19 JUN 2000
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫
6月4日深夜(日本時間5日未明)、インドネシア・スマトラ島ベンクル市沖を震源とするマグニチュード7.3の大地震が発生、ベンクル州内に大きな被害が広がり、百人を超える犠牲者の数が報告された。すでにご承知の方も多いと思うが、日本は被災者救援のためにJICAの国際緊急援助隊医療チームを現地に派遣、8日から、緊急医療活動を行った(20日帰国予定)。今回の医療チームは、医師3人、看護婦6人、医療調整員4人など総勢19人からなり、市内の州立ユヌス病院を中心とした緊急医療活動のほか、病院まで来られない被災者のためタイス地区の災害対策本部内にも診療テントを設置、市周辺地区の被災者の救援にも大きな成果を挙げたという。
だが、この救援活動ぶりは、日本のメディアからはほとんど伝わってこなかった。念のために各新聞のバックナンバーを読み返してみたのだが、調査団の派遣、医療チームの派遣、到着までは小さい記事ながらも確実にフォローされている。だが、その後の活動状況にまで触れている新聞は見つからなかった。だから、ほとんどの日本人は40度近い猛暑のテントの中で懸命に診察する医療チームのメンバーの活動ぶりがどれだけ地元の人たちに感謝されたか、さらに、それを地元の新聞などが好意的に報道したという事実を知ることはできなかったはずだ。
そこで、本欄でメディアに代わり、現地における医療チームのその後の活動を簡単に紹介すると、同隊は、医薬品、医療資機材など80ケースを携行。また、このほかに日本はテント100張、プラスチックシート321枚、大工道具100組など総額1,499万円の救援物資を供与した。8日以後15日までに診療した患者数は、ユヌス病院が合計414人、タイス診療所が56人。避難中に風邪をひいたとか、火傷をしたという軽い症状の患者がほとんどだったが、どの患者とその家族も日本人医師の診察に安堵の表情を見せ、大喜びだったという。15日以降は現地の混乱も沈静化、やってくる患者の数は少なくなり、帰国直前は、現地ボランティアなどに撤収後の医療サービスのアドバイスなど情報交換を行った。
最近の日本のメディアは、阪神大震災の過酷な事実を教訓として地震の報道には最大限の努力を払っている。また、阪神大震災で諸外国から受けた支援のありがたさも忘れてはおらず、トルコ、台湾の大震災における日本の国際緊急援助隊救助チームの救援活動にも大きなスペースが割かれた。トルコで救助チームの隊員が生存者を救出した際、日本のメディアはわが事のように喜んで大報道をした。台湾でも諸外国の救援隊に先駆けて現地入りした救助チームの活動をどのメディアも国内ニュース並みに大きく扱っていた。
今回の国際緊急援助隊医療チームの報道がシリ切れトンボ状態になった理由としては、地震の被害がトルコや台湾の大地震に比べると小さかったこと、それに伴って派遣されたチームも大型機材を投入するなどして救援活動を行う救助チームではなく、医療活動に限定される医療チームだったことなどが挙げられる。新聞、テレビの報道には限られた紙面と時間があり、すべての救援活動を大々的に報道しろと注文するのは無理難題だ。そうした事情は十分に知っている。
だが、小さい記事ながらも調査団の派遣から医療チームの現地到着まで時間を追って報道、現地では到着した隊員にインタビューして今後の活動方針まで細かく取材したメディアもあったとなれば、多くの人が「これからの日本の医療チームは、どのような活動を行うのか」と、興味を持っていたはずだ。それなのに以後は何の音沙汰もなしというのでは少々、拍子抜けだ。
国際緊急援助隊が世界各地に派遣されて大きな成果を挙げるようになってから久しい。地球上で大災害が発生した時、直ちに緊急援助活動に駆けつけることは経済大国であり、世界一の援助国でもある日本の国際責務であるが、派遣が日常茶飯事化してくると国民の関心が低くなっているのが心配だ。
緊急援助活動は、何よりも早さが要求されるだけに、選ばれた隊員たちは着の身着のまま、仕事の途中でも指定された場所に駆けつけなければならない。そうやって到着した現地は被災地だから当然、最悪の生活環境の中にある。到着直後が最も忙しい時間だけにしばらくは高度な緊張感の中での仕事が続く。この状況はトルコでも、台湾でも、インドネシアでも同じで隊員たちの苦労に大差はない。
今回の報道ぶりを振り返ってみると、日本のメディアは、緊急援助隊のその後の活動についても、もう少し報道してもよかったのではないかと思う。忙しいのはわかるが、地震後の混乱が一段落したので早々と現地を去り、あとは知りませんというのは、その後も現地に残って大変な苦労をした隊員にかわいそうな気がするのだ。
関連情報:緊急援助隊「インドネシア地震災害に対する国際緊急援助隊の派遣について」