緒方理事長、南アフリカを訪問-企業とも連携して人材育成を強化-

2010年5月14日

4月27から5月1日まで、緒方貞子JICA理事長は、サッカー・ワールドカップ開催を6月に控え世界の注目を集める南アフリカ共和国を訪問しました。

【画像】

首都プレトリア郊外にあるツワネ工科大学を訪問した理事長。左は岡田総太郎・日立ヨーロッパ・ヨハネスブルク支店長

南アフリカに対してJICAは、人材育成・産業振興のほか、中進国として同国が展開する周辺国への支援活動を援助する一方、国内格差の解消を目指し、医療分野やコミュニティ開発支援を通じて、国民の多数を占める貧困層への支援を進めています。

フラビン・ゴーダン財務大臣、ダボ・ムベキ元大統領、ボビー・ゴッドセル前南アフリカ電力公社総裁ら、政財界を代表する要人と面談した緒方理事長は、南アフリカの開発課題の柱は「人材育成」であるということを再確認しました。

ゴーダン大臣は「初等・中等教育については、就学率が9割を超える水準までに達したが、その先の専門学校や大学レベルの教育を享受できる層は、まだ限られる。質の高い労働者を提供できないことによって経済の停滞を招く危険もあると危惧している」と述べ、ムベキ元大統領は「初等・中等教育の就学率は向上しているが、残念ながら教員の質は高いとはいえない。教員の質の向上も克服すべき問題の一つだ」と、人材育成面の問題点について述べました。

また、「アパルトヘイトの終焉から16年間に大きな進歩があったが、一人ひとりの国民がどのように進歩を実感できるかが問われる。それには働きたい人が仕事を見つけられる状態、つまり、失業率を改善する必要がある」というゴッドセル前総裁に対し、理事長は、「失業率低下には雇用の創出だけでなくスキルを持った労働者の育成が必要。JICAは基礎教育や職業訓練などの分野で地道な協力を行ってきた」と答えました。前総裁はこれを受け、「わが国は車を組み立てて輸出する技術や農産加工品を輸出する技術を持っているが、こうした一部の高い技術力と技術を持たない失業者のギャップをいかに埋めるかが課題だ。この分野に関しては、JICAをはじめとする海外からの援助がいまだ必要だ」と、産業界の立場から国際的支援の必要性に言及しました。

【画像】

石炭の燃焼効率について講義するHitachi Power Africa Pty Ltd.の南アフリカ人エンジニア

緒方理事長は、4月29日に「人材育成」協力の現場であるツワネ工科大学を訪問。2007年から同国科学技術省に派遣中のJICA専門家が、同大と南アフリカに進出している日本企業を結び付けて企画した研修を視察しました。内容は、同大学の30〜40人の学生を対象にした10日間程度の集中講義で、日本企業の現役エンジニアが講師を務め、自社工場など、現場での研修も実施します。理事長訪問時は、日立グループ会社の南アフリカ人エンジニアが講義を行っていました。

【画像】

講義に聞き入る学生たち

アパルトヘイト時代、黒人は高等教育を受けることが難しく、受けられたとしても資格を持たない教師から理数科教育を受けることを余儀なくされており、理工学系の教育が遅れていました。黒人学生の多いツワネ工科大学でのJICAの試みは、南アフリカ政府からも高い評価を得ています。

【画像】

協力隊員との面談を終えて。前列右から緒方理事長、岡田大臣、小澤俊朗駐南アフリカ日本大使、中村俊之JICA南アフリカ事務所長

訪問最終日となる5月1日には、同国を訪問中の岡田克也外務大臣と共に、現地派遣中の青年海外協力隊員8人と面談しました。大臣は、職業訓練校や小学校、科学館など、教育関係機関で活動する協力隊員の話を聞き、「こうした体験を、帰国後、教育現場で広く伝えていってほしい」と彼らを激励しました。

なお、理事長は、4月27日、同国への支援活動に功績のあった外国人に贈られるO.R.タンボ勲章(注)を、他の5人と共に受賞。国連難民高等弁務官時代のアパルトヘイト根絶への支援とともに、アパルトヘイト撤廃後の南アフリカにおける16年間にわたるJICA事業への評価を反映しての受賞でした。

訪問を終えた理事長は、「現在の南アフリカが抱える最大の問題は新たな格差の誕生である。一部の豊かな黒人層が誕生する一方で、貧しい白人層も生まれている。また、失業中の黒人青年層も増加している。JICAは従来の黒人層に焦点を当てた人材育成面の協力を拡大し、同国に進出している日系企業との連携をさらに進めていく必要がある」との見解を述べました。

(注)オリバー・レジナルド・タンボ(Oliver Reginald Tambo)は、南アフリカの政治家で反アパルトヘイトのリーダーの一人。2006年、南アフリカ共和国政府は、同氏の功績を讃えて、ヨハネスブルグ国際空港を「オリバー・タンボ国際空港」と改称した。