池上彰と考える!ビジネスパーソンの「国際貢献」入門 池上彰がスーダンを見る!聞く!歩く!「復興支援の問題」ゲスト:JICAスーダン事務所長 宍戸健一氏

50年間、兵士だった80歳の老人。
数百人の同じスーダン人を殺してきた、とつぶやいた

池上今回の取材で、スーダンが紛争からまだ日の浅い、さまざまな傷を負った国なんだ、と実感させられたのが、南部のジュバで職業訓練センターのオープンデイに参加した折、従軍経験のある人たちにインタビューしたときでした。
 80歳の老人は、人生の大半、1950年代から50年以上も戦闘ばかりに従事し、何百人もの「敵」をやむなく殺した。そうしなければ自分と自分の仲間がやられていた、と語っていました。「敵」といっても同じスーダンの人なんですよね。
 28歳の妻子もちの男性はここ数年の戦闘経験と殺人経験でいわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかり、大きな物音のするところにいられなかったり、夜中に突然飛び起きたり、発作で失神したり、という精神的な外傷を負っていることを告白してくれました。
 30歳の女性は、10代のころから狙撃手として戦闘に参加させられ、重い武器を運ばされた結果、体を痛めてしまい、重いものがもてないようになってしまった、とこぼしていました。
 こうした内戦の兵士たちを武装解除をし、それから職業訓練をして社会復帰をさせるというプロジェクトの内容紹介がオープンデイでした。その開会式で宍戸さんが、まさに日本を代表して、スーダンの皆さんに呼び掛けるというのを見て、大変感動しました。
 と同時に、闘うことしか知らなかった人たちが、ごく普通にその辺に大勢いらっしゃって、その人たちに仕事を身につけてもらうって、これは大変なことだなと思ったんですよね。

宍戸そうです。現実は非常に厳しいものがあります。
 政府も除隊兵士たちを積極的に雇用する法律をつくる用意をしているようですが、彼らは長年戦闘の現場しか知らないわけで、銃器の扱いは慣れていても、読み書きが満足にできない、という人たちが大半です。
 そんな人たちに銃を捨て、職を持て、といきなり言っても難しい。だからこそ多様な職業訓練や教育の機会を設けて、一人でも多くの除隊兵士が平和な社会で働けるスキルを身につけられるようサポートをしているわけですが、道のりは険しい。
 でも、希望はあります。私たちがサポートしている職業訓練を通じて、頑張れば自分たちでも仕事ができるようになった、という仲間のあいだでロールモデルとなる人が一人でも二人でも現れるようになれば、人々の意識は大きく変わると思うからです。そういったロールモデルをみて、なるほどあんなふうに努力すればいいのか、という流れが社会に定着すれば、人々の意識と行動を変えることは十分に可能だと思います。

池上本当はあらゆる分野に、すべての地域に援助ができればそれに越したことはないわけですが、とてもそんなことはできない。その中で地域を限って、あるいはロールモデルとなるモデル地区をつくって、そこで成功体験を積み重ね、それを周りの人たちが見て、あ、こういう形でやればいいんだという形でそれが広がっていく、その一つ一つの拠点を築いていく、それが国際協力の仕事だということですね。

宍戸そうです。重要なのは、規範を見せるのが私たち日本人だけではなく、周囲のアフリカ人を巻き込むことなんですね。
 JICAでは、スーダン以外でもアフリカ大陸でさまざまな国際協力を行っています。たとえば隣国のケニアでは理数科教育のプロジェクトを長年やっています。そこでプロジェクトで経験を得たケニアの人を講師にして、スーダンの人たちを指導する。
 やはり隣国のウガンダでは、20年にわたって続いている職業訓練のプロジェクトがあります。こちらにいるウガンダ人の指導員の方々にジュバに来てもらって、自分たちの技術を教え、経験をスーダンの人たちに話してもらう。
 こうすると、スーダンの人たちも、他人事ではなく、自分ごととしてとらえてくれるようになる。ケニアやウガンダの人たちだってできたのならば、僕たちだってできるんじゃないか、と思ってくれるようになるんです。
 日本人や欧米人だけで指導すると、自分たちの現状とはあまりにかけ離れているように思われてしまうことがあるんですね。そうすると、悪い意味での援助体質、援助国や援助機関任せの感覚がなかなか抜けなくなります。それが近隣諸国のケニアやウガンダの人たちが、指導員として話をしてくれると、自分たち自身でもやればできる、と実感してもらえるんです。
 JICAは途上国世界で多様なネットワークを持っています。このネットワークを通じ、こうしたお隣の国の先生をつれてくることで、自立的な再生のプログラムを現地の人たちが実行してくれるようになればいいな、と考えております。教える側も教えられる側もともに自信を持ってくれるようになりますから、一石二鳥でもあるんです。

国際協力は女性が中心? スーダンも日本もウーマンパワーが国を変える

センナール州の村落の助産師育成プロジェクト、
教えるのも教わるのも女性

池上今回びっくりしたのは、援助する側、される側にかかわらず、女性が活動の中心にいる、ということです。開発途上国での援助を見ますと、非常に多くの日本の女性たちが活躍しているんですよね。と同時にそのカウンターパート、一緒に仕事をするスーダンの人たちも、女性が大変多い。女性の力って、スーダンも日本も大したものだなと思ったんですが。

