2022年9月2日
母国シリアの状況を踏まえ、JISR研修員の多くはJISRプログラム終了後に日本で就職することを目指しています。その際にカギとなるのが、日本語力です。文化や習慣の差異を乗り越えてより良い人間関係を築き、将来日本とシリアの架け橋となるために、研修員は日々日本語の習得に力を入れています。
2022年7月29日、広島大学森戸国際高等教育学院にてJISR第5バッチ研修員10名が笑顔で修了証書を受け取りました。彼らは来日してから大学院入学までの8か月間、同大学での日本語研修に参加しており、晴れて全員揃って修了することができました。
彼らが過ごした8か月間を振り返ってみます。
日本語研修は、基本カリキュラムが平日5日間の授業(90分×3コマ)と、週2回の日本人学生とのチュータリングセッションからなる、文字通り日本語漬けの日々です。ひらがな・カタカナの習得からはじまり、漢字も少しずつ学んでいきました。アラビア文字と全く異なるため、とても新鮮な学びだったようです。漢字の学習には苦労していた様子もありましたが、宿泊先の部屋の壁に付箋に書いた沢山の漢字を貼って覚えようとしたり、漢字の成り立ちを想像し、絵から漢字を理解しようとしたり、各々工夫しながら取り組んでいました。来日前から独学で日本語学習を行ってきたAssafさんは、日本語特有のオノマトペ(様々な状態や動きなどを音で表現した言葉のこと)に興味を持ち、「ずかずか」が最近のお気に入りだそうです。
また、研修員によればアラブ文化では授業は大学でも1コマ50分程度のことが多いらしく、90分間集中して取り組むことは容易ではなかったようです。研修員の多くはムスリムのため、特にラマダン(注1)の時期は体力的にも苦戦していました。
しかし、大変なのは研修員だけではありません。8か月で日本語能力試験におけるN3レベル到達を目指す本研修は、日本語の先生方にとってもチャレンジングでした。1つのクラスで個性豊かな10名を指導いただくために、先生方は日々研修員の理解度や声(意見や要望等)に向き合いながら、使用するテキストや進める速さなどを何度も検討・調整され、粘り強く指導にあたってくださいました。日本語研修を終え、研修員A.Kさんは、「A先生はどうしても必要な時は英語を交えて解説してくれる。B先生はとても面白く教えてくれて、C先生はどんな質問をしてもいつも詳しくわかりやすく説明してくれた。とても感謝している。」と先生の指導を振り返ります。
チュータリングセッションでは、広島大学の学生さんが研修員とマンツーマンで、研修員のリクエストに応じて日常会話やニュース記事の読解などを手伝ってくださいました。7月末の修了式と成果発表会に参加されたチューターの学生さんは、8か月間の成長に驚いた様子でした。
(注1)ラマダンとは、イスラム教徒が断食を行う期間(約1か月間)を指し、日の出から日没まで飲食を断つ。ラマダン期間中は喧嘩や喫煙なども断つことで自身を清め、信仰心を深める。
はじめての日本での生活では、気分転換に街に繰り出してもわからないことだらけ。慣れるまでは、出かけるといってもスマホを手放せず、逐一調べながら買い物や移動をしていたと言います。それでも、チャレンジ精神旺盛な研修員たちは積極的に外出し、異文化を見つけては楽しんでいたようです。
Alfarkhさんはハラルフード(注2)を買いに行った際、店員Aさんに尋ねると、わからなかったAさんは他の日本人Bさんに尋ね、Bさんも困ってしまいCさんを呼び…気が付くとたくさんの人が協力してくれたことに気が付きました。みんなで親切に対応してくれた姿に、日本人の協調性や優しさを感じ嬉しかったと話しています。
また、自転車は路上駐輪してはならず駐輪場に停めるというルールや電車の遅延がめったにないことに驚き、買い物をすればプラスチックの過剰包装が気になり包装が多い経緯を調べるなど、刺激の多い日々になりました。時には呉や尾道を訪れ、雄大な自然に癒され日本語研修のための英気を養うこともありました。
広島で学べるという好機を生かし、広島平和記念資料館にも訪問しました。いまだ紛争に終わりが見えないシリア出身の彼らが、改めて平和を考える機会にも恵まれました。
(注2)イスラム教徒が食すことを許されている食品を指す。
日本語学習のプレッシャーを感じながらもさまざまな方に支えられて広島生活を充実させ、なんとか8か月を走り抜けた10名は、今夏、いよいよその成果を発表する修了式を迎えました。
修了式では、各人が選んだテーマについて10分間日本語でプレゼンテーションを行いました。彼らが選んだテーマは、タイトルだけでもとても興味深いものばかり。プラスチックの過剰包装や日本語の難しさの理由を考察するもの、シリアの美しい歴史を紹介するもの等々、日本人が彼らから学ぶことがたくさんで、時々聴衆の笑いを誘いながら、個性豊かに発表してくれました。
修了式が終盤に差し掛かった頃、少し会場の空気が変わった場面がありました。家族とともに来日したある研修員の発表の時です。やむなくシリアを離れた後も幼い頃に描いた夢を決して手放すこと無く日々を懸命に生きてきたこと、将来のシリア復興を担う人材育成を目指すJISRプログラムを知り日本留学を決意したこと、そして日本語研修やJISRプログラム、何より家族への深い感謝の気持ちを、時に声を詰まらせながら、堂々とした日本語で発表してくれました。日本では元気に生活しているJISR研修員ですが、母国を離れ生活を余儀なくされるという、我々の想像を絶する経験をしています。彼らにしかわからない苦労や悔しさが、彼らの人生を生き抜いていく力になっていることを、肌で感じさせてもらう機会になりました。これには思わず、参加者も涙してしまったのでした…。
感動的な発表が終わり、最後にこれまで指導された日本語の先生方からご挨拶をいただきました。「誰一人欠けることなく10名全員と今日また会えたことが一番うれしい」という先生の言葉の通り、全員でゴール出来たことはとても喜ばしいです。とはいえ、別れは寂しいものです。人懐っこい研修員を見守ってくださった先生方は、研修員にとっては母親のような存在だったかもしれません。もう授業がないと思うと寂しいが、次に会えるのを楽しみにしている、という先生方の言葉を、研修員は笑顔と切なさが混じる顔で真摯に受け止めていました。
研修員たちは、これから日本各地で大学院生活をスタートさせます。名残惜しいと寂しそうにする研修員もいましたが、彼らには、広島から応援してくださる心強い皆さんがいます。修了式後、ある研修員は進学後の進路について「まだ明確ではないけれど、日本語や専門知識を生かせることに加え、何より『好きなこと』を仕事にしたい!」と笑顔で語ってくれました。
言語はコミュニケーションのためのひとつのツールですが、日本語研修を通して、単なるコミュニケーションにとどまらない人と人との交流が生まれ、研修員のみならず周りの日本人も多くを学び、考え、感じることができました。母国では困難な状況が続いていても、前向きに日々を生きるJISR研修員たち。「日本語を習得したことはみなさんの人生の宝になると信じている」「ここからが本番。これまでの苦労と喜びを糧に、頑張って!」という先生方の熱い想いと期待を胸に、日本でのふるさと・広島から、10名の新しい挑戦がはじまります。