民族融和へのキックオフ

−元サッカー日本代表の宮本恒靖さん、ボスニアへ−

2014年3月14日

モスタル高校を視察。宮本さんと4人の仲間は、モスタルでアカデミーの設立を目指している

2月19日、元サッカー日本代表主将の宮本恒靖さんは、ボスニア・ヘルツェゴビナ西部の街、モスタルの高校にいた。パソコンのディスプレーの後ろに生徒の笑顔が並ぶ。教室の照明が落とされ、前方のスクリーンに歓迎のメッセージが映し出された後、バーチャル校内ツアーが始まった。

2011年に現役を引退した宮本さんは、翌年国際サッカー連盟(FIFA)の運営する大学院「FIFAマスター」に進学し、2013年7月に修士号を取得した。修士論文に当たるグループワーク「ファイナル・プロジェクト」で、宮本さんのグループが研究テーマに選んだのは「ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに、民族融和と多文化共存に寄与するような子ども向けのスポーツ・アカデミーを設立できるか」。紛争から20年近くたつ今も、民族間対立感情の根強いボスニア。中でも特に「センシティブな町」といわれるモスタルをスポーツの力で変えようという野心的な試みだ。

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「ありがとう」のポスターが教室の壁を飾る(モスタル高校のITラボ)

コスモポリタンな文化と風土

旧ユーゴスラビア時代、「ボスニア・ヘルツェゴビナ人民共和国」は、民族名を称さない唯一の共和国だった(注)。主な住民はムスリム(イスラム教徒の住民の呼称)、セルビア系、クロアチア系で、特にサラエボやモスタルなどの都市部では民族の混住が進み、コスモポリタンな文化と風土がボスニアの自慢だった。しかし、ユーゴスラビア紛争が勃発(ぼっぱつ)して他の共和国が次々に独立すると、ボスニアは3民族の陣取り合戦の舞台になってしまう。隣人や友人が敵になり、モスタルでは街の象徴の「スタリ・モスト(旧橋)」が破壊された。

ボスニア紛争は1992年からの3年半に死者20万人、難民・避難民200万人を出し、ボスニア・ヘルツェゴビナはムスリムとクロアチア系からなるボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア系によるスルプスカ共和国から成る連邦国家として再スタートした。モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の都市となり、スタリ・モストは2004年に再建されたが、今もネレトバ川を挟み、橋の東側にムスリム、西側にクロアチア系住民が住み分けている。

IT教育を通じて民族融和を推進

2004年に再建されたスタリ・モストを渡る宮本さん(中央)

JICAは、1995年の紛争終結直後にボスニア・ヘルツェゴビナへの復興支援を開始した。まずは紛争で破壊されたインフラの復旧に注力。首都サラエボを皮切りにバニャ・ルカ、モスタルの主要3都市に供与したバスは、今も日の丸を付けて市民を運び続ける。さらに「社会」の再生を目指し、人々が再び仲間として助け合えるような「平和の定着・民族の和解」の支援を、日本ならではの方法で行うことを決めた。その一つが「IT教育近代化支援」だ。

紛争後のボスニア・ヘルツェゴビナの教育では、各民族のアイデンティティーの強化に主眼が置かれ、すべての授業が民族別に行われる。複数の民族の生徒が通う学校でも他の民族の生徒との触れ合いはない。旧ユーゴ時代からの名門校モスタル高校でも状況は同じで、壊れた校舎の一部を修復しクロアチア系生徒のみが授業を受けていた。その後、校舎全体が修復され、ムスリムの生徒を受け入れるに当たり、JICAは、歴史や文化の影響を受けにくいIT教育分野で、民族合同の課外授業の実施と統一カリキュラムの試験導入を提案。民族の異なる生徒や教師同士の対話を促進し、融和を推進すべく2005年に技術協力を開始した。この取り組みは、ボスニアの教育関係者から高い評価を受け、現在では対象を広げ、ボスニア国内のすべての普通高校で、統一カリキュラムを用いた情報科の民族合同授業が行われている。

