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池上彰よりINDEXおコメがアフリカを救う!「食料の問題」(前編)「食料の問題」(後編)
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 2009年夏、スーダンに続いて私が訪れたのはウガンダ。標高1100メートルの高原にあるこの国はビクトリア湖のほとりに面し、1年中穏やかな気候に恵まれ、豊かな自然を誇っています。かつてイギリスの宰相ウィンストン・チャーチルが「アフリカの真珠」と呼んだこのウガンダで今、日本の専門家が稲作の普及に務めています。
 アフリカでコメを作る。
 最初にお話を聞いたときはびっくりしました。アフリカとコメとが結びつかなかったのです。けれども、現地で稲作の指導にあたる坪井達史さんのお話を聞いて、農業試験場で豊かに実った稲穂を目の当たりにすると、そんな偏見はどこかに飛んでいきました。

ウガンダの大地に実ったネリカ米の稲穂

 コメといってもアフリカで坪井さんが普及させようとしている稲は、私たちが普段食べているジャポニカ米とも、東南アジアで主流のインディカ米とも異なる、まったく新しいイネ「ネリカ米」です。乾燥して痩せた土地でも育つ上に、反当たりの収量はアジアのコメ並みの量を誇るネリカ米を武器に、坪井さんはウガンダのそしてアフリカの食料事情を一気に改善しようと考えています。
 「食料の問題」は、最も深刻で、最もすばやく対応しなければいけない課題です。食料問題の改善は、その国の経済事情も社会事情も教育事情も医療事情も一気に好転するだけの力を秘めています。
 Newsweek誌が選ぶ「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれた、「ミスターネリカ」こと坪井さんの精力的な農業指導のお話を聞きながら、アフリカの食料問題に対する国際協力のあり方について、いっしょに考えていきましょう。

坪井 達史(つぼい・たつし)

現在、JICA専門家
1949年大分県出身。日本大学農獣医学部拓殖学科卒業。75〜77年青年海外協力隊(フィリピン・稲作)に参加。79〜81年JICA海外長期研修制度でフィリピンの国際稲研究所(IRRI)に学ぶ。81年からJICA専門家として、主にインドネシア、フィリピン、コートジボワール、ガーナ、イランに勤務。2003年からアフリカでネリカにかかわるプロジェクトに参加。04年6月以降、ウガンダを拠点として、東南部アフリカでのネリカ米の普及に携わる。
アフリカのスーパースター米「ネリカ」 過酷な環境でもたくさん米ができる!

池上坪井さんが、国際協力の世界で農業指導をはじめたきっかけについて教えてください。

小学1年生の時の坪井さん。
大分県杵築市山香町の実家の水田で、
家族親戚、近所の農家が総出で田植えをしていた
写真提供:坪井達史

坪井実家が九州の農家で、稲作も子供のころから手伝っていました。大学も農業関係に進みました。けれども途上国での農業指導の道に進むことになった直接のきっかけは、大学時代にアジアを旅行しているときに偶然、日本の国際協力の世界に出逢ったことです。卒業後、すぐに青年海外協力隊に応募して、農業隊員としてフィリピンに派遣されました。
 フィリピンでは、インディカ米(細長く、ぱらぱらした食感の品種。インド料理などアジアでは一般的に食される)の栽培に取り組むことになりました。1975年のことですね。2年間現場で働いたあとに、フィリピンの国際稲研究所(IRRI)で稲作について体系的に勉強しました。こちらで研修を終え、稲作の専門知識を身につけ、81年からJICA専門家としてプロジェクト実施国で働いてきました。以来、アジア、中東、アフリカで、稲作を中心に農業指導をしております。

池上アフリカで稲作を教えるようになったのはいつからですか?

坪井1992年、コートジボワールに派遣されてからです。このコートジボワールで後にネリカ米となる種間交雑種に出会いました。当時同国にあった西アフリカ稲開発協会(現アフリカ稲センター、WARDA)を訪れたとき、こちらの温室内で西アフリカ・シエラレオネ出身のモンティ・ジョーンズ博士に「アフリカ稲とアジア稲を交配して初めて稔実した籾です」と3粒の籾を見せてもらったのです。これが生まれたばかりのネリカ米でした。興奮しましたね。それまでは、アジア稲とアフリカ稲は種が異なることから交配しても不稔となり種子が得られなかったので、3粒稔実したことは画期的なことだったわけです。

池上ネリカ米、というのは、日本人にとって聞き慣れない品種です。ネリカ米について、くわしく教えていただけますか?

