私がセブで始めたミニコミ紙発行事業から (3)

vol.37 6 Nov. 2001
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫

セブ州政府の行政広報紙というJICAがお手伝いするミニコミ紙の性格が決まると、われわれは、まず、はじめにパブロ・ガルシア知事に州政府の協力をお願いしに行った。ガ知事とJICAはSEBU SEEDを通じて鈴木リーダーらと極めて親しい関係にあり、会見はスムースに進行、上村専門家が持参した石原慎太郎・東京都知事の大きなカラー写真が一面に掲載された東京都の広報紙を見せて「こういった類いの新聞を作る」と説明すると、知事もまんざらでもない顔で州政府の全面協力を約束してくれた。

知事との話し合いのあと、セブ州広報紙はタブロイド版の見開き4ページの季刊新聞(残念ながらカラーにはならなかった)として発行されることになり、創刊号の内容も州知事インタビュー、州の行政ニュース、JICAニュースを3等分して掲載することに決定した。そのほか、記事に使用する文字は英語と一部を現地語であるビザヤ語にすること、当面は民間の広告はとらないこと、配達は州内の小学校まで送り、あとは各児童に自宅まで持って帰ってもらうこと、編集の責任は州広報部(PIO)のロジャー・セルナ広報官に任せることなどが次々と決まった。

だが、このときは、7月にフィリピンが州知事選挙などを控えている状況でJICAが支援する広報紙が3選を目指すガ知事の選挙応援になってはならないことなどから新聞発行は、選挙後ということになり、この段階で私は日本に帰国した。

ガ州知事が3選を果たした後の8月末、私は再びセブに飛び、州政府ミニコミ紙発行の最終作業に入った。とはいえ、実を言うとこの作業もすでにSEBU SEEDの清家、上村専門家、山下調整員らが大方、煮詰めておいてくれていた。早速、私が創刊号の巻頭を飾る知事へのインタビューを行い、知事は3期目の抱負などを熱っぽく語ってくれたが、フィリピンでは知事の4選は禁じられており、知事にミニコミ紙を使って自分の宣伝をしようなどという政治的野心がないことも、われわれの仕事をやりやすいものにしてくれた。

肝心の新聞の名前だが、SIDLAW(ビザヤ語で太陽の光)、BINHI(種)、BAHANDI(宝物)、LANOG(こだま)、TAYTAYAN(橋)などなかなか洒落たセンスの候補名が挙げられ、詩的なセンスを持つというガ知事に選んでもらうか、候補名以外の新たな名称を付けてもらうことになっているが、この項を日本で書いている時点(10月28日)ではまだ、私には連絡を受けていない。ともかく、JICAが支援するセブ州の広報紙は、知事のインタビューのほか、行政ニュースもJICAニュースもそろい、あとは11月上旬の創刊号発刊という段階にある。

本コラムで3回にわたり、ミニコミ紙発行事業のことを長々と書いてしまったが、本稿で終わりにする。このプロジェクトの実施にあたり、私には2つの目的があった。一つはすでに書いたように途上国の人々に情報の大切さを知ってもらいたいということだ。そして、もう一つの目的は、記者時代から取材などで、いつも高みの見物ばかりしてきた援助現場の人々の苦労というものを自分でも少し体験してみたいという気持だった。

SEEDの方たちが敷いてくれたレールに乗った作業だったとはいえ、約束の仕事を一向にやる気を見せないカウンターパートのために猛暑の中を何回もSEEDの事務所に無駄足を運ばされたことなど、JICAの専門家やスタッフが味わさせられている日常の苦労をほんの僅かだが共有できたことに満足している。本部、フィリピン事務所、そしてなりよりSEBU SEEDのみなさん本当にありがとうございました。