池上彰と考える!ビジネスパーソンの「国際貢献」入門 池上彰がスーダンを見る!聞く!歩く!「復興支援の問題」ゲスト:JICAスーダン事務所長 宍戸健一氏

 スーダンといえば、なんといってもナイル川。本流の白ナイル川と支流の青ナイル川の大半がスーダン国内を流れています。水の問題は、途上国の成長を考える上で最初にクリアしなければならない大きなハードルのひとつ。スーダンの場合、世界最長の川を有しているだけに、水に関しては大きな潜在力を秘めているといえます。
 それだけではありません。スーダンにはもうひとつ、隠れた水資源があります。
 北部の首都ハルツームの近郊は、砂漠気候に近い、高温で乾燥した土地で、木々もほとんど生えていません。でも、その地下のヌビア砂岩層と呼ばれる地層には巨大な帯水層があり、豊富な地下水が眠っているというのです。
 ナイル川と帯水層。スーダンの豊富な水資源をどう活用するのか。北部スーダンの国立水公社の研修センターで職員の人材育成プロジェクトを行っているJICAの専門家、上村三郎さんにお話をお聞きしました。

池上ハルツームの市内を流れる白ナイル川と青ナイル川の合流地点を見学してきました。まず、ナイル川について教えてください。

上村スーダンの、いえアフリカの水を語る上で欠かせないのが、約6700キロの長さを誇る世界最長のナイル川です。ナイル川は、ウガンダのヴィクトリア湖の方面から流れてくる白ナイル川と、エチオピアから流れてくる青ナイル川があり、ハルツームで合流します。

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研修センターに建設中の井戸管理研修施設100メートルを1日半で掘る

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水道技術を指導する、専門家の上村さん

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豊かな水量を誇る、ナイル川から引き込んだ水路

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ナイル川は人も運ぶ

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南部の都市ジュバのナイル川沿いに設置した河川港設備

池上青と白、とまではいきませんが、合流地点で見ると水の色がずいぶん違いました。

上村白ナイル川は比較的緩やかに流れています。ウガンダとの国境に近いスーダンの南部ジュバの標高が455メートルで、下流の1300キロ離れたハルツームが同378メートルですから、わずか77メートルしか標高差がありません。一方、青ナイル川の源流のあるエチオピアは標高3000メートル近くありますから、標高差もハルツーム近辺とは2500メートル以上あり、青ナイル川のほうが断然流れが速いのです。

池上なるほど、そんなこともあって水の色が違うのですね。ナイル川の水はどんな風に利用されているのですか?

上村スーダンでは、白ナイル川より青ナイル川の水を優先的に取水しています。理由はこの流域に人口が比較的集中していることによります。スーダン人の感覚では青ナイル川のほうがきれい、ということなのでしょうが、日本人の感覚ではいずれにせよかなり濁っています。ただ、この濁りは、肥沃な土壌が水に溶けこんでいるからです。この土壌がナイル川沿いに肥沃な土地をつくるのです。代表的な例がエジプトのナイル川河口部の広大なデルタ地帯です。
 日本では、こうした濁度の高い水は取水しませんが、スーダンでは、とりわけ上流が雨季になれば川の水はどんどん濁ってきますから、高い濁度の水も取水しなければなりません。これはWHOの最低基準を大きく上回るかなり濁った水です。ハルツーム市内のホテルの蛇口から出る水も、雨季の現在、かなり濁っていたでしょう?

池上ナイル川から取水した濁った水をよりきれいにするにはどうすればいいんですか?

