パキスタンの自動車が ほぼ日本車製である理由

その後、日本経済は軽工業から重工業に移り、
繊維産業の地位が相対的に低下すると、
パキスタンとの原綿の取引も下がっていきます。
半製品(糸、綿布)、完成品の輸入にシフトする一方、
日本は繊維機械を輸出、日本工業化に一役買ったといえます。

けれども今度は、その重工業の海外進出の足がかりのひとつが
パキスタンとなりました。他ならぬ自動車産業です。

パキスタンは英国領だったため、
世界では数少ない日本と同じ左側通行の国です。
実は左側通行の国で自動車産業が発達したのは、
英国と日本しかありません。
しかも英国の自動車産業は60年代後半から没落する一方でした。
日本には、世界の左側通行の国の「右ハンドル車」の潜在需要を
一気に獲得するチャンスが巡ってきたのです。

最初に大きな賭けにでたのはスズキでした。
1958年、パキスタンにバイクの現地工場、
1975年には自動車の工場を設立、
1982年にはパキスタン自動車公団と
パック・スズキ・モーター社を設立しました。

また本田技研工業の本田宗一郎さんは、
1964年、パキスタンの財閥アトラスグループと提携し、
合弁会社のアトラスホンダを設立、バイクの現地工場を作りました。

トヨタ自動車は1989年、ハビブ財閥とインダス・モーター社を設立、
現地でカローラの生産を開始しました。

かつての日産ディーゼル、現在のUDトラックは1985年に
ガンダーラ・ニッサンディーゼルを現地に設立、
トラックの現地生産をスタートします。

日野自動車は1986年に日野バックモーターズを設立、
現地でトラックを生産しています。

また、2014年現在、それまで合弁会社でバイクを現地生産していた
ヤマハ発動機が100%自社資本で二輪車工場を準備中です。

そう、日本の名だたる自動車メーカーが80年代以降、
こぞって進出した国のひとつがパキスタンだったのです。

結果、パキスタンの日本車比率はすさまじいものがあります。

なんと95%。
日本での比率が92%程度ですから、もしかすると、
世界で一番日本車に出合う確率が高い国かもしれません。
新車の販売シェアでも95%です。私も今回の取材では、
ホテルに停まっていた大使館関係と思われるドイツ車と、
試乗をさせてもらったBMW X5の防弾車を除くと、
日本車以外にお目にかかることはありませんでした。

日本の戦後を救った繊維産業。
80年代、輸出産業として躍進した自動車産業。
それぞれの産業にパキスタンは大きくかかわっていたのです。

とはいうものの、それはあくまで過去の話ではないか、
という意見もあるかもしれません。
そこで今のパキスタンの投資環境を眺めてみましょう。

パキスタンの人口は、約1億9000万人弱、現在世界6位です。
2016年には2億人を超えるとの予測もあります。
24歳以下が57%、平均年齢はなんと22歳前後と大変若い国です。

豊富で若い人口に加え、パキスタンはインダス川沿いでコメ、麦、
メイズなどを生産し、穀類の食料自給率は100%を超えています。
このため人件費は上昇傾向にあるものの、世界の相場からすれば、
相対的に安く、工業生産には打ってつけの環境です。

同時にこの巨大な人口は、そのまま未来の消費市場でもあります。

さらにいえば、パキスタンはイスラムの教えに則ったハラル食品を
生産し、16億人のイスラム市場向けに輸出するに最適な場所にあります。
中東とは地続きで、アフリカもインド洋を挟んで
比較的近い距離にあります。

現在、パキスタンには、日本企業の出資のある在パ企業が
70拠点近くあります。

自動車産業の進展ぶりと、パキスタンの消費市場を
開拓する試みとを取材しました。

スズキは日本同様ディーラーで大サービス

Pakistan Business

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