2022年9月16日
広島大学で学ぶサメールさんは、妻と3人の子供と一緒に3年前にJISRプログラムの留学生として来日しました。留学先を日本に決めた理由の一つは、子供の教育に最適だと考えたからでした。来日から3年経った今、サメールさんに来日当時のことを振り返ってもらいつつ、子供たちに将来の夢を聞いてみました!!
お子さんは兄妹3人。中学3年のヤヒア君、中学2年のマリアンちゃん、そして小学5年のララちゃんです。
今回のインタビューは、サメールさんのお宅にお邪魔して行いました。玄関を入ると、何だかいい匂いがします。サメールさんの奥さんのヘバさんが、シリアのスイーツを3種類も準備して待っていてくれました。
インタビューはこのおいしいスイーツを頬張りながら始まりました。
インタビューでは、こんな質問をしました。
(注)サメールさん家族は、内戦が起きた母国シリアから隣国レバノンに避難していました。
インタビューを通じて感じたことは、やはり、文化や習慣が異なる日本で生活することは一筋縄ではいかず大変だということ。でも、サメールさん一家はその大変さを受け入れつつ、一人一人が自分の将来の夢に向かって明るく頑張っている姿を見せてくれました。
では、サメールさん一家への質問の答えを順に紹介していきます!
サメールさん
当時、2つの留学プログラムに合格していました。1つは日本、もう1つはイギリスです。この2つの国を比べて日本を選びました。日本を選んだ理由は、日本のほうが子供たちに良い教育の機会を与えられると思ったからです。
来日前に住んでいたレバノンでは、建築会社でチーフエンジニアとして働いていたので、生活は比較的裕福で、子供たちはレベルの高い私立の学校に通っていました。ただ、レバノンは経済が不安定だったので、将来のことを考えると、今後も子供たちに良い教育を与えられるかが不安でした。だから日本への留学を決意しました。私たちの来日から1年後には、その不安は現実のものとなり、レバノンの経済は急激に悪化し、今はとても厳しい状況に陥っています。その意味では、レバノンから日本に来て、運よく「生き残れた」と感じています。
サメールさん
正直に言うと、子供が日本で教育を受けるということが、こんなに大変だとは思っていませんでした。来日前に、日本の教育については、かなり調べていました。そして、日本にはいろんな教育プログラムがあるということを知り楽しみにしていたのですが、来日してみると実際に子供が通学できるエリアに学校は一つだけで、まずこの点が想定外でした。そして、日本ではあまり英語が通じないため、私も学校の先生もお互いに言いたいことをうまく伝えられずとても大変な思いをしました。
子供たち全員
すごくビックリした!
ララちゃん
日本のことは全然知らなかったし、行くなんて思ってもみなかった。でも、新しい言葉を覚えたり、新しい友達を作ったりできると思って、すごく楽しみだった。
ヘバさん
日本は技術がとても発展している国で、ボタン一つで何でも自動でできてしまう国というイメージだった。
ヤヒア君
いろんな機能が付いているトイレのことはビデオで見たことがあったので、日本に来て実際にそれを見た時はうれしかった。
マリアンちゃん
想像していたのとは少し違ったかも。両親から日本はものすごいテクノロジーの国と聞いていたが、案外普通かなと思った。それから、日本はゴミがなくてきれいな国だなって思った。
サメールさん
子どもたちは来日して1年もすれば、日本語がわかるようになっていたかな。
ヘバさん
末っ子のララが一番早かった。やっぱり、言葉がうまくなる順番は小さい子から。半年もしないうちに日本語がわかるようになっていた。でも、漢字が一番できるのはお兄ちゃんのヤヒア。ヤヒアは漢字が好きで、先生からも漢字がよくできると褒められている。
ララちゃん
どっちも同じ。あまり違いは感じていない。
マリアンちゃん
日本の学校の方が科目がたくさんある。向こうの学校には音楽はなかった。
