世界全体を揺るがす新たな脅威、新型コロナウイルス感染症。
その影響は、人間の命、社会、そして経済活動にまで及び、まさに「人間の安全保障」を脅かしている。
以前から途上国の保健医療分野で協力をしてきたJICAだが、この感染症に立ち向かうため、「世界の命を守る」というメッセージを打ち出した。
中央と地方をつなぎ、包括的に予防、警戒、治療に取り組むことで、感染症に対する対処能力と強靭なシステムを国全体で作り上げているベトナムでの取り組みを紹介する。
2020年の年初から、世界中に感染が広がった新型コロナウイルス。ただ、それぞれの国の対策の取り方で感染者数や重症者数、死者の数には大きな違いが出ている。
世界の中で、新型コロナの感染拡大封じ込めに成功した国として挙げられるのがベトナムだ。感染者が出た初期から厳格な隔離対応と、公式アプリやウェブサイトを通じた情報公開などを素早く行い、7月末までは死者数はゼロだった。
そのベトナムに対し、JICAは旧南ベトナム国時代にさかのぼる1966年から保健医療分野で協力を行っている。いまや、院内感染対策などの"予防"、疫学的な研究や検査態勢の強化と検査結果に基づく措置などの"警戒"、病院の整備や人材育成によって安心して受けられる"治療"という機能が循環するシステムが構築されつつある。
とりわけ、日本が重点的に協力してきたバックマイ病院(ハノイ)、フエ中央病院(フエ)、チョーライ病院(ホーチミン)の三つの中核病院がその地域の保健医療をカバーし、"警戒"の機能を持つ国立衛生疫学研究所などとも連携し、重要な役割を果たしている。たとえば2003年にベトナムで発生した重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行では、バックマイ病院で行っていた院内感染対策の技術指導が感染拡大の阻止と制圧に貢献した。
2020年1月、ベトナムで最初の新型コロナ感染患者をチョーライ病院が受け入れた。ここでは過去にインフルエンザの院内感染が発生しており、JICAの協力のもと、人工呼吸器使用時の感染管理や、チーム体制の構築など徹底した感染対策が行われていた。その経験を生かして新型コロナの院内感染は防がれ、患者への適切な治療を施し、さらには他の病気の患者の治療も継続することができた。
また、チョーライ病院を拠点にしたベトナム南部の省(注)病院に対する指導体制ができていたことから、その経験や知見が省からさらには郡レベルにも迅速に波及。同病院がこの地域において新型コロナ対策の指導的な役割を果たした。また、7月にベトナム中部のダナンで約3か月ぶりとなる市中感染が発生し、重症者が増加した際にはチョーライ病院の医師もダナン入りした。
病院だけではなく、長年JICAが協力してきた国立衛生疫学研究所の役割も大きい。感染症流行初期の段階からPCR検査を行い、三つの中核病院をはじめとする医療機関に結果を迅速に共有。地方の医療従事者の研修を行った際に構築されていた中央と地方のネットワークも功を奏し、省レベルの検査所でも迅速にPCR検査が実施され、行政と連係してクラスターを封じ込めるための調査も進められた。JICAの長年にわたる取り組みが中核病院や国立研究所を軸に地方まで浸透し、国全体の感染症に対する対応能力の強化につながっている。
感染症の急速な拡大という脅威に立ち向かうためには、各地の医療提供機関が協力して"予防""警戒""治療"のネットワークを張り巡らせ、状況の変化に応じて適切な対応を行うシステムが必要とされる。そのような体制と人材を備えることができて初めて感染症に強い社会となるのだ。
(注)ベトナムの地方行政区「省」は、日本でいう「都道府県」に相当する。
感染症の蔓延など深刻な社会的危機が起きた場合、その影響は社会の中でより立場の弱い人々へ向かっていく。
ジェンダー視点に立ち、新型コロナウイルスの影響を考えてみる。
新型コロナウイルスは人々の生命や生活を脅かし、社会に甚大な影響を与えているが、一方でその影響がすべての人に等しく、画一的に及ぶわけではない。感染症に限らず自然災害なども含め、人々の安全に関わる危機が起きた場合には社会的に弱い立場に立たされている人々や特定の職業などの集団にその影響が及びやすく、よりいっそう弱い立場に追い込まれる傾向がある。
実際、新型コロナの世界的蔓延で、ジェンダー("男らしさ""女らしさ"といった社会的・文化的につくられる性別)に基づく差別や社会規範が根強く残る社会では、女性において深刻な社会的・経済的影響が広がっている。