ワールドカップ初出場の喜びとアカデミーへの期待

クラブチームのグラウンドを視察

JICAは、このIT教育を通じた融和促進と、宮本さんの考えるスポーツを通じた融和促進が連携できるのではないかと考え、今回のボスニア視察が実現した。

モスタル訪問に先立ち、宮本さんを交えた調査団一行は首都サラエボでボスニア・ヘルツェゴビナ・サッカー協会のエルベディン・ベギッチ会長を訪問。ベギッチ会長は、「ボスニアと日本はサッカーを通じた良い関係を築いている。スポーツ、とりわけサッカーはボスニアの希望の鍵だ」と語り、ワールドカップ初出場を決めた喜びとアカデミーへの期待を伝えた。また、イビチャ・オシム元日本代表監督にも面会し励ましの言葉を受け取った。オシム氏は、サッカー選手は試合後のコメントがしっかりしていて頭がいいイメージがあるがとの日本側の問いかけに、「ボスニアではバスケットボールの選手がいちばん賢い。彼らは背が高くていい空気を吸っているからだ」と、オシム節で答えた。

サッカーの持つ計り知れない力

モスタル高校の副校長(左)にサインボールを贈呈する            

その後、モスタル高校を訪れた一行は、IT授業を見学し、パソコンの追加供与式典に参加。アンキッツァ・チョービッチ校長は「何より生徒数が増えたのがありがたい。生徒がパソコンに触れる時間を増やせるようにITラボを増設した」と笑顔で語る。生徒の一人は「ITの授業が大好き。早く使ってみたい」と、新しいパソコンにそっと触れていた。続いてモスタルに本拠を置く二つのクラブチームを訪ね、ユーススクールの子どもたちと交流。ムスリム系のチームから、「紛争前のクラブの状態を100とすれば今は10」との発言があり、宮本さんは「内戦が残したつめ跡は20年たった今も大きいと感じた」と、いまだ作りかけの観客席を見上げた。

優勝した生徒チームには、賞品として宮本さんが日本から持参したお菓子がプレゼントされた(写真:伊藤真司)

翌日、再びモスタル高校を訪れた宮本さんに、ムハメド・コニッチ元代表主将やエルヴィル・ボリッチ元得点王を含むボスニア人元プロ選手4人と、ボスニア一部リーグ「NKズビエズダ・グラダチャツ」に所属する秋吉泰佑選手が合流し、生徒とのサッカー交流を行った。雨のため屋外グラウンドから体育館に会場を変更して行われたミニゲームには、ムスリム系、クロアチア系、両民族の男女合わせて20人の選抜チームが参加。小さな体育館に拍手と歓声が響いた。

ゲームに参加した生徒は「男女混合のチームで楽しかった。プロの選手たちとサッカーができてよかった」と話し、宮本さんは「言葉が通じなくても、ボールをけり、体をぶつけ合うことで一つになれた。ボスニアの選手も手伝ってくれていいイベントになった」と喜びを語った。所属するチームの監督がモスタル出身で、喜んで送り出してくれたという秋吉さんも「サッカーの計り知れない力を感じた。すごく楽しい時間だった」と充実した表情を見せた。

日本だからこそできること

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生徒たちはずらりと並ぶプロ選手と、今回の交流のためにJリーグから寄贈された公式球に目を輝かせていた。前列左端が宮本さん(写真:伊藤真司)

宮本さんは今回の訪問を振り返り、「モスタルの人の心に残る分断は想像以上に大きいと思ったが、会う人ごとに『応援したい』と言われ、難しい場所だからこそアカデミーで変えていきたいと感じた。モスタルでは街中で日本の支援の看板を見かけることが多く、バスにも日の丸がついていて、日本が良い影響を及ぼしていることを感じた。ボスニアには日本だからこそできることがたくさんあり、民族融和のプロジェクトも、中立的な立場で協力してきたからこそ受け入れられているのではないか。今後も、JICAにアドバイスと協力を得ながらアカデミーの設立を進めていきたい」と展望を語った。


(注)他の共和国が「セルビア」「クロアチア」など、民族名を冠する中、ボスニア・ヘルツェゴビナは地域名を国名とした。