18 SEP 2000
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫
JICAの藤田公郎・前総裁がシニア海外ボランティアの一隊員として南太平洋のミニ国家、サモアに行くことが、最近のマスコミなどの話題になっている。ここ数年、あまり好ましくない話題が続いてきた霞ヶ関卒のエリートに久しぶりにさわやかな人生選択として歓迎されているようだ。私も以前から藤田さんがボランティア活動に関心をお持ちになられているという話を聞いてはいたが、本当にボランティアになられると知った時は正直、驚いた。
藤田さんには、1994年に総裁に就任されたとき、新聞の人物紹介欄に記事を書くために初めてお会いした。JICA総裁といえば「偉い、怖い人」というイメージを持ってインタビュー室にいったのだが、実に気さくな、そして経済協力に深い情熱を持っていることに強い印象を受けた。それ以後も、私が書いた記事について的確な批評をはがきに書いて何度も送っていただいた。私も記事を書いた後、「あの記事について総裁はどう思われたかな…」と、最大の読者である藤田さんからいただく、はがきの入った封筒が届くのを待ち遠しく思った時期もあった。厚かましさのついでにその頃、出版した著書『ジャーナリストが歩いて見たODA』(国際開発ジャーナル社)の序文の執筆をお願いしたら、これも快く引き受けていただいた。以後、その本には「本文より序文の方が立派」という評価が定着している。本欄を借りて改めて藤田さんのご厚誼に感謝したい。
さて、赴任されるサモアだが、私は今年の3月に訪問する機会があり、首都、アピアでツイラエバ・サイレレ首相らに、沖縄サミットの一環として4月に宮崎で開催された「太平洋・島サミット(SPF首脳会議)」に対する期待、抱負などについて取材した。サモアは、もし相撲部屋の親方が訪問したら、必ず日本に連れて帰りたくなる衝動にかられるような立派な体格の男が町中をうろうろしているが、サイレレ首相も実に立派な体格の持ち主だった(藤田さんも日本人の中では長身で、がっちりとした体格の持ち主だが、サモアに行くとヤセ型の部類に属するかもしれない)。
だが、巨体にも関わらず、サイレレ首相は、礼儀正しく、紳士的で変な威圧感はまったくない。悠々たる太平洋のうねりのような雰囲気に、私も心がゆったりと落ち着く思いだった。1時間ほどのインタビューでサイレレ首相は、アジア・太平洋地域における日本のリーダーシップへの期待とそれに対するサモアの協力のあり方、そしてこれまでの日本の経済協力がどれほどサモアの生活改善に貢献しているかを熱心に語っていた。
3月のサモアの訪問でもう一つ印象に残ったのは、首相とのインタビューに同席した若い外務、大蔵官僚らが世界情勢、日本の政府開発援助(ODA)などについてよく勉強していたことだ。首相府のオフィスは確かに大蔵省の中にあったと記憶するが、少なくともこのビルの中は「ヤシの木陰で昼寝」という北の人間が抱くステレオタイプの太平洋島嶼国のイメージは感じられなかった。
インターネットや、アメリカ文化がリアルタイムで入り込む隣りの米領サモアとの交流、さらには外国への留学・研修などを通じて太平洋の真ん中に浮かぶこの島にも確実に地球のグローバル化の波は押し寄せてきている。世界貿易機関(WTO)による新しい世界貿易の枠組みは、漁業資源の捕獲、保護にどのような影響を与えるのか、地球環境の変化による温暖化と海面上昇の問題にどう対処すればよいのか、世界の問題が即、自分たちの生活に結びつくことを若者を中心とした普通の人たちも十分に知り始めているのだ。
藤田さんは、サイレレ首相が兼務する外相の顧問として経済援助の折衝などについての助言役をすることになるという。サモアの産業は、タロイモ、コプラ(乾燥したヤシの実)などの伝統的農業が主体で国の財政は、海外からの援助に頼る部分が非常に大きい。日本は二国間援助の最大のドナーの座にあり、サモア国立大学設立や、米領サモアと結ぶ大型フェリーボートの供与など国の至るところで日本のODAのプロジェクトを目にすることができる。
また、ミニ国家のニーズに対応するために青年海外協力隊や、シニア海外ボランティアの隊員も数多く派遣され、人と人が交わる草の根援助も効果をあげている。訪問した時、日本に研修に来たOBたちの同窓会に同席したが、彼らの多くは今、国の中心的なポストを占めており、海外の援助の中でも日本の経済協力の影響がひときわ大きい。
サモアの人たちは、いつまでも海外の援助に頼って生きて行こうとは思っていない。インターネットで繋がった世界には誰にでもビジネスチャンスが広がっていることを知っている。すでに日本の援助が道を拓いてきた人材育成に拍車をかけ、経済的自立の道を模索しているのだ。そんな時に藤田さんというこれ以上いないアドバイザーを得ることは、サモアという国にとってまったくの幸運としか言いようがないだろう。
私個人としては、せめぎ合う外交の世界で手腕を発揮してきた藤田さんに、今度はゆっくりと「手づくり」の国際協力を楽しんでもらいたいという思いが片隅にある。