を見かけます。「これは野良じゃないかな?」と思われるブタさえ見かけます。国際空港のあるこの国第二の町ビューフォートの広場で、ゴミの中からエサを漁っていました。道路脇には、親ヤギ、親ヒツジが繋牧されて、子ヤギ、子ヒツジがそのまわりで遊んでいます。道路脇のチョットした野草地には馬や肉牛が草を食んでいます。茶褐色のニワトリが機敏な動きで道端を闊歩しています。時には数羽のヒヨコを従えて、道路を横断していきます。

家畜小屋の中で飼われ、バラ線で囲われている家畜の一方で、一部は人間が築いた生活環境の中で、比較的ゆるい束縛を受けながら、かってに暮らしているという感じ。彼らは、少なくともエサの一部は自前で調達しているわけです。家畜生産を専門とする立場からは、効率第一主義に徹した日本の畜産との違いに複雑な思いです。

猫はあまり見かけませんが、いないわけではありません。道端にはたくさんの野良犬が寝そべり、また群れて遊んでいます。セントルシアの雌犬は垂乳根(?)のものを高率にみかけます。たぶん次々と子供を産み育てているのでしょう。日本で垂乳根の犬を滅多には目にしないのは、人間のきつい制御の下で飼われているせいなのでしょう。どちらが幸せなのかなと、変な感慨に浸ってしまいます。一部の野良犬は群れを作って、ヒツジ、ヤギを襲うことさえあります。私の牧場でも年に何頭かが犠牲になっています。犬がより野性的な姿を保ったままで生きているのだとおもいます。

夜中は、虫の音が決して絶えることがありませんし、ピロピロやグルルルというカエルらしい声も、時にはウルサイと感じるほどに聞こえてきます。

毎朝、小鳥のさえずりを耳にして目覚めます。鳥類には不案内で不確かなのですが、ムクドリ、ノバト、フィンチの類は住宅の近くでみかけています。去る2月頃、恋の時節あるいは縄張りを主張しあっていたのでしょうか、巧みな歌声が聞こえてきました。「チュイチー チュチーチィチ チュイ・チチチ ピロピロ ピピピピ・・・・・」「チュキチュキュチー・ チュキチュキュキチュイ チュイチュイ チ・チュチュ・チュロチュロ ピピピピ」とても表現しきれないのです。20〜30メートルも離れた梢で、鳴き交わしていました。当時米国から来島していた義弟は、音楽CDをおみやげに持ってきてくれたのですが、「この国では不要だったかな・・・」といったほどの芸達者ぶりでした。ハミングバードのホバリングはネイチャートレイルに行った時に堪能できましたし、この島固有種のパロットとセントルシアブラックフィンチは是非ともこの目で見てみたいと思っています。後者は進化論の島ガラパゴスのダーウィンフィンチと共通祖先を持つのかも、といわれています。夕方にはたくさんのコウモリが飛翔しています。子供の頃、1950年代に宮城県仙台でみたコウモリと同じように、素早い動きを見せています。

ちょっといたましい話ですが、道路には交通事故の犠牲になった動物たちをしばしば見かけます。マングース、カエル、ニワトリからヤギ、ヒツジまで。

第4回:「往診・熱帯雨林の中へ」(2007年9月13日)

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ジャングルの中の豚小屋

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ヤギ・ヒツジの放飼場

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傾斜地を利用して芋、バナナ、椰子

セントルシアの国営農場には、農家に獣医療を提供する部門が設置されています。出勤してきたチームのメンバーは電話を受けて、毎朝、往診に散っていきます。

先日、全員が出払ったあとに農家のおじさんが来場。「これを見てくれ!」とエサ袋を突き出します。もぞもぞと動くなかみは子豚。全身の皮膚がただれて、ひどく汚れています。「昨日1頭、そして今朝1頭死んで、これも具合が悪いので連れてきた。」
まちがいなしこれはスス病!細菌感染で起きる子豚の皮膚炎。ねばりけの強い滲出物が皮膚を覆い、汚れがくっついてススをかぶったような様子になる。
農場が汚染されないように、早く連れ出してほしい。「すぐに往診するから、あなたの農場に行こう。」というと嬉しそうに「じゃあ」といって、私の車に乗り込もうとする。「え?どうやって来たの?」「バスだよ。」(ここのバスはなんでもあり。子豚もバスに乗ることだってありなのです。)ジャングルの中のでこぼこ道を30分、豚小屋に到着。ヤギ・ヒツジの放飼場もあって、みるからに野性的なニワトリがあたりを駆け回っています。子豚達の治療をして、今後の処置と予防法を伝授して一件落着。

