ケニアで医療協力の礎を築いたライオンたち――「風に立つライオン」主人公のモデルはJICA専門家

2015年3月10日

3月14日、シンガーソングライターさだまさし氏原作の映画、「風に立つライオン」が公開される。映画では、東アフリカの国ケニアで医療に携わった日本人医師が主人公として登場しているが、この医師のモデルは、今から44年前、JICAの前身である海外技術協力事業団(OTCA)から専門家としてケニアに派遣された外科医、柴田紘一郎氏(74歳)だ。さだ氏が柴田氏のケニアでの活動に触発されて同名の歌と書籍が生まれ、このたび映画化された。

44年前、ケニアの地に立った日本人たち

(C)2015「風に立つライオン」製作委員会

周囲をタンザニア、ウガンダ、南スーダンなどに囲まれ、インド洋に面する人口4,435万人の国、ケニア。1963年に宗主国英国から独立してからは、アフリカの中でも早い時期から保健医療サービスに力を入れていた。

それを、国際社会の中でいち早く支援したのが、JICA(当時OTCA)だった。JICAは開発途上国の医療協力に本格的に取り組み始めた時期で、ケニアとは1963年の研修員の受け入れから協力関係が始まっていた。そして1966年、当時日本で唯一、熱帯医学の研究所を持ち、アフリカでのウイルス疾患や寄生虫疾患などの研究調査実績のある長崎大学の協力を得て、ケニア西部のリフトバレー州ナクールにあるリフトバレー州総合病院(ナクール病院)への支援を開始した。

この協力は、長崎大学医学部と熱帯医学研究所から医師や看護師、検査技師などの専門家をケニアに派遣し、医療活動を支援するもので、1975年まで続いた。10年間で派遣した医師などの専門家は38人。その中の一人として1971年から2年余り派遣されたのが、「風に立つライオン」の主人公のモデルとなった、柴田氏だった。

アフリカで学んだ「患者と真に向き合うこと」

ナクール病院でケニア人看護師らと回診する柴田氏(中央)

ナクール病院で手術を行う柴田氏(写真左)

1971年3月、当時30歳だった柴田氏は、自ら希望してJICAのプロジェクトに参加した。子どものころからアフリカのケニアを舞台にした山川惣治の『少年ケニヤ』の世界や、アフリカで医療と伝道に従事したアルベルト・シュバイツァーにあこがれ、いつかアフリカの地に立ちたいと思っていた柴田氏にとって、願ってもないチャンスだった。日本を旅立つ前の3ヵ月間には、外科医師として現地で役立つよう、教授や同僚たちの協力を得て、できる限り手術の経験を積んだ。

柴田氏がケニアに派遣された当時、ナクール病院に赴任していたメンバーは、長崎大学の内科医一人、看護師二人。季節は大雨季だったが、「蒸し暑い日本を発ち、飛行機を乗り継いでケニアのナクールの高地に立ったときの、乾燥した、さわやかな風が忘れられない」と柴田氏は言う。

ナクール病院での活動は想像以上に過酷だった。病院の主な設備は日本が供与したレントゲンと胃カメラ、心電図のみ。その中で、来る日も来る日も次々と訪れる患者の診療や手術の支援に明け暮れた。柴田氏が赴任していたときは、病院にはケニア人の医師は一人もおらず、インド人の医師やケニア人の看護助手などと活動を続けた。

建物も設備も近代的に生まれ変わったナクール病院を42年ぶりに訪れた(病棟前で)

病院に来る患者たちは、マラリアや結核などの内科的患者のほか、交通事故によるけが人や火傷(やけど)を負った人、帝王切開の必要な妊婦も多かった。ほとんどの患者が英語を話せなかったので、通訳に仲立ちをしてもらってはいたが、患者の不安や痛みを直接和らげるために、患者の手を取ってそばに寄り添い、体をさするといったケアをスタッフ全員で行った。これにはケニアの患者も反応した。信頼し、感謝してくれているのがわかった。

2年間の派遣期間を終えて日本に帰国した柴田氏は、その後、長崎大学から宮崎医科大学に移り、宮崎県立日南病院院長を経て、現在は宮崎県の介護老人保健施設サンヒルきよたけで施設長を務めている。当時を振り返り、「ケニアで経験したことは、その後の私の仕事の原点。医師として病を治すということの難しさや、患者と真に向き合うこと、心のケアを学んだ」と言う。

最近、映画「風に立つライオン」に関連して42年ぶりにナクール病院を訪れた。「建物も設備も近代的な機能を備え、ケニア人の医療関係者が大勢育っている様子を見て、非常に感慨深かった」と語る。

半世紀の時を越えて

ナクール病院での医療協力プロジェクト終了後、JICAはケニアへの協力を、臨床医療から公衆衛生を重視した医学研究へと転換した。患者を診る医療現場の改善だけでなく、病の根源を突き止め、適切な診断法や治療法を得る研究が必要との判断からだった。

JICAは1979年に、ケニア国内の感染症の研究を総括する「中央医学研究所(KEMRI)」設立の支援を開始。1985年にはKEMRIはケニアのみならず、アフリカの熱帯医学の拠点として、本格的に始動した。KEMRIでは、感染症の調査研究や衛生教育、HIV/エイズや肝炎の診断キットの開発、日本での研修や現地での指導を通じたケニア人研究者の育成など、数々の成果を残していった。

柴田氏が着任した当時はケニア人医師が一人もいなかった小さな病院は、今や多くのケニア人医師を擁する立派な総合病院となっている。JICAと長崎大学がタッグを組んだ50年近くになるケニアへの協力。長崎大学は現在、JICAと独立行政法人科学技術振興機構(JST)の地球規模課題対応国際科学技術協力(SATREPS、注)で、黄熱病などの診断法に関するKEMRIとの共同開発を続けている。さらに現地には同大学独自の研究拠点も設置され、アフリカ屈指の感染症研究拠点として成果を挙げている。

映画「風に立つライオン」のテーマは「希望のバトン」。ナクールで始まった人々の命と健康を守る国際協力の「バトン」は、確実に受け継がれている。

【画像】

中央医学研究所(KEMRI)

(注)SATREPS:Science and Technology Research Partnership for Sustainable Development。JICA とJSTが連携し、環境、防災、感染症といった地球規模の課題解決のために日本と開発途上国の研究者が共同で研究を行う3〜5年間の研究プロジェクト。