この夏、私はアフリカのスーダンとウガンダを訪れました。連載第2弾は、スーダンで取材した紛争後の「復興支援」の現状と未来についてです。

 スーダンは何十年もの間、国内紛争に悩まされてきました。これまでに200万人以上の国民が紛争で亡くなったといわれています。80年代以降は、紛争問題が原因で、日本を含め先進国からの援助も事実上ストップし、スーダンの平和と近代化の針はずっと止まったままでした。
 2005年、スーダン南部での紛争に終止符が打たれ、和平協定が成立しました。平和と近代化の針がこのときから再び動き始め、国連機関や世界各国の援助機関、NGOらが荒れ果てたスーダンの再生の手伝いを始めました。
 今回、お話をおうかがいするJICA(国際協力機構)の宍戸健一スーダン事務所長は、2年前からスーダンに赴任され、JICAの協力の陣頭指揮をとってきました。それまでガーナでも国際協力をされてきたアフリカ支援の経験者でもあります。
 復興支援、とはどんな仕事なのでしょうか?
 長い間戦闘についていた兵士たちを故郷に戻し、職業訓練や学校教育を受けさせ、武器を持つ手を仕事をする手に変え、社会を平和なかたちで再生する主人公にしていくための手伝いの仕事です。
 スーダンの現地を実際に歩いてつくづく感じたのは、復興支援の仕事には、今回この連載で紹介する国際協力の仕事すべてが含まれている、ということでした。
 なぜならば、それは人と社会とを戦闘状態から平和な状態に戻す、という大事業だからです。
 戦闘しかしたことのない人たちに、まずは仕事の基本や読み書きそろばんを「教育」する。そのために必要な学校施設や教育カリキュラムを作り直す。人々の健康を保つため、病院を設置し、医療従事者を育てる。お母さんが安全にお産をし、子供を育てられるように母子保健の仕組みを作り上げる。人と社会の生命線である、水の供給体制をつくる。農業を復興して、食料事情を改善させる。そして、国の持つ資源を生かした経済を新たに立ち上げる……。
 気の遠くなるような話です。でも、考えてみてください。第二次世界大戦に敗れた直後の日本は、教育などのソフト面での蓄積はあったものの、ハードやインフラに関しては、いまのスーダンとさほど変わらぬ状態だったのです。そんな状態から先進国になった日本の経験は、今のスーダンに知恵と勇気を与えてくれるはずです。
 スーダンでの宍戸さんたち国際協力の専門家のお話を聞けば、あなたも国際協力の真髄をより深く理解できるようになると思います。
 では、さっそく宍戸さんのお話をうかがってみましょう。

スーダンは紛争で疲れ切った国 南北和解を期に、人々が平和を実感できる「土台」をつくろう

青ナイル流域のセンナール州の村にて
木陰でなごむ子供たち

池上日本は今、スーダンでさまざまな国際協力を行っていますね。今回、実際に現地を取材してそれがよくわかりました。病院、母子保健、水、教育、農業、経済開発、そして復興支援、これだけ多様な協力が必要だということは、スーダンという国が大変な状態にある、ということの証明でもあります。
 あらためて、スーダンという国の現状について教えてください。

宍戸スーダン、というと「紛争」というイメージが強いかと思います。実際、スーダンは、1956年にイギリスとエジプトから独立して以来、3つの大きな紛争を抱えてきました。
 スーダン北部と南部とが対立した「南部紛争」(1983〜2005年)。もうひとつが、スーダン西部で2つの反政府勢力が政府軍と起こして今も継続中の「ダルフール紛争」(2003年〜)。さらにスーダン東部で起きた「東部紛争」(2005〜2006年)。中でも南部紛争は、第二次世界大戦以降では最多の、およそ200万人の国民が亡くなったとされています。
 なぜスーダンでは、こんなに長い間、紛争が続いてきたのでしょうか。
 それは広い国土に多様な民族が住み、多くの国と国境を接するという、きわめて複雑な政治状況を抱えた国だからです。
 スーダンは、日本の国土の7倍もの面積があり、アフリカでは最大の国です。ゆえにさまざまな民族が暮らしています。宗教も北部では主にイスラム教、南部ではキリスト教と分かれている。国境を接している国も多い。北から左周りに、エジプト、リビア、チャド、中央アフリカ、コンゴ民主共和国、ウガンダ、ケニア、エチオピア、エリトリアと9つの国と国境を接しています。スーダンの紛争は多くの場合、隣国と深く関係しており、スーダンの難民が隣国に避難したり、逆に隣国の難民がスーダンにも流入しています。
 誕生からわずか50年の国にとって、あまりに政治的課題が多い。経済的な成長を果たす前に、こうした問題が火種となってスーダンの国情は不安定なままでした。さらに最近では、ダルフール紛争がメディアで盛んに取り上げられるようになり、スーダンは紛争が多発し、危険な国だ、というイメージがよけいに強くなっています。
 紛争があること自体は事実ですが、実際に暮らしてみると、スーダンの人々の多くは、温和で真面目で親しみやすく、スーダンの大半の地域では、人々が平和に暮らしていることがわかります。

池上足を運んでみないとわからないものですね。今回スーダン北部のセンナール州の村を取材して、スーダンの人々の穏やかな暮らしぶりにびっくりしました。モノやカネはないけれど、非常に豊かな時間を過ごしている。ダルフールの紛争のイメージが強かっただけに、新鮮な体験でした。
 ただし、紛争続きで長い間、スーダンは開発援助の対象から外れていたそうですね。北部の首都ハルツームのイブン・シーナ病院では、1983年に日本が供与したさまざまな機器がいまだに現役で活躍していました。ところが93年1月から日本のODAも停止してしまいました。長い間、時計の針がストップしていたわけです。
 それが最近になって、再び、多くの日本の専門家やボランティアの方たちがスーダンで活躍されている。
 何が変わったのですか?

