褐色のサバンナを世界の食料倉庫に

−坂口幸太JICA職員−

2012年8月24日

ブラジルと共にアフリカのポルトガル語圏の国々を支援。アンゴラの保健分野のプロジェクトの調査でワークショップのモデレーターを務める

現在、日本の商社やメーカー各社が投資先として熱い視線を送っている国に、アフリカのモザンビークがある。石炭と天然ガスを埋蔵する資源大国であることが理由の一つだが、加えて「プロサバンナ(ProSAVANA)」の存在がある。

「現在、世界の食料倉庫といわれる農業生産国は、アメリカとブラジルの2ヵ国です。しかし、世界人口の増加、新興国の経済成長とともに、近い将来、第3の食料倉庫が確実に必要になります。その潜在力を持つ最後の場所といわれているのがアフリカです。『プロサバンナ』には、環境保全や小規模農家の生活向上を図りつつ、第3の食料基地を開発するという壮大な夢があります」。事業立ち上げ時からプロサバンナにかかわってきた坂口幸太JICA職員(33歳、神奈川県出身)(以下、敬称略)はこう話す。

日本とブラジルの知見をアフリカへ

第3の食料倉庫としての期待を担うプロサバンナ事業地の大豆畑

プロサバンナとは、モザンビーク北部の「ナカラ回廊」の周辺地域で、JICAがブラジルと共に2009年から展開している「日本・ブラジル・モザンビーク三角協力(注1)によるアフリカ熱帯農業開発プログラム(ProSAVANA−JBM)」のこと。日本とブラジルには、1970年代から約20年にわたる農業開発協力事業により、不毛の大地とされたブラジルのセラード(注2)を、世界の食料倉庫へと発展させた実績があるが、この実績・経験をアフリカの熱帯サバンナ地域の農業開発に生かしているのが、プロサバンナだ。

「地球上に20億ヘクタールあるといわれる熱帯サバンナのうち、7億ヘクタールがアフリカ大陸にあり、そのうち4億ヘクタールが農業適地とされます。この熱帯サバンナを開発することで、アフリカの食料不足を解消するだけでなく、世界の食料安全保障にも貢献することが可能です」と坂口は目を輝かせる。「セラード開発を通して、ブラジルでは熱帯サバンナの農業開発のためのさまざまな技術が開発されました。熱帯農業分野では、ブラジルは今や世界一の技術大国。しかも、モザンビークはブラジルと同じポルトガル語圏。日本とブラジルが連携することで、より効果的な事業展開が期待できます。プロサバンナにおいて、ブラジルは日本の理想的なパートナーです」

2010年、三角協力25周年記念式典で、JBPPのパートナー機関、ブラジル国際協力庁の担当者と共に25年の歴史を振り返るプレゼンテーションを行った

日本とブラジルによる三角協力は1985年に始まった。援助国と非援助国という関係にある2ヵ国がより対等な関係で三角協力を実施するため、2000年には、日伯パートナーシッププログラム(JBPP)を締結。さらに、2007年3月に、ブラジルを訪れた緒方貞子前JICA理事長がセルソ・アモリン・ブラジル外務大臣(当時)と会談し、共同プロジェクトの早期実現に合意すると、JBPPは本格的な実施段階に入った。2006年にブラジル事務所に赴任していた坂口は、このJBPPの本格始動に立ち会った。そして、三角協力事業のブラジル事務所の担当班長として、ブラジルと連携したアンゴラやモザンビークなどのアフリカ支援にかかわっていくことになる。

アイデアと交渉術で道を切り開く

坂口(右奥)の発案でブラジル国際協力庁と共にドイツ、米国、フランス、イギリス、スペインなどに呼びかけ、三角協力に関するドナー会合を開催

三角協力には、二国間協力とは異なる難しさがある。例えば、日本としては必ずしも必要ではない手続きも、ブラジル側が必要といえば、時間と手間をかけて議論し書類を作成しなければならない。「すべてにおいて時間がかかるので、スケジュールも遅れがちです。二国間協力でも難しいのに、さらに1ヵ国が加わるわけですから、事業を軌道に乗せるまでには時間がかかります」と、坂口はこれまでの三角協力を振り返る。実際、プロサバンナでは、3ヵ国が合意文書に署名する直前に、ブラジルの実施機関が署名をしないと言いだしたため、坂口が関係者を集めて説得するという事態に発展したこともあるという。「こうした交渉は数え切れないほどやりました。こちらがあいまいだったり、多数のオプションを示したりすると時間がかかってしまうので、とにかく『芯』と自信を持って交渉するしかありません」

