急速な経済成長が進むインドネシアでは、食の好みも多様化し、鮮度が高く安全な野菜へのニーズが高まっている。一方、生産現場では、近代的な農業の知識に乏しく、また非効率な流通ルートによるコスト負担も大きいため、高い商品価値を生み出せていなかった。
都市部と農村部の経済格差が広がるなか、フードバリューチェーンの構築で問題解決に挑む、インドネシアの農業の今を追った。
文・写真:光石達哉
首都ジャカルタから南に約100キロ離れたチアンジュール県。ここは標高1000メートル前後の高原が広がり、畑ではビーフトマトという大きな実がなるトマトが育てられている。この地域のムジャギという農家グループのリーダー、スヘンダーさんは言う。
「脇芽をねじることで果実により多くの栄養が行き渡るようになり、ひとつひとつのトマトの実が大きくなりました」
また、同じグループでチリ(トウガラシ)を育てているディディンさんは「100平方メートルの畑に、300本の苗のうち成長のいい250本の苗を選別して定植することで、病気に強い木が育ち、ほぼ100パーセント枯れることはありません」と語る。
こうした栽培技術は、JICAの「官民協力による農産物流通システム改善プロジェクト」の専門家を通じて学んだものだ。同プロジェクトの業務統括、西村勉さんは付け加える。
「彼らは、今まで苗木の根元の畝(うね)にだけ肥料を撒いていました。しかし、植物は根の先端から養分を吸収します。畝の間の通路にも撒くことでいい作物が育つため、畑全体に撒くように指導しています」
こうして彼らが収穫した農作物は、同プロジェクトが年2回開催する「ビジネスフォーラム」-いわゆる野菜の商談会で、大手スーパーチェーンへの販売が決まった。ディディンさんが作るチリは1週間に2回、400キロずつが出荷されているという。
経済成長が進むインドネシアでは都市部の富裕層の舌も肥え、トマトやパプリカなど高級野菜に対する需要が高まっている。
そこで、JICAは西ジャワ州6県で野菜農家の生産流通モデルを改善するトライアルプロジェクトを昨年からスタートさせた。毎年、各県から五つほどの農家グループ、計約30グループを支援対象として選抜している。農家グループとは、政府が組織することを推奨している約20~30軒の農家からなるグループで、各県の農業局に登録することで行政の支援や補助を受けられるようになる。
2018年4月から新たにプロジェクトの支援対象となった同じくチアンジュール県の農家グループ・サルユのリーダー、オチェップさんは今までの悩みをこう打ち明けた。
「十分な知識がなかったので、農薬や肥料もどれくらいの量を使えばいいかわからなかった。できた野菜も、グループでまとめて出荷するのではなく、個々の農家で地元の仲買業者に売っている。もっといい値段で買ってくれるところがあるなら、改善したいと思っていた」
オチェップさんが言うように、収穫した農作物をどこへ売るのかも大きな問題だ。インドネシアでは農家と小売業者の間に複数の仲買業者が存在し、その流通コストの負担となっていた。こうした流通ルート、サプライチェーンの改善は、インドネシア政府も優先的に取り組む課題のひとつに挙げている。同国園芸総局次長のトミー・ヌグラハさんは「最終的に消費者が野菜に支払う価格は同じなので、仲買業者が多いほど農家の取り分は少なくなります。このサプライチェーンをいかにスムーズにするかが重要です。やはり農家が一番大事ですから」と説明する。
この取り組みをすでに実践しているのが、西バンドン県レンバンのサプライヤー「ヤンズ・フルーツ・アンド・ベジタブルズ」だ。サプライヤーとは、スーパーなどの小売店に農作物を卸す業者だ。同社は仲買業者をほぼ通さず、農家グループから野菜を直接買い付けることで流通コストのカットに貢献している。
社長のタタンさんは「われわれは農家グループとパートナーシップ契約を結んで、一定の品質をクリアした農作物は必ず買い取る保証をしています。こうして農家といい関係を築いたおかげで、今でもマーケットは拡大し続けています」と胸を張る。
西村さんは、こうしたサプライヤーと農家グループの橋渡しもしている。
「この地域ではジャガイモは作っていないのですが、われわれがガルット県のジャガイモ農家を紹介することで、彼らも仕入れてスーパーに卸せるようになりました」
しかし、流通面ではほかにも課題がある。野菜の鮮度を保つため、冷蔵庫や冷蔵車で保管・輸送するコールドチェーンという考え方があるが、インドネシアではまだまだ浸透していない。実は、政府の支援で冷蔵庫を設置している農家グループもあるのだが、スイッチが切られていてほとんど使われていないという。
「冷蔵庫の電気代を負担しても、野菜の値段は変わらないので使わない」という切実な農家の声もある。こうしたコストを軽減するためにも、フードバリューチェーンの整備がますます必要になってくる。
