トルコと日本の新たなる友好の懸け橋に

−ボスポラス海峡横断地下鉄開通−

2013年11月14日

トルコ建国90周年記念日の10月29日、ボスポラス海峡横断地下鉄の開通式が行われた。式典にはトルコ側からアブドゥッラー・ギュル大統領、レジェップ・タイイップ・エルドアン首相、ビナーリ・ユルドゥルム運輸海事通信大臣、日本側からは安倍晋三首相が出席。建国記念日に行われた式典は、アジアと欧州をつなぐ歴史的事業であることを印象付けた。

JICAは1999年、2005年、2010年の3回にわたり、合計1,532億7,400万円の円借款の供与を通じて、この事業を支援してきた。「トルコと日本との強い『絆』が、あらゆる物理的・経済的困難を乗り越える原動力になったと思います」と斉藤顕生JICAトルコ事務所長は語る。地下鉄開通にまつわる、関係者それぞれの「絆」を紹介する。

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地下鉄地図(カズリチェシュメ駅〜アイリリクチェシュメ駅間)

トルコ国民「150年の夢」実現に協力 

トルコ最大の都市イスタンブールを二分するボスポラス海峡は、古くから交通の障害となってきた。「海峡に分断された都市を一つにしたい」。オスマントルコ時代の1860年、すでに海峡を横断するトンネルの設計図が描かれていたという。トルコ国民の夢が、150年の歳月を経て実現した陰には、日本とトルコの長年にわたる信頼関係と強力なパートナーシップがあった。

海峡は2本のつり橋で結ばれていたが、慢性的な交通渋滞と、それに伴う排気ガスなどによる大気汚染が深刻化していた。渋滞と環境問題を同時に緩和できる交通手段として、トルコ政府は海峡を横断する地下鉄建設を計画。日本は1999年から3度にわたる円借款で建設を支援し、海底トンネル部分を含むカズリチェシュメ駅〜アイリリクチェシュメ駅の5駅間を、大成建設株式会社とトルコ企業のガマ、ヌロールのジョイントベンチャー(TGN)が建設した。

建設に当たっては、海峡を流れる速い潮流と密な海上交通という厳しい条件下で、60メートルの海底に世界最深となる沈埋トンネル(注1)を敷設する高い技術力に加えて、埋蔵文化財に配慮しながら地下鉄と駅を建設するという、歴史都市ならではの対応も要求された。

地下鉄の開通により、これまでフェリーで30分近くかかっていた海峡間の移動が、約4分と大幅に短縮された。地下鉄は1日150万人を運ぶ市民の足となる。

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トンネル縦断模式図

困難の連続の中、若手エンジニアを育成 

作業船(双胴船)で函体を海底に沈める。手前が函体

TGNが行ったのは、海底部分約1.4キロメートルの沈埋トンネルと、それにつながる約9.5キロの上下線2本のシールドトンネル(注2)、そして三つの地下駅と一つの地上駅を建設する総延長約13.6キロの地下鉄整備事業だ。その中でも技術的に最も難しいとされていた海底トンネルの工事を、青函トンネル(1989年)や本州四国連絡道路の神戸・鳴門ルート(1997年)などを建設した大成建設が担当した。

「沈埋トンネル工事は、自然との闘いでした」。2004年から2009年まで沈埋トンネル工事の責任者を務めた大成建設の小山文男調達本部第二調達部長は言う。まず海峡の流れや速度に対するデータの収集に1年近くを費やし、作業船を建造した。その後の海上での作業は「流れが速い川(海峡)でイカダ(作業船)に乗って作業をしているようなもの。その横をヨットからフェリーや大型タンカーまでが頻繁に行き交う。流されたら大事故になってしまう」。毎日、細心の注意を払いながら作業を進めなければならなかった。

2008年9月、最後の函体を沈める作業の指揮を執る小山部長

人材採用も難問だった。「沈埋トンネル工事の経験を持つ現地企業がなかったため、主な海上工事には下請企業を使わず、エンジニアから作業員まで、現地事務所で直接雇用しました」と小山部長は説明する。新しい技術の習得に熱心な若手を採用し、日本人スーパーバイザーが技術指導をしながら工事を進めた。海底トンネル工期中は、常時30人程度のエンジニアを雇用。その多くは取得した技術を武器にステップアップしていったが、2004年に採用され、現地管理職として今も活躍しているエンジニアもいる。

「緊張の連続で、正直、寿命が縮む思いでした。それでも文化が違う外国人とチームを組んで、この難しい工事を成し遂げたことは大きな財産になりました。日本とトルコ、アジアとヨーロッパを結ぶ大事業に取り組んでいるという技術者のプライドが、『あきらめるわけにはいかない』という、みんなの強い思いとなり、奇跡ともいえるこの事業を成し遂げた気がします」と小山部長は感慨深げに語る。

完成した海底トンネルは沈埋工法としては世界最深となり、陸の部分のシールド工法で掘削したトンネルとつなぐ工法も世界で初めての試みとなった。地震国であるトルコの状況に配慮してマグニチュード7.5の地震にも耐えられる強度設計となっている。

資金面やリスク対策で貢献

今年8月、地下鉄のテスト走行に立ち会う斉藤所長(写真撮影:イラブヒム・ユンベル)

資金面やリスク対策で貢献したのがJICAだ。2004年8月の工事開始以来、予想を上回る埋蔵文化財が発見され、工事が大幅に遅延した。この遅延に伴い、工事契約時に比べて大幅に事業費用がかさんでしまった。

JICAは、埋蔵文化財調査の透明性維持を視野にユネスコとのセミナー共催、工事の安全性確保に向けた専門家派遣などを実施する一方、工事の円滑な実施に向けたトルコ政府機関間の調整促進や、工事費用の支払い手続きの迅速化のために、粘り強くトルコ政府との折衝を続けてきた。2001年から断続的にプロジェクトにかかわってきた斉藤所長は「遺跡調査の遅延に伴う工事契約額の増額をトルコ政府が議会に承認させることができなければ、工事が中断する危機もあった」と吐露する。

イェニカプ駅付近で見つかったローマ時代の桟橋跡

困難な状況を乗り越えることができたのは、イスタンブール市長時代からこの事業を推進し、工事現場に頻繁に足を運んでいたエルドアン首相の強いリーダーシップをはじめとするトルコ政府関係機関の努力、またコンサルタント企業やTGNの協力、日本大使館などの支援があったからだ。

1890年の「エルトゥールル号遭難事件」(注3)に始まり、1985年のイラン・イラク戦争時(注4)に深まった日本とトルコの友好関係。そして今回、日本の技術と資金協力によって開通したボスポラス海峡横断地下鉄は、トルコと日本の友好の新たな象徴となるだろう。

既存線改修部分を含めた全線開通は2015年の予定。日中は乗客用、夜間は貨物列車が走行し、欧州と中東、アジアを結ぶ物流の動脈となることが期待されている。JICAは引き続きトルコ側と協力しながら、事業が円滑に進むよう支援していく。


(注1)函体と呼ばれる箱形の構造物を造って船で運び、海底に沈めてつなぐ工法。
(注2)シールドマシンと呼ばれる大きな円筒形の掘削機器を用いて、その内側でトンネルを掘りながら、そのあとにセグメントと呼ばれるパネルをはめ込む工法。
(注3)1890年にオスマントルコの戦艦エルトゥールル号が和歌山県沖で遭難した際、地元住民が救助に当たり、生き残った乗組員を日本海軍の戦艦で母国に送り届けた。
(注4)脱出困難に陥った在イラン邦人を「エルトゥールル号の恩返し」として、トルコ政府が特別機を飛ばし救出。