15 MAR. 2001
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫
2月25日から3月1日までの5日間、外務省大洋州課の依頼を受けてニュージーランドを講演旅行した。自分の都合で作成されたスケジュールだったから、誰にも文句は言えないのだが、出発の3日前にフィリピンから帰国したばかり。さらにニュージーランドから帰った翌日には、JICAの沖縄国際センターで、同センターなどの主催で行われる国際シンポジウムで基調講演をするために沖縄に向かうという過密スケジュールのなかでの講演旅行だった。夜行便で成田を出発、翌朝、オークランド経由でウェリントンに到着。その翌日にヴィクトリア大学、次の日は南島・クライストチャーチのカンタベリー大学での講演という日程。久しぶりのニュージーランドをゆっくりと味わう暇もない駆け足旅行で本当に疲れたが、一方で楽しい旅でもあった。
ニュージーランドは私が新聞社のシドニー支局に駐在していた時代、担当した国のひとつで、特に86年当時、ロンギ首相の反核政策などでANZUS条約(豪・NZ・米相互安全保障条約)に亀裂が入るなどの騒ぎがあり、月に数回、足を運んでいた国だった。ウェリントンの議会での取材が終わって夕方、町に出ると首都のメインストリートというのにもう人影はまばらという牧歌的なお国柄。旅行者にはまことに退屈な国で、正直に言ってあまり好印象を持っていた国ではなかった。
ところが、十数年ぶりに訪ねたウェリントンもクライストチャーチもすっかり変貌していた。当時、私の目には眠ったように見えた2つの町だったが、今や町の至るところに小ぶりだが、瀟洒なデザインの新しいビルが立ち並んでいたことが最初の驚きだ。それとともにびっくりしたのはアジア人の観光客の多さだ。クライストチャーチのホテルの高級レストランなどは、半分以上が日本人観光客で埋まり、韓国人、台湾人などの観光客も数多くいる。旅行シーズンでもあったが、クライストチャーチは大型バスを連ねたアジア人観光客に占拠されている印象だった。かつて「欧州以外で最も欧州らしい町」と言われたクライストチャーチのイメージもだいぶ違ったものになっている。
地元の人の話では近年、NZの景気が特に良くなったというわけでもないようだが、NZも英国を中心とした欧州依存の経済体質からアジア、北米、南米にもスタンスを置いた新たな経済改革が着実に根付いているようだ。
ところで、楽しかったのは、そういう現象を目の当たりにしたからではない。講演した2つの大学で交流したNZの教授たちからNZ人が見た国際情勢を聞けたことだ。
オーストラリアの人たちは、一般的に発行される世界地図が北が上になっているため、自分たちのことを「ダウンアンダー」と呼ぶ。北の人間には、たかが印刷された地図の問題と思うだろうが、実際、世界地図の下側に描かれた国に住んでいると世界観は大きく変わってくる。私の経験からも上(北)の舞台(国々)で張り巡らされる権謀術数の世界がまるで観客席から見ているように冷静に見え、世界観に相当大きな影響を及ぼすようになったものだ。具体的にどういう影響かというと国際情勢を第三者的に見るということだろうか。
NZ人にもダウンアンダー的視点があるうえ、オーストラリア人よりもっと第三者的視点に立つ理由がある。それは、NZは南極を除くと国の四方2千キロ以内に他の国がなく、まったく孤立した国であるということだ。「地球に核戦争が勃発してもNZだけは生き残れる」と、多くのNZ人が信じる根拠はここにある。また、海が自分たちを守ってくれるのだから、かえって危険性を高める特定国との軍事同盟を結ぶ必要はないという論拠にもつながってくる。
今回会ったNZの国際学者たちは、もちろん頻繁に日米英などの北の学者たちと学術交流している。だが、話をしていてその世界観は北の学者たちと多少異なるように思えた。NZの学者たちは国際関係を日中、日朝、米ロ、米中といった2国間対峙の構図で見るよりも、まず世界を地球全体のなかに並列して置き、個別の問題について国家間の政策の相違を対立の構図のなかに見るという水平思考法に見える。つまり、日中関係だからといって最初から対立の構図を想定するのではなく、政策のなかから合意するもの、しないものを見つけ、その都度、その分野の問題の分析、解決策を模索するという柔軟な思考法だ。
こうした思考法は、世界を遠くから眺めるNZ人の世界観と密接に結びついているように思える。海に守られた楽園で、牧歌的な小国という立場にあるからできるものなのかもしれない。だが、ボーダレス化した地球時代の国際問題にアプローチする方法として北の学者が大いに参考にすべき思考法ではないだろうか。
ちなみに、現在、多くのNZの国際学者が関心を持っている問題は最近、南太平洋への影響力拡大に強い関心を示している中国と南太平洋島嶼国との関係のようだった。