スポーツが持つ国際協力の可能性

28 SEP 2000
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫

ここのところ、分刻みの極めて多忙な日程が続いているのだが、その忙しさをさらに忙しいものにしているのが、シドニーオリンピックだ。

もともと、スポーツのテレビ観戦は好きで、ここ数年、正月前には「来年こそはもっと有意義な正月を過ごそう」と思いつつ、二日の朝、箱根大学駅伝を中継するテレビのチャンネルに合わせてしまうと、結局、三日午後のゴールまでテレビの前に釘付けになるという空しい正月を送っている。この“悪癖”はシドニーオリンピックでも同じで、仕事の合間についテレビのスイッチを入れてしまう。ちらりと日本選手の顔でも見えるとそのまま観戦となり、仕事はまた後回しとなる。しかし、日本選手が活躍するのを見るのは楽しいから、あまり後悔はしていない。

そんなテレビの中継で、あるアナウンサーが、途上国の出場選手を指導しているJICA青年海外協力隊員のことに触れた時は本当にうれしかった。すでにマスコミなどで何度も報道されており、私もそのことは知っていたが、日本選手の競技に夢中で、うっかり忘れていた。そんな時、突然、協力隊員の話が出るとわれに返り、今度は彼ら協力隊員の努力に思いがゆく。テレビのオリンピック観戦もまたいちだんと面白くなってくる。

今回のシドニーオリンピックには、協力隊員が指導した柔道、水泳、陸上競技などの選手、約20人と、バレーボールのチーム(ケニア)が母国の代表となって出場しており、コーチとして選手を引率してきた隊員もいるらしい。協力隊員が派遣される国だから任地は当然、開発途上国で、最新のスポーツ施設を整備するまでの経済力を持たない。赴任したところはプールもなく、海を囲って水泳選手の練習を指導したという国(パラオ)、ポルポト時代の虐殺の弾痕跡が残るプールしかなく、そこで練習した国(カンボジア)、器具類がなく、ハードル選手が手作りのハードルで練習した国(ラオス)、北海道道民から寄贈された150着の柔道着を使ってやっと練習が始まった国(モンゴル)のように、いずれの国も劣悪な練習環境の中で協力隊員らが苦労をしながら育てた選手たちだ。モンゴル相撲のチャンピオンなどがいる柔道を除くと、先進国代表選手には、とても太刀打ちできないレベルの選手ばかりだが、日本人コーチと並んだ選手たちの顔は生き生きとしていた。

これは協力隊員の“愛弟子”ではないが、アフリカの小国、赤道ギニアが初めてオリンピックに送り出した水泳選手、エリック・ムサンバニ選手の力泳には世界中が湧いた。他の選手がフライングで失格したため、たった一人の泳ぎとなった。最後はほとんど前に進まず、溺れそうになりながらやっと100メートルを泳ぎきった姿は感動的だった。

赤道ギニアにはホテルに客用のレジャープールがあるだけで、競泳用の50メートルプールはないという。この予選はムサンバニ選手のような厳しい練習環境にある選手が数多くおり、国際オリンピック委員会(IOC)が財政難の国・地域からの五輪出場を支援するために設けた奨学金制度の昨年の利用国・地域は、124カ国地域にもなった。あ・地域にもなった。

援助大国・日本にスポーツ施設の援助を期待する声もあるが、現在、日本のODAにおいてスポーツ施設関係のプロジェクトはあまり聞かない。スポーツ施設は、それがないからといって明日の食べ物に困るわけではないので、援助分野での優先順位は低く置かれている。その理由もよく分かるが、人間は食べるものさえあれば、それでよいという生き物でもない。スポーツは日本人に食べ物とは違う満足感を与え、スポーツへの情熱が明日の活力となり、国づくりの糧にもなるはずだ。

青年海外協力隊員が指導した選手や、ムサンバニ選手のような選手が見せた人間性の高いパフォーマンスは、スポーツが持つ別の国際協力の可能性を世界に見せた。これを機会に日本のODAはもう少しスポーツにスポットを当ててみたらどうだろうか。