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青年海外協力隊の経験が国際協力NGOの復興支援活動に(東日本大震災)

−職員として採用された元協力隊員、相次ぎ被災地へ−

2011年08月05日

国際協力こそが生涯を懸けるべき仕事と考え、その第一歩として青年海外協力隊などJICAボランティアに参加する人たちは少なくない。今春、NGOに即戦力の職員として採用され、その最初の仕事として東日本大震災の被災地で活動する元隊員たちがいる。

周囲からの信頼厚く

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プログラム責任者として活躍する東さん

宮城県気仙沼市の海岸近くの高台にあるプレハブの建物。アフガニスタンなどで子ども支援や図書館活動などに取り組んできたシャンティ国際ボランティア会(SVA)(注1)の気仙沼事務所だ。ボランティアや支援者、地元の住民が次々と訪れるこの事務所でプログラム責任者を務めているのが、東京都調布市出身の東(あずま)さやかさん(30歳)だ。2008年から2年間、中米のセントビンセントで村落開発普及員として活動し、2010年10月に帰国。被災地でボランティア活動をした後、入職した。気仙沼事務所の職員は、所長と東さんの二人のみ。「新人」としての猶予はなく、即戦力として、津波で流されてしまった地域を自然公園にして地域の人が集う場にするプロジェクトや、流された太鼓を回収・修復して地元の夏祭りを復活させる「虎舞文化保存プロジェクト」などに力を入れている。

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公地さんはイラク復興支援にも参加した経験を持つ

イラクやスーダンなどで緊急支援を実施し、今回、岩手県一関市に拠点を構えて大規模な物資配布などを続けているピースウィンズ・ジャパン(PWJ)(注2)では、二人の元隊員が、この春から職員として活動を始めた。2年間、ザンビアで村落開発にかかわってきた公地(こうち)崇裕さん(37歳)と、3月までパラグアイで村落開発支援の活動をしてきた西城幸江さん(30歳)だ。

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仮設住宅に生活物資を届ける公地さん(左)

公地さんは秋田県横手市出身。協力隊に参加する前、陸上自衛隊に13年間勤務していたという異色の経歴の持ち主で、イラク復興支援にも参加した。今は連日、一関市から四輪駆動車で片道1時間半あまりかけて海岸沿いの被災地へ向かい、仮設住宅に入居した人たちに生活物資を届けている。大型、大型特殊、けん引の運転免許を持ち、多くの厳しい現場を経験してきた公地さんへのスタッフの信頼は厚い。

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西城さん(右)は、宮城県南三陸町の出身。漁師たちと二人三脚で復興支援に当たっている

西城さんは、宮城県南三陸町の出身。家族は無事だったものの、実家の鮮魚店は津波で流されてしまった。郷里の被害に、協力隊の任期を残して帰国、南三陸町で漁業復興支援の取り組みを始めたPWJに入職し、漁業復興支援を担当している。「小さいころから、漁協や漁師の世界の雰囲気を知っている強み」を生かし、復興支援関係者が「本音を聞き出せるまでの関係づくりが難しい」という漁師たちへのヒアリングを重ね、補正予算や政府の復興支援策の行方も見ながら、ワカメの養殖支援などの事業化を進めている。

国際協力への思い、日本への思い

公地さんも東さんも、以前から国際協力の仕事に就きたいとの思いを抱いてきた。公地さんが自衛隊に入った一番の目的は「国連平和維持活動(PKO)への参加」。東さんは、任期が終わり、いくつかの選択肢を考える中で、「自分がやりたいのは、直接、社会的弱者を支援することや、心の支援にかかわること」と目標をより明確にした。

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西城さんは、パラグアイで村落開発支援を行った経験を持つ

二人と違い、西城さんは国際協力に強い関心があったわけではなかった。仙台で求人情報誌の営業の仕事をしていたが、「地元の宮城や東北に対して自分ができることを」という思いもあって、農業の仕事を始めた。そのころから「日本がもっと不便な状況で生きる時代が来るのではないか、デジタルからアナログな生活に変わるのではないか」という予感があり、より厳しい環境で、自分が生み出せることを探したいと協力隊に参加した。パラグアイで小規模農家の生活向上プロジェクトに邁(まい)進していたが、震災直後に一時帰国したとき、被災した家族の生活がパラグアイよりも厳しいことを目の当たりにして、任期途中だが「帰ってきてもいいのではないか」と帰国を決めた。

JICAボランティアの経験を復興支援活動に

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「国内でも海外でも、困っている人をお手伝いすることに変わりはない」という東さん

日本の国際協力NGOの多くがJICAのボランティア経験者を職員として採用している。海外での活動経験が、即戦力として評価されるからだ。SVAの東さんは「協力隊で派遣されていた間も、そのとき困っている人に対して自分ができることをしたいと思っていた。国内、海外を分けるのではなく、困っている人をお手伝いするのが私たちの役目だと思う」と言う。また、「自発性を重んじるために、住民の間から声が上がってくるのを待ち、住民の声に丹念に耳を傾けるなど、地元の人との関係づくりは、協力隊と同じ」と付け加えた。

国際協力NGOによる復興支援は、この先、数年は継続される見込みだ。個人や企業などからの反響・賛同は大きく、「どの団体にも、これまでの世界各国における年間事業の予算と同程度の寄付が寄せられている」とPWJの山本理夏事業責任者は言う。各団体とも海外支援に当たってきたスタッフを一時的に被災地に投入するなどしてきたが、復興支援を担う人材の確保は急務となっている。阪神大震災で神戸に駐在して復興支援を続けた経験もあるSVAの市川斉(ひとし)事務局次長も、元協力隊員の現場経験を評価する一人。「地域の人と共に考えていくという視点は、国内であっても、海外であっても同じ」と話している。

JICAボランティアの経験が、国際協力NGOによる復興支援活動に形を変え、東日本大震災の被災地に着実に広がっている。


(注1)タイのカンボジア難民へ絵本を届ける活動を前身に1981年に設立され、図書館活動や子ども支援などに取り組む。カンボジア、ラオス、アフガニスタンの図書館事業では草の根技術協力事業としてJICAとの連携実績もある。アフガニスタンなどで緊急支援も実施。「なんとかしなきゃ!プロジェクト」メンバー団体。

(注2)1996年の設立。イラク北部やアフガニスタン、シエラレオネなど、紛争地や災害被災地での緊急支援に重点を置く。新潟県中越沖地震など日本国内の災害支援にも積極的。東ティモールではJICAと連携し、草の根技術協力事業としてコーヒー栽培農民支援も行ってきた。「なんとかしなきゃ!プロジェクト」メンバー団体。