坪井ネリカ米は、アフリカの風土でも育つ高収量の稲ができないかと品種改良した末にできあがった品種の総称です。「New Rice for Africa――アフリカのための新しい米」という意味を込めて、NERICAと名づけられました。
 アフリカには、もともとアジア稲とは異なる種のアフリカ稲があり、アフリカの環境に適応しています。病気にも強く、雑草にも負けません。一方、私たちにおなじみのアジア稲は、アフリカ稲に比べ、収量などの面で優れています。
 アフリカの風土に適していながら、アジア稲並みの収量を誇る品種ができないだろうか、という目標のもとに交雑を繰り返し、ネリカ米ができたわけです。
 現在では、水稲60種、陸稲18種が品種登録されています。いずれも短期間で成長し、アフリカ特有の高温で乾燥した気候にも負けません。稲、というと豊富な水や大規模な灌漑施設を連想してしまいますが、ネリカ米の場合、十分な灌漑施設がなくても、肥料の大量投与がなくても、栽培が可能なのです。

池上アフリカにも、もともと稲があったんですね。従来のアフリカ稲とネリカ米では、どのくらい生産量が違うのですか?

坪井収量を従来のアフリカ稲と比較すると、1ヘクタール1.5トン未満だったのが、ネリカ米だと、1ヘクタール3〜5トン。従来と比較して2〜3倍の収量が見込めるようになりました。

池上それはすごい進歩ですね。稲作、というとアジアのイメージが強いのですが、坪井さんご自身は、アフリカでも米が作れるということは事前にご存知だったんですか?

稲作を知らないウガンダの人々に農業指導を行う

坪井はい。事前の調査で、アフリカの稲作事情は知っておりました。アジアでは、フィリピン、インドネシアで稲作を10年以上指導してきたこともあり、その延長線上で農業指導ができるだろう、と思って、1992年から、コートジボワールで稲作の指導を始めたのです。
 実際には苦労の連続でした。稲作文化が浸透しているアジアで農業指導するのとはまったくわけが違うのです。コートジボワールにせよウガンダにせよ、アフリカにおいて稲作を本格的にやった人はほとんどいないんですね。そのため、稲作についてのイロハをすべて教えなければいけませんでした。

池上たとえば、どんなことを?

坪井水稲では苗代の作り方、田植えのやり方、陸稲では種蒔きの深さ、また収穫のタイミングと日本の農家なら当たり前のことを実演する必要がありました。

池上それは大変だ(笑)。本当に一から教えるところからスタートしたんですね。では、ネリカ米の農業指導をするきっかけは何だったのですか?

坪井このネリカ米を主役に据えた稲作を日本が支援して、アフリカに普及することが決まったからです。日本のアフリカに対する稲作指導の歴史は、1972年にアフリカ稲センター(WARDA)へ活動支援を行うところから始まります。ネリカ米のような新品種の開発研究に支援するようになったのが97年。国連開発計画(UNDP)と組んで、新品種の開発研究に財政支援を始めました。さらに、翌98年の第2回アフリカ開発会議で決まった「東京行動計画」の一環として、ネリカ米の研究開発に対し、国連開発計画のジャパン・ファンドを活用して資金援助と技術協力を行うことが決まったわけです。そして、2003年の第3回アフリカ開発会議で日本がアフリカにおいてネリカ米の普及支援をすることを表明し、本格的にネリカの支援を開始したわけです。

池上なぜウガンダが舞台となったのですか。

ナムロンゲ村国立作物資源研究所の坪井さんの研究室です

坪井ウガンダが稲作に向いている土地である、と判断したからです。ネリカ米のプロジェクトがスタートすると、次にアフリカのどの国でネリカ米を使った稲作を開始するのがいいかを選定することになりました。
 私は稲作に向いた土地を求め、アフリカ東南部地域の多数の国を視察しました。そこで白羽の矢が立ったのが、ウガンダでした。ウガンダは標高が平均1100メートルという高原にある国で、熱帯でありながら1年中穏やかな気候です。また、ナイル川の最上流域に位置し、巨大なビクトリア湖にも面しており、緑に恵まれ、降雨量も多く、土地も肥沃です。農業も盛んで、イモ類、豆類、トウモロコシ、調理用バナナを中心に、商業作物ではサトウキビやコーヒー、お茶などを栽培しています。
 アフリカで新たに稲作を普及するうえで、これほどいい条件の国はありません。ウガンダでネリカ米による稲作技術を蓄積し、それが軌道に乗れば、ネリカ米をアフリカ全土に普及していくことが可能だろう、と考えたわけです。
 かくして2002年、ウガンダで「ネリカ普及プロジェクト」がスタートしました。私がプロジェクトに参加したのは2003年。ウガンダに着任したのは2004年の6月からです。現在では、国立作物資源研究所(ナムロンゲ農業試験場)を拠点に、農業指導にあたっています。
 ウガンダでは、当初から政府あげてネリカ普及プロジェクトに力を入れています。米の収量が増えれば、食料問題が改善されるだけでなく、農業収入も増えますし、雇用確保にもつながる。一石二鳥三鳥なのです。

池上成果のほうはいかがでしょう?

坪井ウガンダのネリカ米の耕作面積は順調に増えています。2002年のスタート時と比較すると、2007年には耕作面積は20倍以上の約3万5000ヘクタールまで広がりました。ウガンダの稲の全耕作面積は約10万ヘクタールですから、3分の1以上がネリカ米です。

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