治療を終えると庭先の椰子の実を取って、ねぎらってくれました。強烈な直射日光に照らされていたのに、なぜかチョット冷たくて、ほのかに甘くて、すこしあおくさい椰子の実ジュース。
帰りがけにダンボール箱を積んでくれる。良く熟したバナナの香りが車の中に充満。
近くで活動している青年海外協力隊員達にお裾分けして、それでもまだまだあるバナナを、そのまま食べて、シェークで飲んで、ケーキに焼いて、シャーベットにして食べました。次の土曜日、ようすを見に行くと、症状がほとんど消えて、きれいになった子豚が母豚にまとわりついていました。

地上から20〜30メートルの高さまで様々な植物で覆い尽くされた熱帯雨林のまっただ中への往診。感謝されて、樹上で熟した香りたかいバナナをたくさんいただいて、治療の結果もそれなりで。
めでたし、めでたし。

第3回:「ルシアンとソフィーの世界」(2007年7月6日)

セントルシアは人口が16万人ほど。
Wikipediaによると、国民はアフリカ系90パーセント、混血6パーセント、インディオ3パーセント、白人1パーセント。外務省の紹介記事によると、アフリカ系90パーセント、混血6パーセント、インド系3パーセント、ヨーロッパ系1パーセントとなっています。インディオ→インド系、白人→ヨーロッパ系、この微妙な表現の違い?それに混血ってだれとだれの?

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胸騒ぎのする夕暮れ

セントルシアには狩猟採取生活を営んだカボネイと呼ばれる人が生活した痕跡があり、3世紀頃からアラワクといわれる人達が800年間にわたって農業、漁業をおこないながら暮らしていました。その後、カリブ族が来島して占領します。これらの人達はベーリング海峡を渡ってきたモンゴロイド系の人達だったのでしょう。1502年にコロンブスがセントルシアを見て、1600年代にフランス人が入植しはじめ、その後150年にわたってイギリスとの間に領有権を争い、最終的には1814年イギリスが獲得します。1760年代からアフリカから連れてきた人達を奴隷として使い砂糖産業が栄えます。そして、1834年に奴隷解放。1900年代になって自治政府の樹立、自治権の獲得を経て、1979年独立を勝ち取ります。近年になって、シリアとインドに対して移住を認めたためこれらの人達とその子孫が在住しています。少数ですが中国人もいます。

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みんなルシアン

ルシアン見ていて、混血している人がほとんどじゃないかなと思います。単一民族などと力んで見ても、チョットたどれば様々な遺伝子が取り込まれているものだと思いますが、上記に概略したような歴史を持つセントルシアです。多数を占めるアフリカ系といっても先住民であったインディオ系(カリブ、アラワク、カボネイ)をはじめ植民者であったフランス人、イギリス人との混血がかなり進んでいると見た方が良さそうです。見た目にもアフリカ系の面影の強い人から欧州系を思わせる人もいます。肌の色も濃淡さまざまです。また、インドのコーカソイドだなこの美しさは!と思わせる美人にも出会いますし、シリア人のパパとアフリカ系のママに手を引かれた子供も見かけます。

こんなわけで、人種、民族などと区分けするのがナンセンスになってきているという理想的な状況だと思います。在留邦人は少ないのですが、日本人もいつかこの国に溶け込んでいけるのでしょうか。

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圧倒的な緑

ところで、インディアンとインドから移民したインド人に関して言葉に混乱がありそうなのです。私たち夫婦の友人にソフィーという女性がいます。孫もいるお年なのですが、きれいなウエーブのかかった黒髪と、笑顔がかわいい、魅力的な方です。

「私は純粋のインディアン。お父さんは子供の頃にインドのカルカッタから両親と共にルシアに来たの。お母さんは先祖代々ルシアに暮らしてきたインディアンなの。だから私は純粋のインディアン!」と彼女は誇りを持って言い切ります。

