21 DEC. 2000
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫
自民党の亀井政務調査会長の3割削減という“発言”で大揺れした平成13年度のODA予算も12月15日の政府、与党間の最終調整で結局、前年度比3%の削減にとどまり、ひとまずほっとした。
亀井提案を押し戻した力は何だったのだろうか。一つにはODAという単一の費目を一年で三割もカットするという予算づくりの常識では考えられない亀井提案が最初から少々乱暴過ぎた。だから、国際派政治家たちの巻き返しもやりやすかったのだろう。また、それ以上に外務省をはじめとする政府とJICAなど援助関係機関の努力が大きかったこともある。そのほかの要因としては、亀井提案に対して一貫して批判的だった大部分のマスコミの論調、また、そうした論調を支持した国際協力に理解を持つ市民たちの声もある。だが、もう一つ忘れてはならないのは海外から沸きあがった大きな反論だ。
明治維新や戦後の民主化の例を出すまでもなく、日本という国家は古来から国の重要政策決定にあたって、海外からの圧力に強く影響されてきた。ODA予算に限ってみても、98年度の財政構造改革予算で10%削減が余儀なくされた時、最初の政府案として出された国際機関向けの任意拠出金の大幅削減案に対し、国際機関のトップや、開発途上国の指導者たちからの猛烈な反対の声があがり、任意拠出金の削減幅は大幅に縮小された過去もある。今回の削減幅縮小についても、こうした国際社会からの厳しい反発が相当、影響したように思う。
それはさておき、国内でODA予算削減が検討されるたび、海外から伝わってくる予想以上に大きい批判の声は、日本のODAが世界に多大の貢献をしており、国際社会の中で今やなくてはならぬものになっていることを逆説的に証明する事実にもなっている。先日、そうした日本の国際貢献の大きさを直接、聞く機会があった。
東京・渋谷の国連大学でUNDP駐日事務所主催による「北東アジアにおける人間開発と人間の安全保障」という国際シンポジウムがあり、私もコメンテーターの一人として参加した。このシンポジウムは、各界からいろいろな意見が出され、有意義な会議であったが、なかでもモンゴルのフレルバートル大使のスピーチが素晴らしかった。
フレルバートル大使は流暢な日本語で「現在、モンゴルが海外から受けている援助の三分の一は日本からの援助で、モンゴル人は日本に対して大変感謝している。今のモンゴル人の日本に対する気持ちは3Kで表すことができる。この3Kは、いわゆる3Kではなく、日本の援助に対する『感謝』、われわれをこれほど助けてくれる日本という国は、いったいどんな国なのかという『関心』、それと、いつまでも援助される国と、援助を与える国という一方的な関係ではなく、将来は共に手を携えて相互に協力してゆくパートナーとしての『期待』。この3つのKなのです」と話していた。
モンゴルは95年1月の阪神大震災のおり、当時の副首相が援助物資の毛布を持って関西空港に駆けつけ、「被災地に立ち寄ると邪魔になるから」と毛布を渡すと乗ってきた飛行機でそのまま帰国したという逸話に代表されるように極めて親日的な国だ。モンゴル国内の世論調査でも日本は「一番好きな国」とされ、ウランバートルの大学などで日本語講座は圧倒的な人気を誇っている。モンゴル以外にも経済協力を通して日本との友好を深めている国は数多くある。取り巻く良好な国際環境を構築することが国策ともいえる日本外交にとってODAは欠かせない政策だが、フレルバートル大使の話を聞いていて、これまでの日本のODAが確実に結実しつつあることを感じたものだ。
12月17日付の読売新聞朝刊に1953年に死刑囚53人を含む日本人戦犯、108人を釈放した当時のキリノ・フィリピン大統領の話が掲載されていた。釈放にあたり、キリノ大統領は「わが国の国民が(今後)永遠の友人になるであろう日本国民への憎悪を受け継がないようにとの願いからこの措置に踏み切る」と声明を出したそうだ。日本が復興して経済大国となった今日、フィリピンはつねに日本の二国間ODAの10大供与国の中に入っている(98年は7位)。日本人は今、キリノ大統領の厚情にいくらかの恩返しをしているとも言えるのだ。
私も国家財政が厳しいことは十分に承知しているし、財政再建も国家の急務だと思う。しかし、多大の期待が寄せられている国際貢献策を一気に切り捨てれば、国際社会における日本人の心地よい居場所はなくなる。キリノ大統領の話のように国家間の友情は巡り巡っている。政治家をはじめとする多くの日本人が日本の経済協力がいかに世界の人たちから感謝され、期待されているか、それがいつか自分たちにも巡ってくるものだということを知れば、平成13年度予算編成で行われるであろうODA予算の全面見直しでも世界を失望させるような回答は出ないはずだ。