女性が7割を占める保健医療や福祉従事者への感染リスクの高まり、外出制限や自粛生活が長引くなかでの夫や交際相手からのドメスティック・バイオレンスの増加、非正規雇用や出稼ぎ労働等の不安定で低賃金な労働に従事する女性への経済的打撃などだ。
そこでJICAは、新型コロナ感染拡大下でのジェンダー視点に立った協力を実施するため、必要なアクションをまとめたガイダンスノートを作成した。女性の平等な社会参画と経済的エンパワメントの推進や、ジェンダーに基づく暴力の撲滅など4項目の優先取り組み課題を挙げ、具体的な活動内容や持つべき視点を紹介している。
出典:世界保健機関(WHO)2019の資料をもとに作成。
制限以前の件数を100として比較。
出典:国連女性機関(UN Women)2020の資料をもとに作成。
出典:国連女性機関(UN Women)2016の資料をもとに作成。
また新型コロナ感染拡大は、被害者の7割以上が女性と少女だと推定されている人身取引にも深刻な影響を及ぼす。
コロナ禍で人の移動は制限されているが、人身取引では密入国も多く、被害者は減少しているわけではない。
母子家庭など、もともと貧困状態にある女性がコロナ禍によってさらに経済的に追い込まれる状況下では、その弱みにつけこまれて被害者はむしろ増加する可能性が高くなっている。
東南アジアでは経済発展が著しく進む一方、国家間の経済格差が広がり、国境を越えた人身取引が多発していた。とくにメコン地域での人身取引問題は深刻であるため、JICAでは予防とともに、被害者の保護や社会復帰に関する協力を続けてきた。
ベトナムでは、2012年から人身取引対策ホットラインの体制整備プロジェクトがスタートした。それ以降、現在では日本の110番のような「ホットライン111番」が活用されている。ベトナム全国どこからでも24時間無料で掛けられ、人身取引につながりそうな誘いを受けた場合の相談や、被害に遭った人々からの相談などに対応。必要に応じて警察や病院、カウンセリングセンターなどへもつないでいる。
ベトナム北部の地方で暮らす少女が「(隣国で)いい給料の仕事があるから来ないか」という誘いを受け、「111番」に相談してきたこともあった。カウンセラーはそこに潜むリスクを説明し、少女は誘いを断った。予防体制によって命や尊厳、そして安全が守られた実例だ。
人身取引対策においては政府の関係省庁のほか、警察、病院、カウンセリングセンター、企業、NGOなど、その対策に関係するさまざまな組織が連係して分野横断的な取り組みを展開できる体制を構築することが重要だ。また人身取引被害者の大半は、女性や子どもをはじめとする社会的に弱い立場に置かれた人々だ。「人間の安全保障」という観点では、そうした人たちが被害に遭わないよう自ら危険を回避する能力を高め、被害を未然に防ぐための協力・アプローチが求められる。
JICAが協力し、ベトナムで稼働しているホットライン111番。売春目的や強制労働目的などの人身取引被害を防いだり、被害者を支援することが目的だ。
新型コロナという脅威にJICAはどう立ち向かうのか。「世界の命を守る」という決意表明と、その具体的な方策を語る北岡伸一理事長のメッセージ動画をユーチューブで配信中。ベトナムでの取り組みや予防、警戒、治療の内容についても紹介している。
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感染症の拡大防止はまず正しい手洗いから始まる。途上国での感染症の予防、健康の増進、公衆衛生の向上のため、JICAは「健康と命のための手洗い運動」を9月から開始。手洗いに象徴される衛生的な行動の習慣を身につけてもらうため、途上国で啓発キャンペーンを行っていく。
漫画家の井上きみどりさんによるオリジナル漫画ポスターや手洗いソングなどの啓発ツールを制作し、現地の言語に翻訳して活用してもらえるようにする。
また、洗い残しが特殊な光でチェックできる「手洗いチェッカー」などの貸し出しも行い、正しい手洗い方法を体得してもらうようにする。
さらに「JICA健康と命のための手洗い運動プラットフォーム」を設立し、感染症予防などに関する情報や経験を共有する。プラットフォームには民間企業や市民団体、大学、研究機関、衛生分野に関係する個人など、趣旨に賛同される方は誰でも無料で参加できる。
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国名:ベトナム社会主義共和国
通貨:ドン
人口:約9,467万人(2018年、越統計総局)
公用語:ベトナム語