上村濾過してよりきれいにするにはそれなりの設備が必要です。また、雨季に発生する濁度の高い支流からの流入を抑制することも重要です。スーダンの給水施設の問題は、経済制裁を受けていたためにコスト面ばかりを気にして、安価ですが質の悪い機械を導入した結果、故障が多く、結局機能していないケースが目立つことです。特に、粗悪な中国製品の流通は給水関連機材のみならず様々な分野で悪影響をスーダンに及ぼしています。
 既存の水道網も問題山積です。特に、地方都市では老朽化したパイプが多く、例えば古い石綿管に植物の根が食い込んで水を奪っていったり、水漏れ箇所が多くなっております。そのために家まで給水される割合が下がり、住民は直接浄水場までドラム缶を乗せたロバの荷車で生活用水を確保することになります。
 給水した水のうち、実際に料金を徴収できた水の量の率を有収率といいますが、ハルツームの場合、なんとたった35%。残りの65%の水は途中で漏れたか、盗水されていると言われています。
 ちなみに水道管から水が漏れる率を漏水率といいます。ロンドンで27%、香港でも25%の水が漏れているのですが、日本の場合、東京でわずか3%となっております。東京都の漏水対策は世界最高の水準です。理由は漏水の多かった鉛製の給水管を、高価ではありますが寿命の長いステンレス管に取り替え、また、日々漏水箇所がないか点検し、必要な修理をしているからです。今年の5月、スーダン側の幹部を日本に連れて行き、きっちりしたインフラ整備の大切さや管理とは何かということを身をもって学んでもらいました。

池上ナイル川から離れたところでは、どうやって水を確保しているのですか?

上村実は、ここハルツームを含むエジプト国境にかけてのスーダン北部一帯の地下には、ヌビア砂岩層と呼ばれている巨大な帯水層があるのです。帯水層とは、地下水を大量に含んだ地層のことです。帯水層のある地域ならば、たとえ地表の気候が乾燥した砂漠気候であろうと、適切な井戸を掘れば、濾過されたきれいな水が安定的に確保できます。ハルツームの年間降水量はたった200ミリ、エジプトにいたっては50ミリ以下です。不毛な乾燥地帯に見えますが、岩盤地帯で本当になんの水資源もないスーダン東部の紅海沿岸と異なり、スーダン北部からエジプトにかけての乾燥地帯は地下水資源に恵まれています。地下水がお盆のようなところに溜まった場所を地下水盆と呼びますが、スーダンには15カ所もあるといわれています。しかも帯水層のある地域には、石油や天然ガスのような化石燃料もしばしば眠っています。

池上こうした地下水の利用技術も手伝っているのですね。

上村これからご覧いただくハルツーム郊外の研修施設がそのひとつです。JICAの水人材育成プロジェクトは2008年6月にスタートしました。こちらの施設では、井戸の維持管理に必要な試験やリハビリに必要なトレーニングを行います。

池上井戸を利用する上での問題点は何ですか?

上村水道施設同様、掘削工事の質の問題が大きいと思います。日本は80年代からアフリカ地域で積極的に井戸建設の支援をしてきました。その後、90年代から、日本の設備は他の援助機関の井戸と比較して割高じゃないか、という議論がありました。けれども、帯水層から水を汲み上げる井戸は、20年か30年、場合によると50年以上使える恒久的な施設でなければ、本当の意味で飲料水供給を達成したとは言えないのです。それが安いコストで浅い井戸を掘ってしまうと、数年で干上がってしまいます。しかも浅い井戸は、下水などの影響も受けやすいので衛生上も問題があります。これはなかなか困難な調査になると思えますが、日本が建設した井戸を客観的に評価する必要があります。事実、ザンビアでかつて私も参加した水プロジェクトでは、日本のチームが20数年前に掘った井戸の95%が稼動しているとの報告があります。同様に、スーダン東部に1987年頃に日本が建設した井戸と掘削機も稼動しております。このように高い品質が確保された井戸はリハビリやメンテナンスをすればずっと使えるのです。
 それにひきかえ、安価な機械で掘った低コストの井戸はすぐに涸れてしまい何度も掘削しなければならないために、結局高コストになるのです。国際協力で求められているインフラは数年でダメになるようなものでは役に立ちません。現地の人にきちんと理解いただいたうえで、「いいもの」を渡すべきと考えています。

池上水の事業で一番大切な部分はなんですか?

上村やはり人です。人材開発です。私たちがずっと張り付いて技術援助をしなくても、自ら給水施設の建設や維持管理ができるように、技術力や管理能力、経営能力がつくようなトレーニングを今スーダンで続けています。研修内容も厳しいですよ。1人につき最大5回レベルアップした研修を受けさせ、毎回試験をやります。数年ですぐに結果がでることではないですが、人材育成は途絶えたらそこで組織は終わります。これはスーダンでも同じなんですよ。
 幸い、国際協力の現場にいるとスーダンの人たちは、100%先進国に依存する、という感覚でないことがわかります。期間を決めて、集中的に国際協力を行い、技術移転を図れば、少なくとも水分野に関しては10年以内に被援助国の立場を卒業できる可能性をスーダンは持っているように感じています。吸収力があるのがスーダンの国民性です。ただし50回言わないと先に進みませんが(笑)。それでもプロジェクトを開始した1年前と今では格段の進歩があります。これがスーダンのすごいところであり、私たち専門家も仕事冥利に尽きます。

