14 FEB. 2001
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫
昨年末、平成13年度のODA予算政府案が編成されて以後、マスコミがこぞって大扱いするようなODA関連のニュースは見当たらない。「たよりがないのはよいたより」といったことわざもあるぐらいだから、新聞やテレビにODAのニュースがあまり登場してこないということは、いいことはあっても、悪いことはない証拠だと考えていいだろう。
しかし、日本のODAの現実は悪いことどころか、開発途上国において多くの地元民に感謝されているプロジェクトがほとんどだ。このことを考えると、日本のメディアはそのいい点に目をつぶらず、たまには日本のODAの現地における貢献ぶりと住民たちに感謝されている事実を報道してほしいという気持ちも多少ある。現地のナマの声を聞く機会が多い海外事務所や、プロジェクトに赴任しているJICAなど援助実施機関の職員のなかにも同じ気持ちを持つ人が多いだろう。
同時に海外にいる日本の経済協力関係者にとっては、日本のメディアだけでなく、現地メディアの報道ぶりに対しても歯がゆく思うことが多いのではないだろうか。タイなどアジア諸国では日本のODAによって完成した橋や病院の完成式典の模様をテレビ・新聞が報道することがあるが、それは自国の皇族や首相が出席しているときが多い。また、自ら積極的に現地メディアに登場して日本の経済協力について語る大使らも数多くいる。しかし、基本的に開発途上国のメディアは先進国のメディア・ネットワークに比べると発達が遅れているため、国内ニュースのフォローの範囲も日本人の目から見てものたりない点がある。
1月下旬、東京で開催された外務省の「平成12年度アジア・太平洋地域大使会議」の広報セッションでは、ODA広報を含めてこうしたもどかしさを伝える数人の大使の発言があったと聞く。主な意見としては、「普段、日本に関心のない人にも食い込んでいくためには、現地語や映画などによる広報も重要」、「テレビ、ビデオなどビジュアルな媒体をもっと活用した広報が効果的」といったものがあり、全体としてODAにおいても現地広報の強化、ビジュアルな広報体制の確立の重要性などが話題になったようだ。
私の教室で学ぶ上海から来ていた大学院生は日本に来るまで、日本が中国に対して多額の経済協力を行っているという事実を知らなかったという。「中国のメディアはそのことを全く報道しないから知る由もなかった」というのだ。中国のほかの地域から来た学生も同じことを言っていた。もっとも、最近はインターネットを通じて、情報は簡単に国境を越えるから、たとえ中国の報道機関が日本のODAのことを報道しなくても、事実上、多くの中国人は日本の経済協力の実態を知っているのかもしれない。
国内だけでなく、海外におけるODA広報の重要性はいまさら言うまでもない。ODAの効率化が最重要課題となっている現在、援助をしている国の国民にもっとODAの成果を知ってもらうことは必要だ。では、どうしたら海外のODA広報活動をいっそう効率のいいものすることができるのだろうか。
前述の「アジア・太平洋地域大使会議」で、ある大使が発言したように「普段、日本に関心のない人たち」に日本のODAの貢献ぶりをもっと知ってもらうことは欠かせない課題だ。途上国で日本のODA関連の記事を掲載する新聞は、大抵が英字紙か高級紙で、現地語の大衆紙を読む一般庶民の目には入らない記事であることが多い。だが、圧倒的に多いのは現地語紙を読む人たちだ。日本を含め、海外の問題などあまり関心のないこうした大多数の庶民に、いかに日本が経済協力を行っているかを知ってもらうことこそ海外におけるODA広報は効果的なものになるだろう。
ビジュアルな広報体制の確立も意味のある提言だ。途上国の庶民のなかには活字が苦手な人がまだいる。こうした人たちに日本のODAのことを知ってもらう手段として、ビジュアルな媒体は効果が大きいだろう。
欧州を中心にある、「ダウン・ザ・フラッグ(国旗を降ろせ)」という考え方にも一理はあるが、経済援助の本当の意義は、援助国の「庶民」から援助を受ける国の「庶民」への人間同士のぬくもりがあるメッセージであり、どこの国の国民から贈られた援助であるか、相手国の国民が知ってこそ、両国間の友好が深まり、ODAもいっそう効果的なものになる。最近のような不況に苦しむ日本人が、そのなかでもがんばって自分たちよりもっと苦しい生活下にある途上国の人たちを助けるという人間と人間のコミュニケーションを醸成することがODAの真髄だ。それを側面支援する手段として海外におけるODA広報活動がある。
日本に来てから中国に対する日本の多額の援助を知った中国人留学生は「どんな中国人も中国に対する日本の援助のことを知ったら日本人に感謝するでしょう」と話して離日していった。国民の善意は簡単に政治を飛び越える。われわれはもっと知らせる努力をしなければならない。