26 MAY 2000
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫
核兵器を保持し、新鋭ミサイルを装備するなどして軍事拡大を続けている中国に日本が巨額の政府開発援助(ODA)を供与していることは、日本人のODA全体に対する不信、不透明感の増大につながっているという私の考え方には、多くの日本人が同調するだろうと思っている。
「日本のODA資金が直接、軍事費に充てられることはなくても、日本からODAを受けることによって予算に余裕ができて、それを軍事費に充当している可能性がある」、「中国は日本から巨額の援助を受けながら、他方で他の開発途上国に戦略的な援助を行っている」などの批判に始まり、「日本は中国の最大の援助国であるのに、その事実は一般国民には知らされず、中国政府も感謝の意を表していない」といったやや感情的な意見まで、対中ODAへの不満はきりがない。
そんなムードの中、中国の唐家セン外相らが来日した。唐外相は5月11日、森首相、河野外相、野中自民党幹事長ら政府・与党幹部と会談したが、その際、日本側が自民党外交部会などが強く主張する「軍事費の増強などを鑑みて対中ODAを見直すべきだ」という意図が国内にあることを唐外相に伝えた。
対中ODAは、従来のラウンド方式が終了、また中国の第10次5か年計画が策定中などの背景もあり、新たな時代に入ることは確かだ。しかし、政府はこれを「対中ODAの在り方を検討する」という認識で考えており、制裁を含んだ見直しとはしていない。だが、この唐外相に対する発言に日頃、対中問題には厳しい論調を張る一部のマスコミは「政府も、やっと言うべきことを言ったか」とばかりに対中ODA批判を展開して“見直し”を歓迎する記事を掲載した。いくつかの歓迎記事の要約を紹介すると「軍事的用途への使用の回避、軍事支出、大量破壊兵器の開発や拡散への注意などを謳った『ODA大綱』を順守することによって対中援助を停止、削減せよ」、「軍事転用の可能性が高い高速道路や空港など大型経済インフラ援助からは、撤退すべきである」などという主張が展開されており、対中援助に不満を持つ読者は、溜飲を下げる思いをしたかもしれない。
幸い、唐外相がこの問題を政治問題化する意思のないことを示したため、紛糾するには至らなかったが、12日、日本記者クラブで行われた唐外相の記者会見でも対中援助への質問が飛び出していた。唐外相は日本の援助を「中国に対するODAは、戦後賠償に代わる行為である」という認識を示し「日本のODAは中国の現代化に大いに役立っており、積極的に評価している」と語った。しかし、会見で唐外相が「積極的評価」という言葉を使っても「感謝している」という言葉を使わなかったことに不満を示すジャーナリストも幾人かいたようだ。
冒頭にも記したが、中国の軍事費支出が増加している傾向などから判断すると、私も対中ODAには批判的にならざるを得ない部分もある。その一方で、今回の唐外相とマスコミのやり取りを見ていて対中援助には、もう少し冷静な視点が必要ではないかという気持ちが芽生えている。
その一つは、ODAには感情論を排すべきだということだ。つまり、「感謝した」とか「感謝しない」という言葉だけでODA全体の評価を損なってはならないということだ。記録によると政府・与党幹部との会談では唐外相は「感謝」という言葉を二度にわたり用いている。記者会見で「役立っていることを評価している」というのなら、それは十分に感謝していることを示しているはずで「感謝」という表現を使わなかったことにこれ以上、こだわる必要はない。いつも片言隻句の問題で紛糾する日中関係を経済協力の世界にまで持ち込むことはやめたいという気持ちだ。
もう一つは(こっちの方がはるかに重要なことなのだが)、日本人はODAの本質をもう少し理解して、ODAが持つ政治的側面を評価すべきだということだ。 ODAは、政治、経済、人道面など一面だけでは捕らえられない多面的複雑な性格を持つ外交戦略であり、批判はあるにしても、対中援助を続けることによって生じる日中関係の安定、友好増進、経済発展による中国の民主化促進などODAが生み出す政治的効果を考慮しなければ、正当な評価にはならない。
日中はアジアの二大国として地域、さらに世界の安定と繁栄のための国際責務がある。そのため、両国の友好関係維持は欠かせない。感情論で対中援助を停止してその後、こじれた日中関係を修復するのにどれだけ手間と時間がかかるかを考えたことがあるだろうか。現在の対中援助が今、すぐに目には見えなくとも長期的には必ず日本ばかりか国際社会全体に好ましい影響を与える結果となることを知ってもらいたいものだ。
リストラ、就職難、賃金カットなど長引く不況で、多額の公的資金を投入するODAに対する日本人の不満は募っていると思う。だが、対中援助をはじめとしてODAが持つ多面的な目的と効果も、もっと多くの人が理解して長い目でODAを見守ってほしいと願う昨今である。
関連情報:JICAサテライト「JICAの中国援助最新事情(1998/11/20)」