おわりに 日本の歴史をたどればASEANの未来が読めてくる

ベトナム、カンボジア、タイ、そしてミャンマー、以上ASEAN4カ国の南部を結ぶ幹線道路「南部経済回廊」1200キロ。

私自身は、ベトナム・ホーチミン市を起点に、カンボジア・プノンペン、タイ・バンコクまでの900キロを車を乗り継ぎ5日間で走破しました。バンコクからミャンマー南部、海沿いの都市ダウェーまでの300キロは、国境を越えるルートが未整備のために今回は行き着くことができませんでしたが、取材チームは空路でミャンマーのヤンゴンに向かい、市場開放間もない同国で取材を重ねてきました。

今回取材した4カ国、経済面ではかなりの差があることが一目瞭然です。それぞれの国の空気を日本の現代史になぞらえてみるとこんな具合になります。

ベトナムは、主要都市ホーチミン市の中心部から郊外に伸びる鉄道が開発され、高層ビルが続々と建ち並び、夜中までダウンタウンは若者たちでにぎわっていました。日本の現代史と比較すれば、ちょうど1970年代くらい、高度成長期の最初のピークが訪れたときと同じような感じでしょうか。

カンボジアは、首都プノンペンから一歩出ると、まだ未舗装路が残っており、さらに郊外に出ればかつてポル・ポト派が席巻した頃にあちこちにしかけられた地雷が眠っている始末。そんな紛争の遺物の処理に奔走しながらも、一方でイオンモールには週末になるとおめかしした家族がおしよせる様は、戦後混乱期を抜け出てこれから経済成長しようという1950年代の日本を見るようです。

カンボジアからタイに入国したとき、日本に戻ってきたような安心感と既視感がありました。それだけタイは成熟しつつあるわけです。首都バンコクは東京と同様、世界を代表する巨大都市の貫禄を有しています。唯一の弱点だった交通渋滞も、今回取材したパープルラインをはじめ、多様な鉄道網の整備で改善されつつあります。夜のバンコクの熱気は日本の1980年代終わりから90年代初めのバブル景気の時代を思い起こさせます。

今回、私自身は訪れる機会がなかったミャンマーですが、ほんの数年前まで軍政で自由のない国というイメージだったのが、新車に近い日本車がたくさん走り、主要都市ヤンゴンの郊外に、世界中の企業が進出する工業団地がオープン。アウン・サン・スー・チー率いる国民民主同盟(NLD)が総選挙で圧勝するなど、一気に近代化にかじを切った様を取材チームが伝えてくれました。日本でいうと戦後復興最中の1940年代終わりから50年代初めの空気と、高度成長期にドライブがかかった1950年代終わりから60年代の空気が混じっているようです。

このように、ASEAN4カ国は、経済成長の段階でいうとばらばらです。けれども、そのばらばらの国々がAECの発足と南部経済回廊の整備により、経済的に1つの地域になる。

私は、政治以上に経済がまず1つになることが重要だ、と考えています。地域の一体化は、政治より経済から先に始まるものです。ヨーロッパがそうでしたね。まず経済共同体としてのEECができ、それがECとなり、そのあとに東西冷戦が終結し、最後にEUとなって共通通貨ができ、域内の移動が自由になった。

経済が1つになると、歴史的には互いに争っていた過去があったとしても、政治体制が現在でも異なっても、域内紛争は起こりにくくなります。人間、まずは経済あっての生き物だからです。

すでにカンボジアはタイやベトナムの下請け工場となり、それぞれの国に域内移動で生産品を供与し、タイやベトナムはその生産品を部品として使い、製品を生産して、輸出産業としています。遅れてきたミャンマーも、同様のつながりをタイに求めている。ビジネスでのつながりができあがると、国同士の諍(いさか)いは必然的に減ります。AECの発足は、ASEANにとって、経済的な効果だけでなく、政治的安定も生み出すわけですね。

南部経済回廊でつながろうというASEAN4カ国に日本ができること、さらに2015年12月31日にAECが発足したASEAN全体に日本ができることは、いったいなんでしょう?

今回の取材で特に印象に残ったのは、ベトナムとタイの都市交通としての鉄道開発です。注目したいのは、ハードとしての鉄道もさることながら、鉄道を巡る新しいビジネスです。

たとえば、鉄道の発達と鉄道通勤によって人々の知的環境は大きく変わります。

バイクや自動車や自転車に乗りながらでは「ながら読み」はできません。電車に乗ると新聞を読んだり、本を開いたり、スマホでWebにアクセスしたり、電車広告を見たりという具合に、日本でもそうですが、圧倒的にメディア摂取量が増えます。

通勤電車はサラリーマンにとってメディアインフラでもあるのです。こうしたメディアビジネスはもちろん、鉄道の駅を核とした都市開発など、日本には鉄道関係のビジネスにはとても豊かな経験があります。実際、ベトナムとタイでは、日本の鉄道インフラの整備技術が実に有効に活用されている様をこの目で見ることができました。

鉄道本体のみならず、鉄道がもたらすさまざまなビジネス。東南アジアにおけるその誕生と成長に日本が寄与できることはたくさんあるはずです。

今回の取材で個人的にとりわけ感慨深かったのは、カンボジア西部の都市バッタンバンに宿泊したことです。

バッタンバン。ここはかつてポル・ポト派とヘン・サムリン政権との激戦の場所でした。そしてポル・ポトの反文明的な政策により、開発から取り残されたところ、それがバッタンバンの、そしてカンボジアの地方のイメージでした。

今回自動車でカンボジア国内を移動したことで、経済が社会を再生しているんだ、ということをつくづく実感しました。首都プノンペンが急速に都会化していたのは想定内だったのですが、バッタンバンの元気の良さに目を見張りました。ああ、人間ってこんなにもたくましいのかと。

カンボジアのバッタンバンという内戦でめちゃくちゃになった街の再生ぶりが、今回のASEAN4カ国の未来を良い意味で象徴しているのでは、と思った次第です。いろいろな困難はあるだろうけれど、4つの国々の人々はビジネスを通して、新しい経済を、社会を創っていこう、という気概を持ち、すでに実行している。

それは、まさに戦後70年を迎え、日本がこれまで歩んできた道でもあります。ベトナムが、カンボジアが、タイが、そしてミャンマーが、どんな未来を築くのか。いつか整備が完了した南部経済回廊を改めて取材し、皆さんにお伝えしたい、と思っています。