池上彰のまとめ
 …乾燥した砂漠地帯に見える北部スーダンは、ナイル川を抱き、しかも地下には豊富な地下水資源を有する水の宝庫でした。スーダン南部のジュバでは、ナイル川を数千キロさかのぼり、河川港のクレーンをJICAが援助した現場も見学してきました。
 ナイル川は、飲料水、農業用水の源であると同時に、世界で最も古い物流路でもあるのです。ジュバの河川港に設置されたクレーンは、船舶からの大型貨物の積み上げ積み下ろしに利用されています。この河川港の利用効率が上がれば、当然、地域の経済発展に大きく寄与するはずです。南部スーダンでは、この港の使用料により、港湾の維持・発展をさせる計画を立てていましたが、当初は、南部政府と州政府との間でどちらがこの使用料をとるのか、という点でもめたそうです。JICAが南部政府と州政府の幹部を一緒に日本での研修に送り出し、港湾管理のイロハを勉強してもらうなどの支援を行い、今では両政府が協力した運営体制ができつつあります。こうしたインフラが新しい経済の基盤となる日は近いのかもしれません。

 スーダン現地ルポの最後は、少々重い話をいたします。
 前編中編で宍戸所長にご紹介いただいた、南部スーダンでの職業支援センターが開催した除隊兵士向けの「オープンデイ」。こちらの現場でも、開会式から各種訓練、イベントなどを見てきました。それでも、最後の取材がまだ残っていました。これまでずっと戦闘に従事してきた除隊兵士たちに直接話を聞くことです。
 私がお話をうかがったのは3人。80歳の老兵。28歳の青年。そして30歳の女性です。彼らの話は、スーダンが過酷な紛争に長く悩まされてきたこと、それによって彼らを含め数百万以上の人たちがつらい目にあってきたことを、いやおうなく私に気づかせました。ひとつの国の発展を止めてしまうのは、やはり人と人との殺し合いなのです。

80歳の老人へのインタビュー
 わしの名はジャスティン・フセイン・ガド。ずっと反政府軍の兵士だった。北部のアラブ系のスーダン人と戦ってきた。
 年齢は80歳。戦闘についたのは30歳のときだ。
 それまでは農民だった。このジュバから40マイルほど離れた田舎のほうに暮らしていた。
 スーダンが独立する前後、1955年から72年にかけて、北部のハルツーム政府との第一次紛争にまず参加した。次は82年7月からの第二次紛争。ジュバを奪還した92年まで戦った。最後の第三次紛争も参加した。戦いが終わったのは3年前、2006年のことだ。
 紛争のあいだは、ずっと戦闘の毎日。ゲリラだからあちこち移動してね。家族もいっしょについてきた。子供、いるよ。10人いる。大学に通っているやつもいる。
 戦闘でどのくらい殺したかって? うーん、いちいち数えちゃいないからな。200人か、300人か、400人か。数え切れないほどの敵を殺した。毎日毎日殺した。
 殺してなけりゃ、こっちが殺されていた。毎日毎日仲間が殺された。
 わしが生き残ったのは、神のご加護だ。神に感謝だ。
 戦争が終わって、すべてが終わったと思った。自由になった、解放されたと感じた。でも、その一方で、何をすりゃいいんだ、とも思った。だって何十年も戦争しかしてこなかったんだから。何をすればいいか自分でもよくわからんのだ。
 それでも、できれば、何らかの店をやりたい。
 どうやればいいのか、よくわからないんだけど、店を、やりたい。
 なにせ10人の子供がいるんだ。お金を稼がなけりゃ。

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80歳の老兵士ジャスティン 50年以上も戦ってきた

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28歳のヴィクトル 除隊後もPTSDに悩まされている

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30歳の女性狙撃兵エスタ 身体を壊し、もう重いものが持てない