ヤヒア君
言葉の問題もあって、日本ではまだレバノンの時と同じようにたくさんの友達とつきあえてはいないかも。
ララちゃん
全部の学科。特に好きなのは、体育と図工。
マリアンちゃん
英語。日本に来る前から英語で授業を受けていたので得意。
ヤヒア君
体育と技術。技術にはコンピュータの授業があるし、本棚やラジオを作ったりもした。
サメールさん
日本社会に溶け込もうと思うと、日本人と同じよう考えたりふるまったりして、日本人のやり方に合わせる必要があると感じる場面が多い。日本人は優しいし、差別もないけれど、日本人と同じようにしないと、なかなか受け入れてもらえないことが大変。でも100%日本人になることは難しくて、やっぱりなかなかできない。だから、日本人と違っていても、その違いを受け入れて、自分たちのことも受け入れて欲しい。
マリアンちゃん
違いを受け入れるためには、もっといろんなものを見たり聞いたり体験したりする必要があると思う。ソーシャルメディアも日本のものばかり見るのではなくて、もっといろんな国のものを見たりするようになれば、もっと別の視点を持てるようになると思う。
ヘバさん
でも、若い世代ほど違いを受け入れられていると思う。だから時間が経てば、きっと少しずつ変わっていくと思う。
ララちゃん
私は学校に初めて行った日に、すごく歓迎されたのでバリアみたいなものは感じなかった。
ララちゃん
日本にも住みたいけれど、他の国にも行ってみたい。
ヤヒア君
レバノンに住んでいた時にはいろんなところに行ったけれど、日本ではまだどこにも行けていない。関東方面に行ければ、東京もあるし、富士山もあるから行ってみたい。
マリアンちゃん
東京には行ってみたいけど、忙しそうだし、すごく人が多くて混み合っているから住みたくはないかも。
ララちゃん
まだわからない!
マリアンちゃん
絵具を使うのが好きで美術が好きだから、イラストレーターとか、絵に関連する仕事につきたい。
ヤヒア君
プログラマーになりたい。そして、人気のあるゲームの会社の社長になりたい。
ヘバさん
自分の専門を生かして、建築家としての仕事がしたい。
サメールさん
自分のゴールは、子供たちが良い人生を送ること。子供たちが大学に入って自分の希望を叶えて欲しい。それが日本に来た目的。それが達成できれば、その後は自分の建築事務所を持つことが夢。
そして、いつかはシリアに戻りたい。今のシリアは戻れる状況ではないが、自分自身にもっと力をつけて、いつかその時が来たら、それまで日本で経験し学んだすべてをシリアに還元したい。
インタビューの中でサメールさん家族にも伝えたことですが、シリアに行ったことがある日本人は不思議なくらいに、みなシリアが好きになって帰ってきます。それはシリア人と日本人の相性の良さもあると思いますが、現地での日々の生活でシリア人の優しさや親切に触れるうちに、少しずつシリア人への親近感が増していくことが理由の一つのようです。今回のインタビューでも、サメールさん家族のホスピタリティに触れることができ、実体験を持ってこのエピソードに納得をすることができました。
シリアは現在も内戦が続いていて、シリアの人々は今もとても難しい状況を強いられています。だから、サメールさんと同じプログラムで来日できたシリアの研修員は、皆が口をそろえて、このプログラムが自分の人生を変えてくれたと言って感謝の言葉を口にしてくれます。でも、彼ら研修員を含め海外の人たちが日本に来ることは、私たち自身や日本社会の良い意味でのカルチャーショックになっていて、少しずつですが私たち自身のことも変えてくれています。
育ってきた環境、文化、慣習等で培われた考え方や価値観は、日本人と外国人では違っていて当たり前なので、ときには驚くこともあると思います。けれど、その違いを受入れ、楽しみ、そして良いところを取り入れてみたら、みなさんの身近にいる外国人のことをもっと理解できるようになって、きっともっと親しみが持てるようになるかもしれません。