宍戸そうですね。これは私たち男性が反省しなきゃいけないんですけれども、国際協力の現場では、女性が非常に元気です。なぜだろう、と考えて思い当たるのは、国際協力は、上から押しつけて命令する仕事ではなく、同じ目線で援助する側もされる側も肩を並べてやることだから、かもしれません。こうした仕事のやり方は、一般的に言ってコミュニケーション能力の高い女性のほうが得意だと思うんですね。
 もちろん、お互いに社会的、文化的な違いはあるかもしれませんけれども、女性のコミュニケーション能力の高さは世界共通で、国際協力のいちばん重要なツールのひとつです。女性が活動の主役になるのは、ある意味で必然かもしれないですね。
 正直、私自身がスーダンに赴任して、日本の女性たちのパワーと実行力にはびっくりさせられました。20代の若い方たちが、どんどん現地に赴いて責任ある大きな仕事についている。生き生きとしていますし、現地の社会にも溶け込んでいきます。女性のパワーなしで、国際協力は語れない、というか、主戦力は女性、といっても過言ではないでしょう。むしろ日本の若い男性にもっと頑張ってほしいとは思うのですが(笑)。

池上スーダンをはじめ、アフリカで日本の人たちが援助活動をしている、個々の日本人一人一人が、言ってみれば日本の代表として仕事をしているんだなと。地元の人たちにしてみると、その一人一人の日本人を見て日本という国を感じることができるんだなと思いましたよね。であるが故に、一人一人また大変な責任もあるんだなという感じがしたんですよね。

宍戸JICAが派遣している青年海外協力隊員は、アフリカだけでも600人にも上ります。一人一人の活動は、学校の先生であったり、あるいは職業訓練センターで木工を教えていたり、いろいろな職種があります。
 ガーナ在勤中のことですが、ある協力隊員と話をすると、謙遜して、自分は2年の任期中に数クラスの生徒に数学を教えただけで、日本からわざわざ来てやるほどの仕事なのか?、とおっしゃる。でも、ひとつひとつの授業のコマの中身でなく、時間やルールを守る日本人の態度なども含めて中長期的な効果があるものだと思います。
 リベリアの仕事に関係したときに聞いた話をいたしましょう。リベリアも紛争を抱えた国で、長期間、学校教育がストップしていました。平和が訪れて援助を再開しようとしたときに、ある省の大臣が、昔、私の理科を教えてくれたのは日本の協力隊員だった、とおっしゃったそうです、以来日本の協力が再開するのを心待ちにしていたそうです。
 国際協力というのは、すぐに成果が出るとは限りません。でも中長期的な視野に立てば、こんな具合に人と人との関係から国際協力のネットワークが広がっていく、ということは日本にとっても、非常に重要な財産になる、と思うんです。
 アフリカの人たちが、日本人が素晴らしいとか日本に期待すると話してくれるのは、これはもう何十年も前から、小さい活動だけれども、国際協力に従事してきた先輩たちの努力の積み重ねがあったからです。 そう考えると、いま私たちにできることは、次の世代の人たちがアフリカに来ても、日本とはうまくやっていきたいと、日本が困ったときには日本を助けたいと、アフリカの人たちに思ってもらえるような関係を築くことです。
 1995年、阪神淡路大震災があったときも、アフリカの国から支援が届きました。金額自体は大したことないのかもしれませんけど、自分たちも苦しい中で日本の苦境を救ってあげたい、という気持ちが遠くアフリカに住む人たちに持っていただけた、というのは非常にうれしく、かつ価値のあることだと思います。 遠い将来、50年後、100年後、ひょっとしたら日本がアフリカから援助を受けている可能性もあるんです。もちろん、そのために協力隊を派遣しているわけじゃないんですが、同じ地球に住む中で、協力してやっていく、困っているときは助け合うという、セーフティーネットをお互いに築いてあげられるような関係を構築していきたいですね。

池上そう考えると、繰り返しになりますが、戦後何もかも失った日本の経験は非常に伝えるところがたくさんあると思います。
 教育はその典型ですね。
 第二次世界大戦直後の日本は、ハードやインフラの面で見ると、スーダンと同様、何もかもが失われた状態でした。けれども、実は江戸時代から識字率が非常に高かったり、明治になったときに教育に力を入れ、先生たちを養成した。こうしたソフト面での積み重ねが、戦後の急速な成長の裏にはありました。
 以上のような日本の経験は、宍戸さんたち国際協力の現場の方々を通じて、ぜひスーダンに建設的なかたちで伝えてほしいですね。
 最後に宍戸さんに質問です。国際協力の仕事のやりがいって何ですか?

宍戸それは、仕事の大変さと表裏一体ですね(笑)。スーダンは国土が広い。私が普段活動拠点としている北部の首都ハルツームと、南部政府のあるジュバとは1300キロも離れています。一週間の半分は北部で、もう半分は南部で仕事、という週も珍しくありません。道路もがたがたですし、水道や電気が満足に通っていないところもあります。でも、そういった現場に赴くと、なんとかしなければいけない、という闘志がわいてくるんです。現場は大変ですが、一方で生身の人たちと一緒に状況を変えていける現場の仕事は最高に刺激的で面白くもあります。何もなかったところにスーダンの人たちと一緒に種をまき、水をやって、芽が出て花が咲くプロセスを目の当たりにできる。それがこの仕事の醍醐味でしょうね。そんな仕事に就けることを、私自身はとても幸せだ、と思っています。

(後編では、池上彰氏のスーダン現地ルポをおとどけします。)

池上彰の「復興支援の問題」を理解するための3つのポイント POINT01 平和の実感… 紛争が終わって平和になると暮らしが 豊かになる、と実感してもらう POINT02 復興支援… 除隊兵士たちに職業訓練を行い、 自立できるようにする POINT03 仕組みづくり… 現地の人々が自分たちで運営していける「ロールモデル」をつくる