彼女の顔は、ドラヴィタ系の面差しがあるし、写真で見せていただいたお母さん(故人)は大きな鼻が特徴的なアメリカ系インディアンの容貌です。

【写真】

河童がいるかも…

ソフィーは私たちのルシア生活全般の指南役です。熱帯の様々な果物や野菜の食べ方、お父さんから引き継いだインドの料理法(ロティ、ダル、カレー・・・・・)、近くのブッシュにも自生している樹木の葉でいれる香りたかいお茶のいれかたも教えてくれました。
そんなソフィーをとりまく周囲には豊かな世界があります。
「そこの近くのブッシュには、牛とも人ともつかない怪物がいるから、気を付けるように。先日、私が通ったとき、どん!どん!と音をたてておどかしていたわ!」
「あなた達が、このまえ泳ぎに行ったといっていた海岸にはね、怪物がいるの。魚を食べるのは好きか?ときいてくるから、そしたら、さかなは嫌いだし、決して食べない。と答えないと襲われてしまうのよ。」
「先日、悪魔が私の腕に痛みを与えていったわ。急にワッ!とおそいかかってきたの」

‘ソフィーの世界’には、悪魔や怪物、そして様々な霊が存在するのでしょうか。
「遠野物語」を彷彿とさせるような、豊かな世界が息づいているのでしょう。

第2回:「ある金曜日の24時間」(2007年5月15日)

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子うさぎ(生後46日)

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子豚(生後14日)

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羊の放牧(配属先の国営ボーセジェール農場)

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ミルクをねだる子ヤギ。母なし子ヤギは人を見るとミルクをねだります。

いつもと変わらず、ニワトリ、犬の鳴き声で目覚めて、朝6時、寒暖計は26度。朝食は、珍しくも日本食。ご飯は、Bread Nutsと加州米で秋?の味覚の栗ご飯。支援物資の味噌を使って、中国はくさいとキャベツが入ったみそ汁。焼き魚はカツオ。ショゼールの浜で仕入れたものを、タタキ(ライムとさらしネギをたっぷりかけてショウガ醤油)で半身を食べて、残りを酒と醤油につけ込んでおいたもの。

7時10分、ジェミニを駆って国営農場へ出勤。既に働き始めているストックマン達に“ボンジュール”と挨拶をしながら、個室の事務室へ。メールと、asahi.comをチェックしながら着替えて、仕事開始準備完了。昨日、作り上げた豚の交配計画を手直しして、プリントアウト。8時過ぎからオフィサー達が出勤してくる。

8時半から家畜のチェックをして、今日は子豚2匹と羊の母さん1頭の治療。その後、ストックマン達のパトワ語と英語のおしゃべりに加わって、事務所に戻って10時30分。隣室のルシアンは植物検疫が仕事、在室中は常に大音量で地元ラジオをかけている。事務処理と人工授精のための道具購入の下調べをして、12時。

自宅に戻って、昼食。煮た‘パンの実’に夕食の残りのジャマイカ料理:Pepperpot Soup(カリブ料理本レシピで作った)をぶっかけて食べる。

職場に戻ったのが13時15分。豚人工授精計画の立案と羊、山羊の衛生プログラム作成のための下調べ。14時30分から今日2度目の家畜チェック。「びっこの羊がいるよ」とストックマンのアンガス。診てみると、足首の内側にダニが数匹食いついて化膿している。まさにダニのような憎い奴!取り除いて消毒して、ダニを大事に確保しようとすると「ころせ!」とアンガスが叫んでる。事務室に持ってかえって調べたら、初めてみるキララマダニとウシオマダニ。ピンにさして、とくと観察。さすがはダニ、串刺しにされても元気?に生きている。

15時頃から職員が帰り始めて、16時10分事務所に残っているのはシニア海外ボランティア隊員ひとり。荷物を整理して帰宅の途についたのが16時30分。西に傾きかけた午後の日差しが、ちょうど真正面から刺すような強さ、まぶしくて、サングラスなしではとても運転不可能。