西ジャワ州の州都バンドンから34キロ離れた山中では、フードバリューチェーン構築の新たな試みが行われている。
ここには、医療機器メーカーの創業者であるレオ・ルーベンさんが2012年に創設した農業会社「サリバクティ」の農園がある。約40ヘクタールの敷地を切り開いて畑や道路を整備し、現在では斜面に95棟ものビニールハウスが建てられている。
ルーベンさんは「ここは大都市バンドンから近いにもかかわらず、村人の教育水準も低く、日雇い労働で村を離れる人も多かった。彼らのために何かやりたいと思ってここを作ったのですが、それによって村人たちも戻ってきました」と農園設立の理由を語る。
さらに、ルーベンさんは他の農家と競合しないものを作りたいと考え、プロジェクトの支援を受けて昨秋から日本野菜の栽培を始めた。日本のタキイ種苗からナス、ピーマン、水菜などの種子の無償提供の協力を受け、すでに収穫もしている。
ジャカルタ市内のスーパー「パパイヤ・フレッシュギャラリー」は、ここで作られた日本野菜を直接仕入れる。同スーパーのマーケティングマネジャー星野公子さんは「多いときで週2回、約50キロ入荷していましたが、毎回1日半ほどで売り切れます。日本野菜は味も濃くておいしいし、直接仕入れているので値段も安いです。日本人だけでなく、日本料理の味を知っているインドネシア人の富裕層も買っていきます」とその人気を語る。
今回話を聞いたインドネシアの農家や流通業者のリーダーたちはみな40歳前後と若いながらも、自分たちのグループを引っ張って、フードバリューチェーンを意識した新しい農業のビジネスモデルを作っていこうという意欲に満ちていた。この取り組みは都市部との経済格差を埋めることにもつながる。
西村さんは「うれしいことに農業資材を提供しようと手を挙げる日本企業も現れ始めています」と話す。インドネシア農業の豊かな発展、ひいては農村部の所得や生活の向上のため、彼らの努力はこれからも続いていく。
より高品質でより安全な野菜を、より多く。
プロジェクトを通じてインドネシアの農家グループが実践している栽培技術の改善策を紹介。
害虫のアザミウマが花の蜜を吸うと、パプリカの実に傷がつく。しかし農薬の散布頻度が高いとかえって害虫に耐性がつくため、農薬の種類を組み合わせたローテーションによる散布を導入することで、散布間隔を2~3日に1回から10~15日に1回に減らしながら防除効果を維持すように指導。農薬のコスト削減、残留農薬の低減にもつながる。
(西バンドン県/FRT農家グループ、ミトラ・スカマジュ農家グループ)
竹竿の代わりにネットに蔓をはわせることで、さまざまな方向に蔓が伸びて通気や日照などの生育環境が改善し、インゲンのサヤの大きさが一定となり、収量も増える。サヤ同士が風でぶつかったり曲がったりするのを防ぐ効果もある。
(西バンドン県/シナール・ムクティ農家グループ)
脇芽を下向きにねじることで、茎全体に栄養が行き渡り大粒の実がたくさんできる。ビーフトマトはもともとオランダの品種で、輪切りにしたときにビーフステーキのように見えるのがその名の由来と言われる。
(チアンジュール県/ムジャギ農家グループ)
国名:インドネシア共和国
首都:ジャカルタ
通貨:ルピア(Rp.)
人口:約2.55億人(2015年)
公用語:インドネシア語
1949年、オランダから独立。2000年代に入って国内政治が安定し、経済も急成長。高級スーパー、レストラン、ファストフード、ホテルなども普及し、食も多様化した。それを支えるフードバリューチェーン構築のため、「官民協力による農産物流通システム改善プロジェクト」では、栽培技術の指導や流通改善だけでなく、ビニールハウスなどの資材購入のための低利の融資の紹介もしている。
農家グループ、ムジャギのリーダー、38歳。農業研修で来日した経験もある。同グループでは、ビーフトマトやチリを栽培。「基本的に苗は購入しているが、自分たちで種から苗を育てられるように技術を上げて、もっと生産量を増やしたい」
スーパーなどに野菜を卸すサプライヤー「ヤンズ・フルーツ・アンド・ベジタブルズ」の社長、39歳。「農家が直接スーパーに出荷すると支払いは約4週間後になりますが、われわれは1週間後には遅れることなく支払うようにして、農家との信頼関係を築いています」
農業会社「サリバクティ」のCEO、40歳。2000年に医療機器製造のビジネスを始めて成功。2012年にCSR(社会貢献活動)の一環として、バンドン郊外に農業会社をオープンした。優秀な企業としてインドネシア国内で多くの表彰を受けている。日本野菜は人気だが、最近は新しい種が入手できず、収穫量も減っている。「まだまだ課題は山積みです。自然相手の農業をやっていると、医療機器のビジネスが簡単に思えます」