一方で、従来のJICAのやり方にとらわれず、新しい仕組みやルール作りにも取り組んだ。「例えば、保健人材を育成する協力のため、日系ブラジル人を第三国長期専門家としてモザンビークに派遣しました。第三国専門家は、通常、短期で派遣するものでしたが、モザンビークの現場からの要望に応え、長期専門家の派遣ができるように新たに規程を設けたんです。日本人の長期専門家の規程やブラジルの労働法を踏まえながら、現地に最も適した規程を作りました」。事業の盛り上がりに応じた体制を構築するために、4人体制だったブラジル事務所の三角協力班を10人に増やしたり、非日系人スタッフを採用し、班の「公用語」をポルトガル語としたりしたのも、坂口だった。

そんな坂口を、ブラジル在勤20年、セラード開発の最前線で活躍し、プロサバンナを構想した本郷豊JICA客員専門員は、「尽きることのないアイデアと人を魅了する演説、孤軍奮闘するたくましさで、八面六臂の活躍でした。若手職員への感染力を持つ、新しいJICA職員像です」と高く評価する。「交渉術は先輩から勉強させてもらったところが多々ありますし、新しい試みを実現できたのは、上司が本部に交渉してくれたおかげです」と坂口は謙遜するが、ブラジルとの協働作業をぜひとも進めたいという坂口の熱い思いが伝わったからこそ、先輩たちも協力を惜しまなかったのだろう。

ポルトガル語が大きな武器に

坂口がJICAに入職したのは2003年4月。国際協力の仕事をしたいと思うようになったのは、意外にも就職活動を間近に控えたころだという。バックパッカーとして海外を旅する中で、バングラデシュのスモッグで汚れた空を見、ストリートチルドレンに出会い、何かできることはないか、と思ったことがきっかけだった。「そういうことに興味があるなら、日本にJICAという機関があるよと教えてくれたのが、バングラデシュ人の友人でした。それまでの国際関係の仕事をしたいという漠然とした思いが、社会全体の枠組みをよい方向に変える仕事をしたいという形になって、はっきりと見えてきました」

大学ではポルトガル語を専攻。「大学時代の成績は下のほうでしたから、今ポルトガル語を使う仕事をしていると言うと、同級生には驚かれますけどね」と話すが、5年間のブラジル赴任経験を経て、今や要人の会談の通訳もこなすほど、ポルトガル語は坂口の大きな武器となっている。「ポルトガル語はリズムが重要。間に通訳が入ると、細かなニュアンスが伝わりにくいのです。ブラジルなどポルトガル語圏では英語が通じにくいこともあり、ポルトガル語を話せることは非常に役立っています」

ブラジル時代はブラジリアンロック・レゲエバンドに参加。現在も自身のバンド「湘南リズム隊」で音楽活動を続けている(右から2人目)。入職3年目にJICA若手有志で立ち上げた定時帰宅推進ライブイベントで

国際協力を進める上で、坂口が大切にしているのは、「和」だ。「何かしなければ何も生まれない仕事ですが、逆に何か行動を起こせば、何らかの貢献ができる仕事でもあります。考え方や立場が異なる人や国が一緒に働くわけですからシビアな議論は必要ですが、和を大切にして、最終的には調和が取れる着地点を見出すことが大切です」

坂口は昨年6月にブラジル事務所からアフリカ部に異動になり、プロサバンナのみならずモザンビーク全体に対する援助戦略の策定や案件形成、円借款事業のマネジメントに取り組んでいる。その中でも特に意識しているのが官民連携。さまざまなパートナー機関と共に、夢のある開発事業に取り組んでいる。


(注1)先進国や国際機関と、支援を行う途上国が連携して、支援を受ける途上国の発展・開発のための共通の案件目標を設定し協力を実施すること。
(注2)ブラジル中西部に広がる広大な熱帯サバンナで、比較的雨量が豊富な地域。
(注3)ある分野で開発の進んだ開発途上国が、別の途上国の開発を支援する国際協力の形態。