2011年、スーダンは南北2つの国になる? 石油資源の取り合いより平和な生活を求めて

南部の中心都市ジュバを歩く池上氏。
ナイル川沿いの民家の裏に、打ち捨てられた戦車が。

宍戸2005年に、一番大きな紛争である「南部紛争」が、スーダン政府と南部の反政府勢力の間で和平協定が結ばれたことにより区切りがつき、国際社会は援助を再開しました。
 スーダン南部は、1956年の独立以来、現在までに実に50年前後紛争に悩まされていました。それが2005年の南北政府の和平協定調印により、長い南部紛争にようやく終止符を打つことができました。この協定により、南部には暫定政府が設立され、2010年にはスーダン国内で大統領選挙と総選挙が行われ、さらに2011年には、南部の独立を問う住民投票が行われる予定です。

池上2011年には、スーダンは南北2つの国に分かれる、ということですか?

宍戸最近の調査では、南部の人たちは独立を選ぶ人が多いとのことですので、南部が独立し、新しい国が誕生する可能性もあります。ただ、問題は、南部の人たちがどちらの道を選んだとしても、平和が定着し、人々が安心して暮らせるようにならなくてはなりません。
 国際社会では、スーダンをちゃんと援助して、二度と紛争が起きないよう、それぞれの人々が平和に暮らせるように援助していこう、というコンセンサスができました。日本も国際社会の一員として、スーダンの北部と南部に支援体制を築き、さまざまな援助を行っています。
 スーダンは、長い紛争で疲れ切った状態です。しかもその間、先進国からの援助も事実上ストップしていた。私たちは、『国家の安全保障』に対して、『人間の安全保障』と呼びますが、国家は存続していてもそのに住む人たちの生活が恐怖に脅かされています。まずは、スーダンの人々が、平和を実感できる社会の「土台」作りの手助けから始めなければならないと思います。
 これまでの途上国への日本の国際協力は、多くの場合、治安そのものは比較的安定していて、平和な状態ではあるけれど、開発を必要としている国に対して、中長期的視点に立ち、現地に専門家を派遣して行う、というのが基本でした。
 けれどもスーダンの場合、和平協定直後の紛争処理の段階から、「復興支援」を行い、人々が平和に仕事についたり、生活できたりするような状態に社会を持っていくための緊急で積極的な援助が必要でした。

池上和平協定がせっかく結ばれて、紛争がいったんストップしても、ちっとも暮らしがよくならない、という不満が国民の間に溜まっていくと、また紛争が再発する恐れもあるということですね。

宍戸よく「平和の配当」という言葉を使うのですが、紛争が終わってよかった、平和になってちゃんと生活できるようになった、という実感を国民に持ってもらわなければ、人々は銃を手放しませんし、ちょっとしたことで紛争に逆戻りしますので、とても経済成長はできません。
 近年、スーダンでは、石油資源の存在が注目を浴びています。1999年からは石油輸出国となり、外貨の多くを稼ぎ出していますし、日本もスーダンの石油を輸入しています。サハラ砂漠以南のアフリカでは、第3位の産油国なのです。
 この石油収入が、南北スーダンの復興にも大きな役割を果たしているのですが、これらの石油資源は、南北の境界線付近に集中しており、仮に南部スーダンが独立する場合には、この取り扱いが非常に大きな問題になります。現在の南北政府間の一番の政治問題でもあります。
 国際社会の役割は、この石油資源取り分を巡って、再び紛争に戻るようなことがないようにすることも大切です。政治の役割ですが、「100あるものを60/40で分け合うのか、55/45で分け合うのかという問題で争うよりも、平和を保って国際社会から10か20ずつの援助をもらう方が、南北どちらの政府や住民にとってもメリットがありますよ」というメッセージを送り続ける必要があります。
 和平協定後4年半が経過しましたが、北部の人たちからすると、石油収入を反政府勢力に配分することに大きな抵抗感があるようですし、南部の人たちからすると、学校、病院、道路、水道などの行政サービスがほどんどない状態が続いています。
 このように、紛争が止まっても、何らかのポジティブな変化、平和の配当がもたらされなければ、人々の不満は再びつのるかもしれません。平和より戦いのほうがいい、とスーダンの人たちが心変わりしないように、日本人である私たちも平和な生活を送るための援助を行う必要がある。

池上日本をはじめ先進国の協力で、人々の生活が見る見るうちに向上し、しあわせになれば、スーダンの誰もが、戦争するよりも、平和がいいよ、と納得するわけですね。

宍戸それがまさに、迅速な「復興支援」が重要な理由です。

世界で今何が起きているの? 日本が今出来る事を見つけたい!! 世界で今起きているいろいろな問題、JICA現地スタッフや関係者からのコメント、取材を通してわかった国際貢献の現状。 詳しく見る