学生たちのレポートから

15 AUG 2000
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫

新聞社を退職して大学人として初めての夏を迎えた。大学の先生というと、学生なみの長い夏休みがあるのではないか—?という淡い期待を持っていたのだが、大学の事務職員に「国家公務員にそんな長い夏休みがあるわけがないでしょう」と厳しく言われ、「そりゃそうだ」と今さらながら自分の立場を確認する夏のスタートとなった。

とはいえ、学生は夏休みで、学校にいないのだから、少なくとも通常の授業はない。とうことで、のんびりする時間は必然、多くなると予測していた。しかし、それも期待はずれだった。それどころか、逆に8月になると、がぜん忙しくなった。時間がさかれる最大の理由は日頃、あまり時間がとれない自分の研究にもう少し時間をさきたい、という思いでいろいろな方にお会いして話を聞いたり、シンポジウムや研究会に出席することが多くなったからだ。酷暑の中、汗をかきかき地下鉄を乗り継いで、指定の場所を歩き回っていると、1日はあっという間に過ぎてしまう。冷房のきいたオフィスのガラス越しに見えるビジネスマンの姿がうらやましい。

8月上旬は、前期末の試験のレポートの採点にも相当の時間がさかれた。学生も一生懸命勉強して書いたはずのレポートだから、読む“新人教師”の方も真剣に読まなくてはならない。そうやって丁寧にレポートを読んでいると、短いものでも一つ読むのに一時間近くかかる。それを採点するのも簡単にはいかない。悪い点をつけた学生の顔が思い浮かぶと採点には、さらに余分な時間がかかる。

私が前期学部学生(2、3年生)に教えた「国際協力論」のレポート採点は、2週間がかりで最近、やっと採点を終えた。私が出したレポートのテーマは「今後の政府開発援助(ODA)はどうあるべきか?」と「日本はなぜ、ODAを行うのか?」。この2つから1つのテーマを選択するものだった。4月に初めて教壇に立った時は、ほとんどの学生がODAの「オ」も知らないという状態だったから、たった4カ月の授業だけでは、それほど理解が深まってはいないだろう、という私の当初の予想は見事にはずれ、多くの生徒がまともな論文を書いていたのは、うれしい誤算だった。

教材としてJICAが発行している小冊子などを使用したこともあって、学生たちの経済協力に対する理解の仕方は、どちらかと言うと、既存の援助のあり方を認めるものだった。ODAの仕組みに始まり、経済協力の理念、意義、実施する際の留意点など私が教えたかったことは、一応、理解していたので、こちらはひと安心した。ある意味では、ODA批判が少なく、ちょっと素直すぎる論調が多かった学生たちのレポートの中で、ここだけは、共通して現状に批判的な意見が述べられていたのが、ODA広報のあり方についてだった。

「これからのODAはもっと国民に深く根付いたものにならなくてはならない…そのためにはまず、国民にODAがこんなにも世界の人々を救っているのだという宣伝しなければならない…政府も経済協力の数値の実績だけでなく、ODAは人々の生活をこんなにも良くしたんだ、という実績も私たちにわかりやすく見せてほしい」(原文から抜粋)、「日本は世界最大の援助国でありながらODAに対する国民の理解と認識があまりにも不足しているのではないか…国際協力がより身近なものになるように国民への情報の提供の機会を増やすことが大切だ…興味がある人しか見ないような情報ばかりを公開し、それで満足していてはいけない…多くの人に関心を持たせる、一般の人にもわかる広報をすべきである…私たちはマスコミによって多くの成功よりも少しの失敗ばかりを知らされているように感じる。ODAや国際協力に関する多角的な情報を期待したい」(同)といった論調のレポートが多かった。

言っておくが、特に私が授業で過大に日本のODAを賛美した覚えはない。また、学生たちが参考文献にしていた本の中には、日本のODAに厳しい主張をし続けている識者が書いたものも数多く含まれていた。それなのに、多くの学生は日本のODAは、マスコミが批判するほど無駄なものではない、という認識を持っている。彼らがそうした情報をどこから仕入れるのか不思議でもある。若者特有の国際感覚というものでもあるのだろうか。

毎年、行われる世論調査でもODAに対する国民の支持率は低くない。日本人には、国際協力を促進したいという心があるのだ。それだけに、せっかく、相応の効果をあげている日本のODAがなぜ、自国民に正しく知らされていないのか、学生たちは、不満を感じるのだろう。

やらなければならない仕事はいっぱいあるが、政府もJICAも、これまで以上にODAの広報活動に力を入れよう。