1 SEP 2000
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫
猛スピードで進む高度技術の革新に対応する時間の概念として、寿命から換算して1年が人間の4倍の早さに相当すると言われる犬の一生に例え「ドッグイヤー」という言葉が最近、マスコミなどで多用されている。しかし、こうした最新技術の改革とはあまり縁のない所に身を置く生活のせいか、私には一年が四年にも相当する充実感はなく、逆に4ヵ月ぐらいにしか感じられない。昔から言われている「年齢を重ねるごとに1年が短くなる」ということなら、それを年ごとに肌で感じる昨今だ。
先日も1年の短さを痛感することがあった。1万7千人以上の犠牲者を出したトルコ大地震(8月17日)と、約2カ月後に全員が無事に解放されたが、JICAの日本人専門家4人がイスラム武装勢力に拉致されるという事件が発生(8月23日)してから一年が過ぎたことを新聞などで知ったからだ。私の心の中では、どちらのニュースもまだ半年前後前の出来事だという気持ちがあり、「あれから1年たった」という事実を知った時、あっという間に時間が過ぎる最近の生活リズムが恐ろしくなった。
倒壊したビルの中に狭まれていた74歳の女性を救出するなど、トルコ大地震における日本の国際緊急救助隊の活躍は今も鮮明だが、トルコ北西部にはその後、11月12日にも多数の犠牲者を出した同規模の地震が発生しており、被災者が負った深い傷は、今も癒えていない。トルコ地震から1年というニュースは、もちろん他のメディアも報じていたが、私はたまたま神戸新聞と朝日新聞(大阪版)神戸支局の記者が書いた復興に苦闘するトルコ被災地の人たちの様子を伝える二本の記事が印象に残った。被災地の復興問題には、自分たちも同じ苦労を積んだ関西地方のメディアに特に関心が深いのだろう。これらの記事は、日本の援助で神戸の仮設住宅約1,100戸が移設された「ジャポン・キョイ(日本村)」と呼ばれる「日本トルコ仮設住宅村」の居住者に焦点を当てたもので、なかなか進まない災害復興の中で失業などの生活問題に悩む被災者の姿が報告されていた。
二つの記事の中でも興味深かったのは、JICA初の仮設コミュニティーづくりの専門家として派遣されている「被災地NGO協働センター」の鈴木隆太さんの話だ。鈴木さんは神戸の被災者救援やナホトカ号重油流出事故のさい、日本海沿岸の重油洗浄ボランティアなどとして活躍した経歴を持ち、今回は仮設住宅住民の組織づくりを目的に派遣された。
仮設住宅の住民は、もともと同じ地域の住民だったとはいえ、全員がお互いを良く知っていたわけではない。地震によって引っ越しを余儀なくされ、急に隣り組となった住民たちが新しい住宅環境の中でどう融和してゆくかは、被災地復興の大きな課題だ。「仮設コミュニティーづくり」という聞き慣れない言葉の専門家は、こうした仮設住宅住民のニーズを汲み上げ、これから地域としてどうやって生活してゆくかをアドバイスする精神ケアの主体とした仕事が任務だという。神戸新聞の記事によると鈴木さんは今、個別訪問をしながら住民のニーズを聞いて回っている作業の真っ最中らしい。
さて、この鈴木さんの任務を聞いて私が感じたのは「日本のODAは、ここまでキメの細い仕事をするようになったのか」ということだった。過去の自然災害に対する日本緊急援助というと「遅い」とか「検討はずれ」といった教条的批判が返ってきたものだ。だが、最近のトルコ、台湾、インドネシア・スマトラ沖の地震、ホンジュラス・ハリケーンなどの自然災害における日本の国際緊急援助隊やNGOの活躍は迅速、適切でそんな言葉を払拭した。
しかし、改善された国際緊急援助といっても発生からしばらく時間が経過したら引き揚げ、後は通常の経済協力に移行してゆくのが一般的な形態だ。つまり、災害発生直後の緊急医療、食料、衣料品など配布といった支援から徐々に住宅建設、通信、交通手段の復興といった支援に移ってゆく。こうした災害地復興支援の内容を良く分析すると「ハード面」が主体で「ソフト面」は、あまり見えない。鈴木さんの活動目的に新鮮味を覚えたのは、地震発生から一年もたった現地での活動の中にソフト面がある「心のケア」という部分があることだ。
阪神大震災で得た貴い教訓から日本人も災害後の被災者の心のケアの大切さを知るようになった。「モノ」を送るだけが支援でなく、被災後しばらくしてから起きてくる被災者の脱力感に対し、心のケアをすることが重要であるという災害支援の基本理念が今回の一連のトルコ地震支援では生かされそうだ。
JICAでは今後、もっと多くの日本のNGOを現地に派遣して調査を行い、情報が集まれば、神戸のNGOなどをパートナーとして村落開発の手法を取り入れた本格的な仮設村のコミュニティーづくりをするプロジェクトを開始する計画があるという。日本のODAの幅をさらに広げるためにも是非、実現してもらいたい計画だ。