ボランティア国際年のODAのあり方

15 JAN. 2001
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫

21世紀最初の年は「国際ボランティア年」でもある。この「国際ボランティア年」は、一昨年、日本の提案で国連総会決議されたものでもあるが、政府主導から民間主導の時代になるであろう21世紀の初頭を飾るにふさわしい国際年の設定と言える。

ボランティアという言葉の解釈は個人によって、多少異なることがあるため、ボランティアの意味をどう定義するかの違いで「国際ボランティア年」へのアプローチの仕方も多少、変わってくると思う。しかし、私は世界の人々が個人や自分が属する組織、自分の利潤のみを追求する利己的な考え方を改め、国際社会全体の利潤を考慮して共に助け合うボランティア精神を根づかせようという試みが「国際ボランティア年」の共通概念と考えている。

そうしたコンセプトの中で考えると政府開発援助(ODA)も「国際ボランティア年」の重要なアクターだと言ってよい。

高齢社会を迎えながら、同時に財政構造改革が迫られているわが国にあって社会福祉などの面のボランティアの重要性はいっそう高まるであろうし、そのほかの社会構造全般も変化する新たな日本社会にボランティアの力が欠かせないものになることは間違いない。こうした国内問題もさることながら、拡大する貧困問題やIT格差を抱える国際社会においてもボランティア精神はますます、重要性を増してくるだろう。

冷戦構造が終わった20世紀最後の10年は、戦後40年の経済援助の失敗の反省をもとに、次の世紀の開発援助の方策を巡って試行錯誤した10年でもあった。イデオロギーによる米ソの援助競争は、相手国の地道な開発にはおかまいなく、イデオロギーの宣伝塔になるただ目立つだけのプロジェクトを押しつけ、結局、不透明さと援助漬けという無意味な十数年を東南アジアなど一部を除く多くの途上国に作ってしまった。また、「開発=西欧型先進国文化の移植」という誤った開発理念が伝統社会・文化の崩壊、地球環境の破壊、さらに急速な変革を求める社会をつくり、それが政情、社会の混乱を誘導するという悲劇を世界各地に巻き起こした。

そうした経験からおぼろげながら浮かんできた新たな世紀の開発哲学が人間開発というコンセプトだったのではないか。もちろん、グローバル化した現在の国際社会にあって運輸、通信、エネルギーといった経済インフラの整備を無視することはできない。だが、援助国・機関は自発性、持続性という視点から途上国の人たちが持つ個々の能力を開発することこそが最も重要であることに気づいたのだ。「何を今さらそんな当たり前のことに気づいたのだ」‐‐という気もするが、人間開発重視の傾向は、援助国・機関がやっと本気になって途上国の開発を考え始めた証拠とも言えるだろう。

最近のイギリスや北欧などの援助国、世界銀行、国連開発計画(UNDP)などの国際開発機関の発言を聞いていると、人間開発という考え方は、彼らが主導して国際世論にしたようにも聞こえる。UNDPの功績は認めるとしても、人間開発という概念は、日本のODAにおいては研修員受入れなど「人造り支援」という形で欧米の援助国より早くから実施している分野であり、それが東アジアやASEAN諸国の経済発展に多大の貢献をしたという事実もある。人間開発論議で先陣争いをすることもないが、人間開発支援は、一度成功したらいつまでも成果が長持ちする協力でもあり、日本のODAはこの分野で豊富な経験を持っているのだ。

経済インフラ整備などに比べ、教育、医療、社会福祉の向上といった人間開発関係のODAは援助する人と援助を受ける人の交わりが深くなる。それだけに、血の通った実のある協力を実現するためには、双方の有機的なボランティア精神が欠かせない。今年のわが国のODAが民間の国際協力の担い手として年ごとに力をつけているNGOなどと幅広く協力して人間開発ODAに全力を挙げることになれば、「国際ボランティア年」にふさわしい経済協力になると言えるだろう。

JICAなど日本の援助機関関係者も今年、人間開発分野でもいっそうの成果を挙げるよう腕まくりして臨んでもらいたい。そして一年の成果は、新しい世紀の日本のODAのあり方をシミュレーションする意味でも興味深いものとなるに違いない。年末のこのコラムで、そうした成果を報告することができたら大きな喜びだ。