ミャンマー編 アウン・サン・スー・チーさんを幽閉してきた軍事政権国家が、5000万人消費市場に変わるとき

ベトナム・ホーチミン市を起点に、カンボジア・プノンペン、タイ・バンコクを経てきた南部経済回廊を巡る1200キロの旅。いよいよ、最後の国、ミャンマーに入ります。

ミャンマー。かつてビルマと呼ばれたこの国は、つい最近まで軍事政権による圧政により、国民の自由と経済が著しく制限されてきました。

ミャンマーの現代史は混乱に満ちています。

王政だった19世紀、アジアに進出したイギリスと何度も戦争をした揚げ句、1886年にイギリスの植民地となります。対英独立運動が起こり、アウン・サン将軍らが日本軍と共闘し、1943年にビルマ国を建国。その後今度は戦時中の日本と戦い、再びイギリス領になり、アウン・サン将軍が暗殺され、48年に改めてビルマ連邦として独立します。

独立してからも何度も軍事クーデターが起き、89年には民主化を求める国民民主連盟(NLD)を率いるリーダー、アウン・サン・スー・チーさんが自宅軟禁されます。いうまでもないことですが、彼女はアウン・サン将軍の娘です。このとき軍政は、ビルマ連邦の名を捨て、ミャンマー連邦に国名が変わりました。以後、軍政下のミャンマーでは、国民は自由を制限されるようになり、外国との交流も滞り、経済も停滞期を迎えます。

2007年には反政府デモを取材していたジャーナリストの長井健司さんが軍兵士によって射殺されます。至近距離からの射殺だったため、政府による命令だったのでは、という見方もあります。

1997年、ASEANには参加したものの、つい最近までミャンマーは、自由とは程遠い国でした。それが2007年、テイン・セイン氏が首相となってから風向きが変わります。2010年にはアウン・サン・スー・チーさんを自宅軟禁状態から解放。2011年には、テイン・セイン氏が大統領に就任、ついに軍政が終わります。ちなみに、今回の取材時(2015年10月)は、総選挙戦の真っただ中。11月には選挙があり、スー・チーさん率いるNLDが圧勝しました。

長年外国に門戸が開かれていなかったミャンマーですが、2011年を境に外国企業の投資対象になります。同国は「アジア最後のフロンティア」であり、先行するアジア各国の労働コストが高騰する中、工場の進出先として有望、と見なされるようになりました。

そしていま、国際協力により、南部経済回廊がタイから延びてミャンマーの海沿いの街ダウェーにつながろうとしています。

このルートが整備されると、ミャンマーはすでに発達しているタイの経済と直結します。安価な労働力を背景とした工場進出の場として、手付かずの5000万人消費市場として、ミャンマーはさらに世界中の注目を集めることになるでしょう。

ミャンマーへとつながる南部経済回廊はまだ整備が終わっていません。

そこで今回は、ミャンマー最大の都市ヤンゴンを取材します。ヤンゴンは、かつてラングーンと呼ばれていました。ヤンゴンには、2011年以降の経済開放に伴って経済特区ができ、日本企業を含む外国企業を誘致し、近代化に努めています。

これまでミャンマーには2回取材で訪れていますが、今回は残念ながら私自身は立ち寄れませんでした。そこで編集チームの取材内容をまとめます。

本章の最後には、今回の取材を総括した「ASEANの未来について」も記します。

では、黄金の寺院が建つヤンゴンの街に降り立ちましょう。