2019年4月17日
障害者が社会へ出ようとすると、日本でもなお多くの障害が現れます。そうしたなか、失業率が全国で最も高く、一人当たりの県民所得も低い沖縄県で、障害者雇用率が全国平均を上回る状況が続いています。背景には、沖縄の心と、障害者たちの実践があるようです。そして今、沖縄出身で視覚障害のある照屋江美JICA専門家らがモンゴルの障害者を取り巻く状況を変えるために動いています。
照屋専門家(注)が関わっているのは、JICAが2016年から首都ウランバートル市などで進める障害者の社会参加促進プロジェクトです。
モンゴルは、障害者権利条約の批准や法律の制定・改正などに積極的です。しかし、ハードルは多く、「車いす用のスロープがあっても、登れないほど急なことも多い」(プロジェクトの千葉寿夫チーフアドバイザー)。また、プロジェクトが2018年3月に「障害者白書」を作成するまで、障害者の現状の把握・共有も十分ではありませんでした。
大きな課題の一つが、社会の意識改革。障害者自身も含め、障害者が合理的な配慮を受けながら社会の中で役割を果たしていくことや、何が社会参加に障害になるのかの具体的イメージがないこともその一因です。
そのため、照屋専門家は、社会の中にある障害を見つけ出し、それを乗り越える方法を考える「障害平等研修」を重ねるとともに、モンゴルの障害者をその研修のファシリテーターとして育成しています。
照屋専門家は、高校生のとき、インドネシアからのJICA研修員が自宅に滞在したことをきっかけに、「海外の人の役に立つ仕事をしたい」と、1996年、JICAで働き始めました。JICA沖縄で研修員の受け入れを担当していたとき、同じ沖縄出身で、障害がありながら長年、障害者の権利を守る活動を続けてきた高嶺豊さんが、国連アジア太平洋経済社会委員会での障害者問題担当官の任務を終え、帰郷することを耳にしました。そして、「障害分野の研修を沖縄で立ち上げたい」と相談しました。
高嶺さんが立ち上げた、NPOエンパワメント沖縄とJICAは2009年から課題別研修「地域に根差した就労支援による障害者の経済的エンパワメント」を始めました。2011年には高嶺さんらエンパワメント沖縄の3人と照屋職員(当時)がヨルダンでセミナーや巡回指導を実施。その後、受け入れは拡大し、「障害分野の研修と言えば沖縄」と評価が定着しました。
プロジェクトを進めながら照屋専門家は「沖縄の障害分野の発展のプロセスをモンゴルの人たちに伝えたい」と考えるようになりました。
例えば、「全国でも画期的」と評価されている、「沖縄県障害のある人もない人も共に暮らしやすい社会づくり条例」ができるプロセスです。障害当事者らが2008年、「自分たちの力で、障害者権利条約の水準を満たした条例を制定させること」を目指して、活動を開始。県内を縦断行進する「うちなーTRY」などを通じて、3万人以上の書名を集め、その後、県と障害当事者が一緒に条例案をまとめました。高嶺さんも活動のリーダーの1人でした。
今年1月下旬から沖縄で2週間続いた研修は、照屋専門家や高嶺さんらの思いが詰まった内容でした。初日、高嶺さんは、モンゴルの障害者リーダーや行政関係者に、こう話しました。
「私が受傷した当時は、学校に通うことさえ困難でした。この50年、世界も日本もかなり進化しました。大切なことは、障害当事者の働き掛け。皆さんが帰国後にアクションを起こせば、モンゴルは速いスピードで変わりますよ」
研修員たちは、障害者の就労をサポートする機関・事業所もいくつも訪問しました。パンや野菜、キーホルダーなどを企業に販売する大規模作業所「そてつ」では、品質管理や利用者の役割分担を重視して利益を上げていることに驚きました。
研修中、研修員の車いすがタクシーのトランクに収まらないことがありました。研修員は「乗車を断られるかも」と思いましたが、乗務員がひもをみつけてきて固定し、降りるとき、「このひも、また使うでしょうから」と渡してくれました。
照屋専門家は「障害者の社会参加を進めるには、権利を求めるだけでなく、社会の一員としての責任を果たすことが大切です。モンゴルの障害者の能力強化のために、日々厳しい指導をしていますが、"You(あなた方)"ではなく、"We(私たち)"と語ることで、思いが伝わっていると思います」と、障害当事者がプロジェクトに関わる意味を説明します。
そして、「環境整備と障害者のエンパワメントが車の両輪となって前進すれば、障害者の自立が一層進むと思います。ロールモデルの役割を果たしながら、今後も啓発活動に取り組んでいきたい」と話しています。
(注)照屋専門家は1996年にJICA入構。2016年よりJICA専門家としてモンゴルに派遣中。