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ダショー西岡の遺志を継ぐ

−国交樹立25周年を迎えたブータンとJICAの支援−

2011年12月06日

国賓として11月中旬に来日したブータンのジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク国王とジェツン・ペマ王妃。6日間の滞在中、被災地を訪れ祈りを捧げるなど、多くの人々と交流し、日本中にさわやかなほほ笑みをふりまいたのは、記憶に新しいところだ。

JICAとブータンの深い関係

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山間に広がる未電化村落の風景

国民総幸福量(GNH)を国づくりの指標とするブータンは、東西と南をインド、北を中国に挟まれ、38万4,000平方キロメートルと九州と同程度の広さの国土に、約68万3,000人が暮らす。しかしながら、2008年に絶対君主制から立憲君主制・民主主義へと移行したこと、国連安保理常任理事国やG8のうち外交関係を持つのは日本とカナダのみであること、国家歳入の約4割をインドへの電力の輸出でまかなっていること(注1)、世界初の禁煙国家であること、過去に「ブータン農業の父」として敬愛され、国葬をもって送られた元JICA専門家がいたことなどは、あまり知られていない。

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協力隊員による体育指導。王妃も小学生の時に協力隊員の授業を受けた経験がある

JICAは1964年の農業技術専門家の派遣以来、農業技術開発、農業機械化、民主化支援(地方行政・メディア)などの技術協力や、道路網・架橋整備、農業機械化などの無償資金協力を実施、また、2007年には初めての円借款として「地方電化事業」を開始するなど、幅広い支援を行ってきている。また、現在も33人の青年海外協力隊員と15人のシニア海外ボランティアを派遣中だ。累計で462人ものJICAボランティアを派遣しており、来日したワンチュク国王も高校時代、協力隊の体育指導員からバスケットボールを学んだ。

国葬をもって送られたダショー西岡

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西岡氏は28年もの間、ブータンにとどまり指導を続けた

そんな両国の関係を語る上で欠かすことができないのが、1964年のコロンボ・プラン(注2)で、海外技術協力事業団(現JICA)の農業専門家としてブータンに派遣された西岡京治氏の存在だ。当時、ブータンはほぼ鎖国状態にあったが、西岡氏は稲の栽培技術や新しい品種をブータンに持ち込み、現地に溶け込んで粘り強く指導を重ね、2年の任期が終了した後もブータンにとどまり指導を続けた。初めは、農業局の役人たちも半信半疑で見守っていたが、西岡氏は「収穫高」という目に見える成果を上げ続けることで、徐々にブータン人に受け入れられ評判になった。やがて、首都ティンプーの西にあるパロ盆地で導入した並木植え(注3)によるコメ作りが広く普及し、一気にブータン農業の近代化を推し進めることになる。

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昼夜の寒暖差が大きいブータンでは、大きくおいしい野菜が育つ

西岡氏の貢献は、農法だけにとどまらず、食生活の改善、架橋による流通の促進、地域開発にまで及んだ。1980年、西岡氏はその貢献を高く評価され、現在の国王の父であるジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代国王から「最高に優れた人」という意味の名誉称号「ダショー」を、外国人として初めて贈られた。1992年、西岡氏が現地で亡くなった際には、農業大臣を葬儀委員長として国葬が執り行われ、ブータン全土から多くの人々が集まり、その死を悼んだ。「ブータン農業の父」として、ブータンでダショー西岡を知らない人はいないといわれる。

前倒しで進む地方電化事業

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対象地域には舗装された道がないことも多く、村まで人力で資機材を運ぶ必要がある

現在JICAが行っている支援の一つに、地方電化事業がある。ブータンは急峻(きゅうしゅん)な国土を持ち、また、ヒマラヤからの雪解け水に恵まれており、水力発電のポテンシャルは3万メガワットにも及ぶ。2020年までに1万メガワットの水力発電を実現すべく開発を進めているが、その一方で、急峻な国土ゆえ、人口の70パーセントが暮らす地方の電化率は5割程度と低い。2013年までに100パーセントの地方電化を目指すブータン政府を、JICAは円借款で支援している(注4)。このほか、2009年5月に南アジアを襲ったサイクロン・アイラからの災害復興支援計画や、米の自給率向上を目指したブータン南部の「サルパン県タクライ灌漑システム改善計画」などの無償資金協力にも力を入れている。

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山間に設置された変圧器に感謝の祈りを捧げるブータンの人たち

今回の日本滞在中、国会でのスピーチで、ブータンに住んで同国に協力してきた日本人に謝意を述べたワンチュク国王は、都内で開かれた歓迎レセプションの後、自ら「感謝の気持ちを伝えたい」と、急きょ、「協力隊帰国隊員や帰国専門家と語らう会」を主催した。招待された25人の参加者らは直接国王に謁見(えっけん)する機会を得た。国王夫妻は、まるで昔からの友人に対するように親しみを込めて話しかけ、一人ひとりと固い握手を交わした。

支援が花開く国、ブータン

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パロの町で活動する青年海外協力隊員

政府や援助機関の関係者から「支援する側がうれしくなるような、支援のされ方をしている」と評されるブータン。その背景には、仏教的な価値観を背景とした、感謝の心を大事にする精神や、「打てば響く」勤勉さ、環境と伝統文化を守ろうという意識の高さ(注5)などがある。物を大切に使う国民性も特筆すべきで、20年以上前に供与したトラクターやマイクロ水力発電の設備などが、しっかりとメンテナンスされ、今も現役で稼働している。また、ブータンは、GNHを指標にしながらも、2020年に被援助国から卒業することを目標に、しっかりと経済発展に向けて取り組むバランス感覚の良さなど、大国に挟まれた地政学上の微妙さから独立を維持していくための、したたかともとれる外交センスを持ち合わせており、見習うべき点も多い。

今年で国交樹立25周年を迎えたブータンと日本。順調な経済成長に伴い、一人当たりの国民総所得も2010年に1,880ドルとなり、無償資金協力から円借款への移行など、ブータンへの日本の支援は過渡期を迎えつつある。今もダショー西岡の遺志が息づくブータンの地で、JICAは引き続きパートナーとして、GNHと経済発展のバランスを意識しつつ、支援を続けていく。


(注1)主要産業は電力の輸出だが、雇用の創出にはつながらないため、さらなる農業(米、麦、トウモロコシ)、林業の開発や、観光業にも力を入れている。
(注2)第2次世界大戦後、1951年に組織された、開発途上国援助のための国際機関。
(注3)それまで法則性なく行われていた植え方では、除草機が使えず、稲の風通しが悪いといった問題があり、日本と同様に並木のように縦横一定間隔で植える方法を導入。
(注4)2020年の達成を目指していた当初の予定を、大幅に前倒しして進められている事業。ブータン全土の43パーセントをJICA、残りをアジア開発銀行が支援している。
(注5)国土の5割以上を自然保護区に指定し森林や生物多様性の維持に努めている。また、伝統文化の継承や国民性の維持のため、平日はゴ、キラと呼ばれる民族衣装の着用が義務付けられているほか、建築物は伝統建築とするなどの政策もとられている。