新築の借家に到着、シャワーを浴びてパンツ1枚でテラスに出てピトンビールを1本。「今日は金曜日だからなー」と、言い訳の独り言を言って、カクテルPina-Colada(ココナツクリーム1、パイナップルジュース2、ストロングラム1、氷)を結構な大きさのグラスに作り、それを飲みながら、女房どのと一緒に夕食の支度。今日のディナーは、Dominica料理のChicken CAlypso。缶詰のマッシュルーム、長粒米、タマネギをチキンスープで煮込んで、グリルしたチキンをくわえ、更に煮込んだもの。つまみ食いをしながら作って、2杯目のカクテル飲んで、料理ができあがった頃には結構な酔い心地。「明日は残りもんで済まそうよ」とかいいながら、食べ終えて、ソファーに寝ころぶとまもなくうとうと、19時半。

ベッドに移動して熟睡5時間、AM1時に起き出して、シャワーを浴びて目を覚まし、PCで記録の整理、原稿(これ)を手直しして、メールをチェックして、3時半。再度ベッドへ入って・・・。

明日は土曜日。車で10分、ラボリーの浜に、カリブの海に、浸かりに行きましょう。

こんな24時間でした。

第1回:「セントルシアよいとこ」(2007年4月5日)

セントルシアは熱帯雨林に覆われたカリブ海の島国。フロリダ半島の南に連なる西インド諸島の最南端、小アンティ−ル諸島に属しています。今は4月、乾期の真っ盛りのはずですが、早朝暗いうちにシャワーのような雨が降っています。でも、強烈な日差しに加えて貿易風が吹き抜けて、地表は乾燥し、木々は少しずつ黄色に変色して葉を散らしています。

赴任先は国営の牧場、ブタ、ヒツジ、ヤギ、ウサギが飼われていて、畜産農家や消費者に配布、販売しています。私の仕事は、この牧場のテクニカルアドバイザーということですが、赴任当初から全家畜の疾病、衛生対策と、遺伝的改良(品種改良)と増殖計画の作成と実施を一任されることとなり、ルシアンの職場仲間と結構忙しく、そして充実した日々を過ごしています。

セントルシアの主要産業はバナナを中心とする農業と観光業です。近年は観光業の発展が著しく、「Simply Beautiful」をキーワードに観光開発に拍車がかかっています。

北米、欧州の長期滞在観光客や、カリブ海クルーズの観光船が停泊するリゾートの地です。ビル・クリントン、ハリソン・フォード、ブラッド・ピットも滞在した超高級ホテルからそこそこのホテルまで多くのリゾートホテルがあります。天然の良港である首都のカストリーズには、カリブ海クルーズの巨大な客船が帰港し、ヨットハーバーや観光客向けの施設が集中する島北部に多くの欧米人が訪れています。

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島西部海岸の港町スフレから見たルシアの象徴ピトン、手前がプチピトン、後ろがゴピトン

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島南部田舎町ショゼールの農家の牧草地越しに見るゴピトン

しかし、なんといってもお勧めのポイントは、セントルシアの象徴ピトンのあるカリブ海に面した島西部地域。ゴピトン、ピチピトンの2本の頂は、その昔、溶岩が地殻の中で円錐形に固まって、長年の間に隆起、浸食を受けて、海水面から700メートルをこえるとんがり帽子になったもの。セントルシアを代表する絶景で、世界遺産にも登録されています。近くには火山の噴火口、露天の温泉もあります。道路事情の悪さなどに課題はあるようですが、過剰な演出のない、あるがままの景色、自然が素晴らしく、好ましいものです。

島中央部に広がる熱帯雨林や、海岸沿いにはリゾート観光の華々しい部分とは無縁で、物質的には豊かとはいえない住民の生活もあります。けれども、熱帯の果物が一年を通じて実る恵まれた気候風土の中で、その場、その時を心豊かに楽しげに生きていく素朴なルシアンの生活があります。フレンドリーで開けっぴろげな彼らの、そんな生活の一端に触れてみるのも興味深いことです。

日本からセントルシアまでは、北米のマイアミ、ニューヨーク、トロントなどの各地を経由して来ることができます。また、ロンドンからの直行便もあります。1泊2日の旅で、南海のパラダイスに到着できます。ハワイ、グアムとはひと味もふた味も違うカリブのリゾートはいかがですか?
(セントルシア政府観光局HP http://www.stlucia.org/