2つの意外な経験

vol.38 12 Nov. 2001
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫

11月6日にJICA筑波国際センターで開かれた「国際協力の集い」に、はじめて顔を出してみた。同センターには鈴木前所長、狩野現所長らのご好意で、私のゼミ生たちが年に一度、センターを見学させて頂いているうえ、センターで学ぶ海外からの研修員との交流会まで開いていただいていることもあり、これまでに何度か訪問している。この夜、訪れたセンターはいつもの落ち着いた静かな雰囲気とは異なり、会場となった体育館には約500人の招待者、研修員らが詰めかけ、熱気が溢れていた。

同センターがこの会を企画したのには、日ごろ、お世話になっている地元の人々と研修員の交流を図り、またJICAの国際協力事業に対する理解を深めてもらおうという狙いがあるという。実際、センターが設立された1980年当時(名称は筑波インターナショナルセンター)、JICAの事業に対する地元の理解度は相当、低かったようだ。これはちょっと面白く話をしたのだと思うのだが、来賓の一人として挨拶に立った県会議員が「初めてジャイカという名前を聞いたとき、私は新種のイカのことかと思った」といって出席した人たちの笑いを誘っていたが、ともかく、地元に政府開発援助(ODA)のことを知る人の数はあまり多くなかっただろうと推測する。

来賓挨拶のあとは、日本料理にエスニック料理などが供され、東南アジアや中南米からの研修員による民族舞踊などのアトラクションもあり、会場はしばしの間、和やかな国際協力の雰囲気に包まれた。私もご馳走を頂きながら、出席した地元の主婦らと立ち話をしたが、数年間に及ぶセンターの地道な企画が実を結んでいるせいか、経済協力に対する理解は、予想以上に高いものだった。

そして、なによりうれしかったのは、参加者のほとんどがわが国のODAの遂行を積極的に支持していることだ。「われわれは日本のODAが途上国で成果を挙げていることを研修員のみなさんらからこうした場で直接、聞くことが出来ます。時々、テレビや新聞でODA批判を聞いたり、読んだりすることもありますけど、自分の目で見たり、聞いたりしたことのほうが信用できますからね」と、自らもNGO活動を支援しているという主婦は、研修生らとの交流から得たODAの印象を話していた。

幸せな気持で帰宅したその翌朝、日本のアフガニスタン復興支援について話してくれ、と頼まれ、あるテレビ局の生番組の収録に行った。私の出番の前に日本のODAについて語っていた国際機関出身の方は、贈与率の低さ、インフラ中心主義などを挙げて日本のODAに批判的だった。この批判はもう何年も繰り返されており、少々、うんざりする。最近の国際援助の社会では、相手国の可能な条件内で返済を求める借款方式の援助は、自助努力を促す援助方法として見直されているし、贈与率の高い欧米型の援助が決して高い効果を挙げていないことは周知の事実だ。さらに、近年の日本の援助は、ソフトと呼ばれる政策支援にも力を入れており、必ずしもハード中心のインフラ援助だけではない。

援助のことに相当詳しいはずの国際人でも日本のODAに対してこの程度の認識なのか、と思うとちょっとがっかりしたので、番組中、少し反論しておいたが、公衆の面前で激論を闘わすのもみっともないので、それ以上は語らず、その日は少し腹にものが溜まった気分で帰宅した。 「国際協力の集い」に出席した市井の人の高度なODA理解と、テレビで会った識者の日本のODAへの認識不足、11月最初の週末の2つの経験は、多くの国民にODAの正しい姿を知ってもらう必要性と難しさを改めて実感するものだった。