アジアのAECは、ヨーロッパのEUと同じ?

さて、あなたは、ASEANが経済共同体(AEC)をつくると聞いて、お気づきになったことでしょう。すでに、似ている共同体があるな、と。

そう、欧州連合(EU)です。

もともと、第2次世界大戦後、フランスとドイツの石炭・鉄鋼産業の共同運営から始まり、1958年に当時の西側6カ国で欧州経済共同体(EEC)が誕生します。そして67年、欧州共同体(EC)となり、年を追うごとに西側諸国のほとんどが加盟するようになりました。

当時は東西冷戦のまっただ中。ECは、西側諸国の北大西洋条約機構(NATO)と同様、共産主義の東欧8カ国で構成されるワルシャワ条約機構と対抗する組織でもありました。それが89年のベルリンの壁崩壊と91年のソ連崩壊に伴い、ヨーロッパの共産圏は事実上消え、東欧諸国が一斉に西側になだれ込んだ結果、ヨーロッパは1つになり、現在のEUが92年にでき、99年には統合通貨ユーロが流通するまでになりました。

ASEANの誕生の経緯には、かつてのEECやECと似た側面があります。

1960年代から70年代そして80年代にかけて、東南アジアでは、ベトナム戦争が起きて共産主義の北ベトナムが南を圧倒し、ラオスやカンボジアでも共産主義の旗が掲げられ、ビルマは軍事政権が制圧しました。ASEANは、東南アジア地域の共産化を止める、という政治的ミッションを有し、東南アジアの自由主義諸国により1967年に発足しました。

ところが、ここがヨーロッパと異なり、ある意味でアジアのおおらかでいい加減で実質主義的な面でもあるのですが、ベトナム、ラオスといった、かつて共産主義が勝利を収めた国が、政治体制は変えずに市場を開放し始めたのです。政治は共産主義でも、経済面では資本主義市場経済を導入したわけですね。

ポル・ポト政権崩壊後、ずっと内戦状態にあったカンボジアも90年代初めに国内和平が成立し、自由主義と市場経済原理の導入が進みました。軍事政権だったミャンマーも含め、政治体制の異なるインドシナの4カ国が90年代後半にASEANに加盟しました。政治体制は共産主義や軍事政権であるにもかかわらず、ASEANに加盟することが承認されたのです。

これは、政治体制の異同ではなく、「地域」というくくりでの外交の重要性、経済活動のつながりの重要性が認識され、ASEANの発足当初の目的が大きく変化したからです。

今回のAECは、かつてのヨーロッパにおけるEECの段階といえるでしょう。共通通貨「エイシアン」(仮称)ができるまでにはまだまだ道のりは長いでしょうが、東南アジアが1つの市場として動き出すのは間違いありません。