パキスタンは、原綿で戦後日本を救いました

現在、日本においてパキスタンが「ビジネス」の分野で話題になることは、正直言って決して多くはありません。

私も今回パキスタンを初めて訪れるまでは、
ビジネスに関するどんな取材ができるだろうか、
いささか疑問に思っていました。

けれども、疑問はいい意味で裏切られました。

かつても、そしていまも、パキスタンは日本と深いつながりを
ビジネスの分野で持っていたのです。
いや、それどころではありません。 戦後の日本の高度成長期は、
パキスタンに支えられていた部分がとても大きかったのです。

第二次世界大戦後、戦敗国となり、
何もかも失った日本が復興の足がかりとしたのは、繊維産業でした。

ただし、繊維産業には原料が必要です。毛糸や原綿や生糸です。
戦後日本を救ったのは、1949年、どの国よりも早く日本への原綿輸出を
解禁したパキスタンだったのです。

パキスタンの地理

パキスタンの中心を流れるインダス川流域は
世界最古の原綿の生産地のひとつとして知られています。
古代から英国領となった近代まで、パキスタンは世界屈指の
原綿生産地でした。現在も生産量は世界4位を誇ります。

1947年イギリスより独立したパキスタンから、
戦争に敗れたばかりの日本は原綿を調達することが可能になりました。
敗戦国であった日本は戦後賠償などの問題から、 中国、香港、
東南アジア諸国とビジネスをするのが大変難しい状況でしたが、
パキスタンは、日本との貿易に障害がありませんでした。
結果、日本の繊維産業は内需と外需、両方の市場拡大と
期を一にするように成長し、日本は一気に高度成長の
波に乗ることができたのです。

今回取材をした三菱商事パキスタン総代表・安藤公秀さんに
うかがったところ、総合商社の世界では、
1950年代から60年代にかけて、パキスタンの中心都市カラチが
ニューヨークをも超える世界屈指の「花形職場」だったそうです。

日本の総合商社は財閥系を除くとその大半のルーツが繊維商社です。
かつてのトーメンやニチメンなどは、社名に「綿」の字が
入っているほどです。
パキスタンは、日本の戦後経済の隠れた立役者だったのです。

パキスタンの自動車がほぼ日本車製である理由

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