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オープンデイで職業訓練の内容を聞く元兵士たち

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彼はケニア人シェフで、料理の先生

28歳の青年へのインタビュー
 俺はヴィクトル・ケミス・マティア。28歳。
 兵士になったのは、第三次紛争の末期、2005年のことだ。
 それまでは96年から10年近くウガンダに避難していたんだ。ウガンダでは、食料品や砂糖やタバコなどを売る雑貨屋をやっていた。それがスーダンの村に戻ってきたとたん、南部の軍に配属された。
 敵かい。
 ……ああ、殺したよ。
 ……10人、くらいかな。
 それが戦争だからね。いやなことだ。二度とやりたくない。
 ……でもそれが戦争なんだよ。やらなきゃ、やられるんだ。
 戦争が終わってよかったよ。家族もいるしね。妻に子供が2人だ。仕事も再開し始めたし。
 ただ、戦争が終わって気づいたんだ、自分のいろんなものがダメになっていることに。
 まず大きな音がだめだ。
 怖いんだよ。
 後ろで大きな音がすると、身動きがとれなくなっちまう。突然、気を失ってしまうこともある。
 それからね、夜中に飛び起きることもある。いろんなことをフラッシュバックのように思い出してね。
 今回オープンデイに参加したのは、今の状態ではできる仕事が限られているからさ。運転手か大工がやりたいんだが、大きな音がダメだとなかなか働き口がないんだよ。
 仕事かい。まだ見つかってないよ。なんとかしなきゃね。
30歳の女性へのインタビュー
 私はエスタ・アワディア・ジョルチ。30歳。
 戦争に駆り出されるようになったのは、10歳になるかならないかの頃、1988年から。
 すぐに兵隊の訓練を受けさせられたわ。重い銃を持たされてね。狙撃兵だったのよ。
 なぜ兵隊になったかって? いやおうなしよ。村ごと紛争に巻き込まれたんだから。それでも私の場合、ひとつだけ運がよかった。人を銃で撃ち殺すことなしに終戦を迎えられたの。
 紛争期間中は、自由のまったくない状態。あらゆることに縛られている。それが終わったから、羽の生えた感じ、まさに自由!
   ただ、戦争中、女だてらに重い武器ばかりを毎日運ばされてたせいか、体を痛めちゃってね。もう重いものがもてないのよ。生活にも支障をきたしてるわ。
 今日、オープンデイに来たのは、もちろん仕事を探しにきたの。
 仕事がしたいわ。稼がなくっちゃ。
 クッキングやケータリングの仕事を覚えられるといいんだけど。
 私も兄弟と姉妹が7人もいるからね。稼がなくっちゃ。

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スウェーデンのNGOはエンジニアの訓練をサポート

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裁縫も職業訓練の一環です

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オープンデイに集まった200人以上の元兵士たち

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会場の外まで人があふれている

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日本の伝統 ケンダマをスーダン人に伝授

池上彰のまとめ
 3人のインタビューを終えて、改めてスーダンが紛争の真っ只中で同じ国の人間が殺しあう、とても不幸な状態にあったことを思い知らされました。
 現地のJICAのスタッフの方々や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の方、NGOの方、そして日本大使館の方にお話をおうかがいしても、この前まで戦闘状態にあった国民を平和な状態に戻し、一般の生活ができるようにしていくことが、いかに根気のいる仕事なのかを実感させられました。
 インタビューした老人は兵士だった年月が人生の大半を占めていましたし、28歳の青年は、いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥っているし、30歳の女性は身体を痛めていました。
 オープンデイはこれがはじめての試みです。どうやって彼ら彼女らに仕事を与え、モチベーションを上げ、恒久的な社会作りを担う一員となってくれるのか。そのシミュレーションとしては大成功だったのではないでしょうか?
 直接お話をしたスーダンの方々はもちろん、戦闘で苦しんできたスーダンのすべての人々。この人たちが、もう一度ちゃんとした教育を受け、職業訓練をこな し、自分の仕事を見つけ、定住し、社会の一翼を担う……。日本の国際協力はこれからが本番なのだ、という思いを強くしました。

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スーダンの元兵士たちを和装のスタッフが日本茶でおもてなし

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自動車や機械整備の研修用の道具が並ぶ

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オープンデイで挨拶する南部政府関係者 右に座っているのがJICA宍戸所長

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オープンデイでの会場に出展したJICAブース